愛知県芸術劇場小ホール(愛知|栄)
―伊藤さんは、自分の作品をつくられるときと、演劇や舞台のために制作されるときで、何か違いはありますか?
伊藤:もちろんありますね。演劇の広い空間の中の映像展開っていうのは映画を撮るときとは全然違いますね。映画をつくるときはスクリーンの中にどう世界をつくっていくか、リニアな時間をどう構築していくか、というのを考えるんだけど、こういう舞台の空間っていうのはそれが横に広がっていく。縦の時間をどう使っていくかということと同時に横の時間をどうつくっていくのかを考えます。全然スタンスが変わってきますよね。
―なるほど。『みちゆき』の映像に関しては、印象的な演出があると伺いましたが、見どころは?
伊藤:そうですね。見どころ…今まだ演出家と模索中ですからね~。探してる最中でね。決定打みたいなものは少しづつ見えてきたんだけど、これから変わる可能性があるから、ここが面白いというのが言えなくて。ただ、横長の大きなスクリーンと縦の小さなスクリーンを斜めに配置した舞台の構造は決まりました。
横長のスクリーンは、通常の白い布のスクリーンではなくて、半透明のビニールスクリーンにしようと。それに後ろから投影するわけです。プロジェクターとスクリーンの間に役者が行ったりするから、スクリーンにシルエットが現れる。そういう空間でつくってるんです。
後ろから投影するから光源がぼんやりと見えて、光がまだらなんです。この作品が、はっきりとは言ってないんだけど、津波の災害を暗示するような要素がたくさんあって、三浦さんも海のイメージにしたいと言っていて。スクリーンの向こうに役者が入ると、水の中にいるようにも見えてくるわけですよ。だから、なんとなくこの作品のコンセプトと方法論が、意外とマッチするかなと思って。色々実験をやって、その瞬間に出てくる面白さを探し出しています。
―では、稽古を重ねるうちにどんどん変わっていっているんですね。
伊藤:気が付いたんだけど、三浦さんの作品って、人物の感情がじんわり伝わってくるような作り方ではなくて、割と言葉が記号的で、肉体を持った人間がしゃべるんだけど、感情がないっていうか、記号のような台詞を機関銃のようにしゃべるっていう作品が多いような気がすると思って。今回の『みちゆき』もそういう感じの作品になるんじゃないかな。
―そうですよね。戯曲の冒頭の部分の台詞が特に、言葉が連続で入ってくる感じがあります。
伊藤:そうだよね。発している人がどういう感じなのかなかなか掴みにくい。だから最初読んだときは言葉遊びみたいな感覚で、感情が掴めなくて困惑したんだよね。
―そもそも、登場人物も人間じゃないものたちかもしれない。
伊藤:そうそう。そういう感じで稽古に挑んで、稽古もまたそういう感じなんです。感情抜きなんですよ。記号なんです、とにかく大きな声でしゃべったりとか。それを見ていてますます混乱が深まった。映像をどうしたらいいのかと思って(笑) でもね、この3日間の稽古で、風景の映像と、カラッとした感情のない台詞を機関銃のようにしゃべっている姿を合わせて見ていると、役者たちの感情が映像を通して見えているような感覚があった。映画でも風景を映すときって、単なる風景描写じゃなくて、登場人物の心象を暗示させることを作家は考えます。孤独な感情を表したいときは、孤独を感じさせるような風景の時間とか光の様子を監督とかカメラマンは選択するわけです。そういう、化学反応が『みちゆき』でも起こり始めている気がするんです。今は記号でしゃべっているんだけど、風景が重なることによって、風景が語り始める。
―小説における風景描写ともリンクしますね。
伊藤:今週の劇場での稽古を見てて面白いなと思ったのが、三浦さんが、(俳優が)どこを見るかみたいなことを、この3日間の稽古で指示していったわけです。役者たちがスクリーンを見たり、役者どうしが見つめあったり、そういう視線の動きが演出に入ってくることで、なんか映画的なまとまった時間とか空間が見えてきたんですね。映像と役者の関係でも、感情が見えてきたりして、なんとなく物語が見えてくる感じがしています。
山本:空間そのものの中に立ち上がってくるものを「体験する」というような作品になると思います。三浦さんが「演劇は皮膚感覚のメディアだ」とおっしゃっていて、『みちゆき』はそれがわかるような作品になるんじゃないか、と。
伊藤:しゃべっていることは相変わらずよくわかんないんだよ(笑) だけど、だんだん視線とか映像が関係しあってくることによって、言葉や意味はわからなくても、「わかる」っていうのを感じるようになってきたと思います。それは、うわっつらの「わかる」とは全然違う体験だと思いますが。
―そうすると、戯曲を読んだだけの印象とは、全然違う感触になりそうですね。
山本:そうですね。読んだときは全然わからなくても、観たら「なんか、感じた」「体感した」っていうようなものになるような気がします。三浦さんが、この作品に関して、何でもかんでもわかったつもりになっている今の社会に対する「本当にわかってんのかよ」みたいな作家の怒りみたいなものも、この作品に入ってるとおっしゃって、そういうものも入って来るのかと。
―確かにこの戯曲を読んで、「今っぽいな」っていうのを感じました。作者の松原さんは88年生まれで、私も89年生まれで同世代なんです。この、言葉が短くて、テンポの速い感覚は、ラップとか、言葉の速い音楽を聴いてきた同じ世代だから、同じリズムに乗れるのかな、という気がして。
伊藤:ラップっていうのは初めて聞いたね。
―そんなことないですか?(笑)
伊藤:ラップ演劇にしておく?(笑)
―でもこれだけ、ダイアローグというか、対話する言葉がぎっしりの戯曲って珍しいですよね?
山本:そうなんです。最近の日本演劇の傾向からすると珍しいタイプの戯曲だと思います。モノローグって言われる、自分のことをひたすら独白するものは若い世代の作品に多くて、戯曲賞にもたくさん応募があるんですけど、そうじゃなくて、こういっても伝わらない、ああいっても伝わらない、でもなんとかその言葉を誰かに伝えたいっていうのをダイアローグでやろうとしている作品はすごく珍しい。そこがたぶん審査員のみなさんが、これはちょっと今の日本には珍しい、稀有な作家だと感じられたのだと思います。
―twitterとか、短いセンテンスをどんどん投げ込むっていうのは、最近の言語感覚だと思うんですけど、その投げ込まれた言葉って短くて意味が希薄だから、どんどん棄てられて流れて、忘れ去られて行く。この戯曲を読んで、そんな言葉たちが、塵の蓄積のように降り積もっているイメージを持ちました。伊藤さんはどんなイメージをもって映像の制作をされたんですか?
伊藤:基本的には死のイメージですよね。そういうものを感じさせるような風景。自分の創作もそういうスタンスでやっているので、そこは繋がるところです。 最初、三浦さんが海のイメージにするって言ったときは、「えー」とか思って。
―あまりにもストレートということでしょうか?
伊藤:最初は違和感を感じたんだよね。ベタすぎちゃって(笑)だけど、いわゆるどこにでもあるような風景が異化していく、違うものに見えていく、っていうことを自分の映画でもやっているんでね。つまり、海を違うものに見せていくっていう挑戦だと思うんですよ。それって結構難しいんですよね。風景だけを延々と見せてもただの背景になってしまう。なにか違う要素が入ってこないと、違うものに見えてこないんですよね。映像の場合は編集という方法で、風景と風景の間に違うものを入れていくわけですよ。それは人物の視線なんですよね。どういう表情でどういう視線にしたら、次のカットが異様に見えるか考える。今回は映像の中に人物のショットは出てきませんから、肉体を持った役者との関係でしか、その映像が異化されていかないわけですよ。今回の稽古で役者の視線が加わることで、初めて風景が異化してきたなという感じです。
山本:今の日本では3.11以降、本当に日常の風景の見え方がガラッと変わった体験を、大なり小なり恐らくほとんどの人がしていて、日常の風景と身体の関係が、舞台上でつくっていくものにたぶんリンクしていくので、お客さんにとって、「分からないけど、分かる。体感する」ものになっていくと思います。
伊藤:あとは音響の効果、光の効果がどう関わってくるかですよね。
2016年9月9日(金) ~9月12日(月)
愛知県芸術劇場ミニセレ
第15回AAF戯曲賞受賞記念公演 『みちゆき』
作:松原俊太郎
演出:三浦基
映像:伊藤高志
出演:安部聡子、石田大、小河原康二、窪田史恵、河野早紀、小林洋平、田中祐気
http://www.aac.pref.aichi.jp/gekijyo/syusai/detail/160909_michiyuki/
会場:愛知県芸術劇場小ホール 名古屋市東区東桜一丁目13番2号 愛知芸術文化センター地下1階
時間:9月9日(金) 19:30~/9月10日(土) 19:30~☆/9月11日(日) 15:00~★/9月12日(月) 19:30~
※開場時間は開演15分前
☆公演終了後、演出家・作家によるアフタートーク有
★公演終了後、‘Theatre Meeting『みちゆき』を語ろう’を開催
料金:一般3000円/学生(25 歳以下・要証明書) 1000 円 (全席自由・整理番号付き)
※未就学児の入場はご遠慮ください。
託児サービスあり、要予約・有料。託児申込・お問合せ:トットメイト(0120-01-6069)
※10名以上の場合は団体割引あり。詳しくは劇場事務局(052-971-5609)にお問い合わせください。
チケット販売:
・愛知県芸術劇場オンラインチケットサービス http://www.aac.pref.aichi.jp/dm/
・愛知芸術文化センター内プレイガイド 052-972-0430
(平日10:00〜19:00/土日祝は~18:00/月曜定休、祝休日の場合は翌平日)
・チケットぴあ TEL:0570-02-9999 [Pコード 451-756]
・地点 http://chiten.org/reservation/index TEL 075-888-5343
地点WEBでご予約いただいたチケットは当日受付にて精算となります。
※購入方法によりチケット代金のほかに手数料が必要になる場合があります。
2016年8月30日~31日
あいちトリエンナーレ2016映像プログラム『三人の女』
舞台構成・演出:伊藤高志
音響構成:荒木優光
監督・構想・撮影・編集:伊藤高志
映像出演:石倉直実、田中志朋、宝来麻耶
撮影協力:米倉伸
実験映画撮影:ジョン・ピロン
協力:京都造形芸術大学 共同利用・共同研究拠点
会場:愛知県芸術劇場小ホール
時間:8月30日(火)17:00/18:30/20:00
8月31日(水)11:00/13:30/15:00/16:30/18:30
http://aichitriennale.jp/artist/itotakashi.html
チケット:あいちトリエンナーレ2016国際展チケットを提示
優先予約:下記メールアドレスに件名:『三人の女』希望、①お名前、②お電話番号③鑑賞日時を記載してお送りください。
filmprogram@aichitriennale.jp
主催:あいちトリエンナーレ実行委員会
TEL:052-971-6111 Email:filmprogram@aichitriennale.jp
松原俊太郎
1988年5月生。熊本県熊本市出身。神戸大学経済学部卒。ベケットとジョイスに出会い、傲慢にも小説を書き始める。5本ほど書き終えるも箸にも棒にもかからず、東京で派遣社員として労働。出会いにのみ救われ、1年間で辞職。地点 『ファッツァー』で演劇と出会う。エッセイなどをものしながら各地を転々とし、京都に歓待される。戯曲を書き始め、『みちゆき』で第15回AAF戯曲賞大賞を受賞。引き続き、京都で文筆に勤しむ。
伊藤高志
1956年福岡市生まれ。九州芸術工科大学在学中に、実験映像作家松本俊夫ゼミで製作した写真アニメ『SPACY』(1981年)で鮮烈なデビュー。以降、日本を代表する実験映像作家として数々の映像作品・映画を手掛ける。1999年、演出家・太田省吾と共に京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科の創設に関わり、近年はダンサーとの共同作業による舞台芸術作品も多数発表している。現在、九州産業大学芸術表現学科教授。主な作品に『ZONE』(1995年)、『最後の天使』(2014年)、『三人の女』(2016年)など。
地点 CHITEN
演出家・三浦基が代表をつとめる。既存のテキストを独自の手法によって 再構成・コラージュして上演する。言葉の抑揚やリズムをずらし、意味から自由になることでかえって言葉そのものを剥き出しにする手法は、しばしば音楽的と評される。これまでの主な作品に、チェーホフ『かもめ』『三人姉妹』、ブレヒト『ファッツァー』、イェリネク『光のない。』『スポーツ劇』など。2005年,東京から京都へ移転。2013年には本拠地・京都に廃墟状態の元ライブハウスをリノベーションしたアトリエ「アンダースロー」を開場。レパートリーの上演と新作の制作をコンスタントに行っている。2011年にモスクワ・メイエルホリドセンターでチェーホフ『桜の園/ワーニャ伯父さん』を上演。 2012年にロンドン・グローブ座からの依頼で初のシェイクスピア作品『コリオレイナス』を上演するなど、海外での評価も高い。