FEATURE : Assembridge NAGOYA 2016 |アートから見える港まち
SPECIAL INTERVIEW:
MOTOYUKI SHITAMICHI
Interview & Text, Edit : Takatoshi Takebe [ THISIS(NOT)MAGAZINE, LIVERARY ]
Photo: Kazuhiro Tsushima [ TONETONE PHOTOGRAPH ]
頭のなかで火花が散るような、<発見>する感覚を共有する。
―今回のワークショップは、あるひとつの風景をどのように切り取るか?という<写真的な要素>があったかと思うのですが、下道さんの写真的な視点を他者にも教える、そんなワークショップだったようにも思えました。
写真的なワークショップなのですが、被写体をうまく切り取って絵にする、という趣旨ではなくて、今回のワークショップの興味は「まちの中から何かを発見する瞬間の楽しさ」に尽きます。まちの中に生まれては消えて行く存在に、愛おしさや形や関係性のおもしろさを<発見する>というのが第一にあるんです。そういうものって、まちから展示空間に持ってきて、「どう?おもしろいでしょ?」って見せる方法もありますが、風景の中にあるからこそおもしろいし、それを動かしたくないことも多々あるので。さらに、ワークショップでそれをやるってことの意味としては、それは実は僕だけが発見できるものではなくて、コツさえを共有すれば、もしかしたら、参加者が僕なんかよりもおもしろいものを発見できるかもしれないし、より複数の視点で探した方が楽しいという思いがあるんです。
―下道さんの行うワークショップは、果たしてワークショップなのか、下道さん主導によるある種の作品なのか?をお聞きしたいです。
この「見えない風景」というワークショップは、2010年から色々な場所でやっていますが、「参加者の中で風景の見方が変化させる装置」としては、この活動自体が自分の作品なのかもしれないです。ワークショップと聞くと、何かを材料で一人一人が何かを作って成果物は家に持ってかえるか、参加者がパーツを作って行き、最後に作家がそれらを使って大きな立体を組み上げるパターンとか、いろいろあるとは思いますが、自分のワークショップ自体は毎回数時間の体験のみで、何も物は残りません。
僕の作ったガイドコースを歩く体験でもなくて。導線はある程度は僕が作っていますが、実際に制作し、鑑賞するのは参加者自身であって。もちろん、こちらの意図から脱線していくこともある。僕としては、参加者の中で発見の<火花が散る瞬間>が起こるのを楽しみにしてます。
―過去に何冊か写真集を出されていたり、現に、今、豊田市美術館でご自身の写真展もやっているわけですが、ご自分にもし肩書きをつけるとしたら「写真家」なんでしょうか?
下道基行 シリーズ『ははのふた/Mother’s Covers』より
これまで、写真の勉強もしてきたし、好きな写真家もいますが、他
―なるほど。でも、写真集とか展示でも、下道さんが言いたいこと、伝えたいこと、共感して欲しいことって、伝わるんじゃないか?と思うんですが、ワークショップで数十人規模で、地道に伝えていくというスタイルはすごく大変かなって思いました。
写真集は、2005年に『戦争のかたち』という本を3000部、出版社から出したのがデビュー作なんです。その後、
あと、写真はそれ自体が複製技術ですし、
―反動?
そうです。このワークショップ自体が、まさに目の前で作られて体験して行く写真集のようになる事がある、ただ1回で10人くらいしか参加できない。写真という手法でそれを複製したり撮ったりということはしないだけで。そのまま指差して見るだけ。ただただ視点をつなぎ、地図にしていくことで、そこに時間的にも、空間的にも、ラインも生まれる。「写真集なら一番最後のページはこの風景で締めたい」と思えば、それを地図の到着地点にすればいいし。物質的には何も動かないし変化しない、逆に数時間後にはその風景は消えてしまうかもしれないけど。
今回のワークショップでも写真は撮らないことを基本ルールとしていましたが、それは、カメラを向けなくても、写真という手法にしなくても、風景がぐるりと変わって見える、その瞬間の体験というものを共有できれば…と思ってやっているからです。まちの中に存在している状態だからこそ、美しかったり、面白かったりするものはあって、わざわざカメラで切り取って写真にしなくてもそれを発見した瞬間の<火花が散る瞬間>の体験はできるはず。そして、それはみんなが共有もできるはずなんです。ワークショップの場合、それをどう引き出すのか?を開催するそれぞれのまちの特徴にあわせてチューニングしながら、どうフレームをつくるか?を重要視してやってきました。それが上手くいくと、化学反応が起こり、自分の想像を超えた内容になっていく。
写真集のようで、写真展のようでもある、ワークショップ?
―展示もしない、写真集にもしない、地図に落とした言葉=写真のキャプションだけが連なった不思議な写真集のようであり、歩きながらそれを見ていくという行為としては、写真展のようでもありますね。
例えば、旅をして写真を撮影しながら写真集や展示をつくるというのは、風景を採取して、その後で再びつないて行くような作業です。このワークショップは短時間ですが、うまくいけば、写真集や写真展のような感覚をつくることもできると思います。でも、まずは、その言葉の地図を作る中で、1つか2つでもいいので、それを発見した人がドキッとするようなものが入っていたらいいなって思います。その時、その人が強く発見した手応えがあれば、その地図を共有して他の人がそれを見た時に、「ああ、これか!面白いなぁ」という風に、強く他者にも響くんです。
―風景の中の<発見>が根底にはあると思うんですが、以前の下道さんのワークショップで「昔は戦争の砲台があった場所を、何かしら違う方法で使ってみる」といったこともやってらっしゃるんですが、今回の街の中の私的なランドマークを見つけるという行為と大きく違うのは、そこにメッセージが見える/見えないかなと思っていて。
まず、みんなで砲台で何かするといったシリーズは『Re-Fort Project』というもので、戦争の遺構がいろんな形で残されている現状を撮影したシリーズ『戦争のかたち』の延長にありました。「遺構/廃墟を実際に何人かで見に行ってみたい」という発想から始まっていて。単純に「見に行ってみよう」だけで留まらず、「そこに自分たちでまた違う機能を追加して使ってみよう」と発展したものでした。
―それが単に街中のランドマークと、片や「戦争」っていう大きなキーワードが入ってくるとどうしても、その裏側に「反戦」とかってキーワードが見え隠れするとは思うんです。
「戦争」というキーワードは強いですよね。「戦争」という言葉が入ってくる表現は、そこに「戦争というものを忘れないようにしよう」というメッセージは見えてくるかもしれないですが、自分の場合はそれだけを伝えたかったのではないんです。「戦争はダメ!」とか「戦争というものを忘れないようにしよう!」という考え方は分かってはいるけど、戦争を体験していない自分が自分の言葉では語れないと思っていて。
下道基行「戦争のかたち/Remnants」(2001 – 2005)より
この写真は、もともと戦時中は、戦闘機の格納庫だった所を現代人が別の形で利用している写真です。こういう被写体の発見から、逆に遺構や記憶が目の前に残ってきたこと、そして、忘れられている状態とその意味が少し変化していきました。不謹慎な言い方かもしれないけど、見えなくなった時間や存在を、新しく発見する楽しさもあったと思っています。「戦争」というネガティブで触れ辛いキーワードとされる言葉を擁しつつも、自分なりに理解し直す行為は、言うなれば、歴史を掘るのではなく、目の前の「日常」の中で見つめ直すといった感覚でした。
―今回のように街を舞台としたワークショップにおいては、何か強いメッセージはなかったのでしょうか?
今回のワークショップは、つまり「日常」側のテーマに立っているだけで、発想の起点はいっしょなんです。写真にするのではなくて「みんなで見に行ってみよう!」という部分では。作家の制作としては、意識的にその風景や歴史や日常と出会い直すための導線作りに注力した形です。
―実際にそこで生活している人の写真とかは撮ってないんですよね。そこがいわゆるドキュメンタリーやジャーナリズム的な捉え方ではなく、風景として見せるってのが、下道さんならではの視点だと思いました…。
自分のすべての活動において、<人間の営みや生活への興味>が一貫してあると思います。そういうものをふと感じた時、「何か愛らしいな」って思うところがあって。それは古代の石器を見ても、路地の植木をみても感じる。例えその場所が、戦争当時の「負」の要素を含んでいたとしても、その歴史を経て意味が変化しながらも、今現在の生活の中で共存している様子を捉えることに意義を感じています。ジャーナリズムに関しては客観性への疑問は常にあって、引いた目線と寄りの目線のバランスをいつも考えて制作しています。
―ちなみに、砲台とかの跡地が気になりだしたのって、何かきっかけがあったんでしょうか?
きっかけは、当時ピザの宅配のバイトをしている時に、その宅配エリア内に、戦争時代の廃墟があって。そこには2つの廃墟があったんですが、ひとつはちゃんと国か何かに保存されている建物で。看板が立っていて説明書きもされている。もう一方は、草むらに残っていて、何も説明書きとかはなかった。中にエロ本とかも落ちてて。何となくそっちのほうが気になって、後日、そこをまた見に行ったら、もう草むらの方の廃墟は無くなっていて駐車場になっていたんです。でも、意図的に保存されている廃墟の方は残っていた。何かしらの歴史的なモニュメントとして残っていれば、そこにどんな歴史があったのか?ってことがわかるんだけど、そこに本当に何も無くなってしまったら、もうそこにあった歴史も無かったことのようになってしまうんだな~って思いました。でも、だからと言って、作為的に保存されたモニュメントは方向性が一方向からだけな感じがして、何かやだなって思ったんです。それで、昔の砲台が示されている地図を、Google Earthとかに照らし合わせて見てみて、「あ!ここに少し遺構が残っている!」っていう感じで探し始めるようになったんです。で、いろいろ探していったら、モニュメントになっていなくても残っているものがゴロゴロとあって。そしたら、実際に見に行ってみる。で、「ああこんな風に残ってるんだ~!」って、発見の火花が散る。そんな体験を重ねていったんです。
今回の港まちでのワークショップも、その火花が散るような体験というものは感じてもらえたらと思っていました。あと、もうひとつ言えることは、よくあるまち歩き番組みたいに知識を持ったガイド的な人がいてやるようなものではなく、参加者みんなで子供みたいに街を使って遊ぶ、そのような感覚を喚起させるようなワークショップかなと思います。
―子供の頃、下道さんもそういう遊びはしていたんですか?
もちろん。出身は岡山で、近くに海や山があるような環境でした。小学校2年生くらいのときに、学校の帰り道って買い食いが禁止されているから、だからここにはアケビがなってるとか、ここにはユスラウメがなってる、とかそういうのを自分で「学校周辺の食べれる実の地図」みたいなのを作って、学校で配っていたら、ひとんちの畑とかも入ってたんで、先生に怒られたりして(笑)。でも、帰り道に明らかに駄菓子屋みたいなのがあるのに、そこで買い食いしちゃダメみたいなのって「なんで?」ってなるでしょ。
―なるほど。常に「何かに抗いたい」という気持ちがあるんでしょうか。
それはあるかもしれないですね。
―最後に、今回の港まちでのワークショップ「見えない風景」
このワークショップの肝は、「
このエリアは、名古屋市の中心から海に下った一番端っこの町。
下道 基行
1978年岡山生まれ。2001年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。日本国内の戦争の遺構の現状を調査する「戦争のかたち」、祖父の遺した絵画と記憶を追う「日曜画家」、日本の国境の外側に残された日本の植民/侵略の遺構をさがす「torii」など、展覧会や書籍で発表を続けている。フィールドワークをベースに、生活のなかに埋没して忘却されかけている物語や日常的な物事を、写真やイベント、インタビューなどの手法によって編集することで視覚化する。現在、豊田市美術館にて展示も開催中。http://m-shitamichi.com/
アッセンブリッジ・ナゴヤ
「アッセンブリッジ/Assembridge」とは、「集める」「組み立てる」
2016年9月22日(木・祝)〜10月23日(日)[予定]
2016年秋「アッセンブリッジ・ナゴヤ 2016」開催
【ART】 9月22日(木・祝)〜10月23日(日)
【MUSIC】 9月22日(木・祝)〜9月25日(日)
会場:名古屋港~築地口エリア一帯
2016年秋に開催する『Assembridge NAGOYA 2016』。世界的に活躍する国内外のクラシック音楽家たちを招き、港まちはこれまでにない規模の音楽に包まれるでしょう。海の見えるガーデンふ頭には、港まちと世界をつなぐキーワード「水」の名を冠した特設ステージ《水の劇場〈ヴァッサービューネ Wasser Bühne〉》を設置し、名古屋フィルハーモニー交響楽団によるオーケストラ特別コンサートなど、祝祭的な野外公演を実施します。現代美術展では『パノラマ庭園』をテーマに、港まち全体を会場に、さらにその規模を拡大しながら、このエリアのリサーチをもとにしたアーティストの新作やプロジェクトなど、さまざまな作品がまちへと入り込んでいきます。この秋、音楽とアートによって世界につながる港まちにご期待ください。