FEATURE:スコーレ映画塾|募集期間:2025 年4 月 各講座開催日前日まで
「自分の映画を作ってみたい」。
映画好きなら、おそらく誰もが一度は考えるであろう、その願いを叶えることができるのが、「スコーレ映画塾」だ。
若松孝二監督が創業者であることで知られる、名古屋の老舗映画館・シネマスコーレ。「単館系」や「ミニシアター」と呼ばれる、インディーズ映画に特化した映画館の代表的な存在として、名古屋はもちろん全国のコアな映画ファンに熱い支持を受ける映画館だ。
このシネマスコーレの名物支配人として知られ、実写映画化(「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」)もされてきた、映画界の著名人の一人であり、元・支配人で現・代表取締役の木全純治(きまたじゅんじ)が立ち上げたのが「スコーレ映画塾」。同塾では、映画制作の技術的な基礎を学ぶことができ、さらに実際に映画制作を実践し、最終的にシネマスコーレで上映することも可能!というものだ。
半年ごとに、映画制作に纏わる様々な講座が開講される「スコーレ映画塾」。現在、次期(第五期)生を募集中の塾長!?木全純治と、前回第4期生としてこの塾に参加した二人の生徒(大石さん、江藤さん)による対談を実施。「スコーレ映画塾」の成り立ちやそこに込められた木全さんの思い、映画を観るだけでなく作ることの魅力について語ってもらった。
SPECIAL INTERVIEW:
木全純治(シネマスコーレ)
Interview,Text & Edit:Takatothi Takebe[LIVERARY]
Photo:Naruhito Ito
写真左から、大石さん、木全さん、江藤さん。
ー映画制作を教える企画は20 年前から行われていたとのことですが、木全さんは、そもそもなぜこの映画塾を始めようと?
木全:僕は映画館の興行の仕事を長年してきた中で、映画のことをもっと知りたいってことをずっと思っていて。特に15年前くらいから「鑑賞者側ではなく、作り手の立場に立ったらどう見えるのか?」っていうことを考えていました。もちろん今までに映画はたくさん観てきてはいたのですが、「自分で作る」ってことはしていなかったので。自分で作ってみたら、もっと映画のことを理解できるんじゃないかな、と。それと、カメラや録音機材などの撮影に必要な機材が、昔よりも小型・軽量化され、金額的にも手軽に手に入る時代が来て、言ってしまえば簡単に誰でも映画が撮れるようになってきたっていう変化もありますね。
ー木全さん自身が映画作りを学びたい!という思いが起点になっていて、みんなも一緒に映画作りを学ぼうよ!みたいなノリが最初からあったってことでしょうか?
木全:そうそう。映画っていうものは、そもそも1人で作ることはできないものですからね。個人ではなくて、集団で物作りをするっていうところも映画を作る上で、結構面白いポイントだなと。集団で作ることによる化学変化が起きて、より面白い作品になるんじゃないかなって思いもあって、塾という形を取った。
ー木全さんがシネマスコーレで勤められる前、例えば学生時代とかは映画作りについては別に勉強はされてなかったんです?
木全:はい、僕は単なる映画好きでしかなかったんですね。大学を出て、最初は東京の映画館に勤めまして、その後、若松孝二監督の元、シネマスコーレで支配人になった。だから、ずっと興行側なんです。大学生のときは「映画監督になりたい!」という思いももちろんよぎったりはしてたんですが、いざ映画の興行に入ってみたら、これが意外と面白くって。例えば、3、40年前って「名画座」(=主にロードショーとしての公開を終えた作品や、過去に上映された作品を上映する映画館)っていう文化があって。いろんな映画を選んでそれを低料金で上映するという時代もあったんです。その後、ビデオが発売されることによって名画座という存在が取って代わられるっていう時代が来るわけです。
ーそんな時代があったんですね!
木全:そうそう。で、シネマスコーレの名画座時代もあったんですが。僕は、とにかくずっと鑑賞者側で、いわば一般のお客様と同じ目線で映画を選んでたわけですね。今のシネマスコーレのようなインディーズ映画の興行を始めて10年ぐらい経った頃、アジアの映画監督たちとの付き合いができまして。そういうインディペンデントな方々と話をしていくうちに、「あれ、想像していたよりも、映画っていうものはそんな大きな形でなくても作れるんじゃないか」っていうことに気づいたんです。それが、90年代の頃で、結局2000年代に入って結実し、映画塾をやり始めることになるんです。
ーシネマスコーレさんといえば、インディーズ映画の中でも特にアジア映画に特化してるイメージです。その当時、映画作りの話をされた監督って具体的に誰なんですか?
木全:「太陽の少年」とか「鬼が来た」っていう映画を撮った中国のチアン・ウェン監督や、「恐怖分子」「クーリンチェ少年殺人事件」などで知られる台湾のエドワード・ヤン監督をまだ彼らが有名になる前の頃にお呼びしたりしてまして。彼らとコミュニケーションをとる中で、ひょっとしたら自分たちも映画作りができるんじゃないかなっていう感覚を受けたんです。
ーなるほど。ちなみに、木全さんがアジア圏の映画監督に特に興味が向いた理由って何かあるんですか?
僕はそもそもアジアの映画監督にしかあまり興味がなくって。欧米の映画も別に見ますけど、興味はないんですよ。あ、興味がないって言ったらちょっと語弊があるんですけど(笑)。観るだけでもう満足っていうか、それ以上深く交わりたいっていう気持ちは起きないんですよ。アジアの監督と日本の監督に対する共通の嗜好性が僕はあって、スコーレではもう40年、一貫してアジア映画をやり続けてきました。
ーアジア映画って何か明らかに欧米の映画と違いますよね。なんていうか、我々日本人が観た時の感じ方が違うというか。それって何でなんですかね?
木全:多分その理由は、儒教の精神的な背景が日本人との大きな共通点としてあるからじゃないかなって思うんです。キリスト教とかプロテスタントやイスラムの世界とは違うというか。さらに根本いくと仏教になるんですけど、そういうやっぱりアジア人の中の精神的な根底の部分が、日本人と繋がってるっていうか。だから、アジア系の海外の監督たちは僕の中で、隣に住んでる人ってくらい近い感覚で、西洋の監督たちは遠くに住んでる人っていう感覚なんです。
シネマスコーレ外観と木全さん
ーなるほど。確かにそういう根底の部分が、映画だけの話でなく、文化や生活などに全てにおいて知らないうちに影響しているから親近感が湧くというわけですね。そういったアジア映画の監督たちとの繋がりを構築していった中で、自分でも映画を撮ったらどうなのか?っていうの気持ちが徐々に芽生えていった、と。ついに、2000年代に実際にやり始めることになった?
木全:今の「スコーレ映画塾」の前身は、NHKの文化講座の一環として始まったんです。たまたま知り合いから、NHKが映像系の講座を作りたいという相談を受けまして。そこで僕は、講義を受けるだけの講座ではなくて、映画を作ることができる映画塾にしようと提案したんです。それが通って、実現したのが始まりですね。
ー木全さんがやりたいと思っていたら、ちょうどよくそういう話が来たってことですね。
木全:はい、そういうことです。その形で始まったのが、2007年でしたね。で、実際やってみたら、生徒の皆さんは映画を撮るから外にロケしに行くわけで、教室はあんまり使わなかったんですよ。で、許可をもらってましたが、NHK館内で自由に撮影をし過ぎていたら、「もうこんなことやるんなら、出ていってください」って言われてしまって(笑)。
ーNHKとしては、映像の講座をやってほしかっただけで、教室で大人しく座学だけしていてほしかったわけですね?
木全:そうです。で、こっちも意地になって、「映画を作るんだから、外へ出ていかなきゃいけないでしょ!」って反論して(笑)。結局、話し合いをしても埒があかず……ここはもう限界だと感じてやめました。ただ、場所がなくなるのは困ったな〜と。その頃には、今も撮影で入ってもらっているカメラマンの伊藤さんとか、初回から来てる岡本さんという方とか、ある程度仲間ができていたんです。だから、みんなで一緒に「スコーレ映画塾」をスコーレに作ろう!ということになって、今の形に。NHKを出た翌年にはもうスコーレの建物内に映画塾を作っていました(笑)。
ーすごい行動力(笑)。では、続いては、最近生徒として映画塾に参加されていたお二人に話を聞いていきたいと思います。ちなみに僕はスコーレさんで映画を観たことはもちろんあったんですが、映画塾の存在は恐縮ながら知りませんでした。二人は、どういうきっかけで入塾されたんでしょうか?
写真左から江藤さん、大石さん。どちらも普段は会社員として働きながら映画塾で映画制作に携わったのだそう。
江藤:私の場合は、友達がチラシを見せてくれたのがきっかけですね。こういう映画を作る塾があるみたいだよって。で、面白そうって思って、その場で入るの決めたんです。もともと、映画はすごく好きで。他にも、音楽とか絵とかなんかいろいろやってたんですけど、映画も一つの技術じゃないですか。なので、単純に新しいことにチャレンジしたいなと思って、映画作ってみよう!って思って入った感じです。
大石:私は、映像編集のことを学ぶんだったら、映画制作するのも楽しそうだなって思って入りました。私は江藤さんみたいに、ものづくりみたいなことは縁がなくって、そういう作ることの楽しさは、映画塾に入って知りましたね。最初、映像編集の学校みたいなのをネットでいろいろ調べたら、とにかくどこの学校も全部高くて。20、30万とかしちゃうような、就職に繋げるための学校のようなところしかなくて。で、その中で「スコーレ映画塾」はかなりお値打ちな金額設定だったんです(半年で2本の映画を作る「6ヶ月コース」3万円のコースや、1年間で1本の映画を作る「1年コース」6万円まで、受講料も期間も様々用意されている)
江藤:そうそう!安かったんですよ。それも結構決め手でした。
大石:でも、江藤さんは分割で払ってたよね(笑)。
ー分割払いもできるんですね!優しい。
木全:そうです。1年コースだと毎月12回分の講座と撮影の日があるので+2回の計14回のコースになってまして、受講料は6万円なんですが、分割で3万円ずつ払ってもらうことができます。
江藤:分割があったから私は入れました(笑)。
ーちなみに、「シネマスコーレの映画塾」ってちょっとアングラなイメージもある気がするんですが、二人は入塾される際、特に何の抵抗なかったんですか?
大石:映画塾って、私のイメージだとほとんどの人が脚本とか監督志望の人が多いイメージだったんですけど、でもみんな入ったきっかけは私みたいにちょっとカメラを触れるようになりたいとか、映像編集できるようになりたいみたいなきっかけの人が多かったのはギャップでした。あと、私はシネマスコーレに映画を観に来たことが何回もあったんで、やっぱり何となく結構年上の男性客が多いイメージがあって。だから、最初は映画塾もそういう年齢層の男性が多いのかなっていうちょっと不安な気持ちもあったけど、入ってみたら江藤さんみたいな私と同じくらいの若い人が結構いたので安心した記憶があります(笑)。
江藤:結構いるよね。本当にいろんなバックグラウンドの人がいるのも面白いですね。私たちのような社会人もいれば、大学生がいたり、あと中学生も!(笑)。
木全:うちの塾に来てるのは、下は中学生から上は70代までいるんですよ(笑)。
ーめちゃめちゃ年齢層幅広いですね!その中学生の子は、今どうなったんですか?
木全:彼は、高校進学が決まって。今年も映画塾に応募してくれたんで、戻ってきます。
ーすごい!
木全:「映画制作コース」では最初に脚本のプレゼンをやって、塾生同士で人気投票してその結果、一番票を得た人が監督をやる、その他の人たちは音声とかカメラとか編集とかってそれぞれの役回りで映画を撮るっていうルールになってるんですが、その子は中2で監督してました!
考えてきた脚本を出し合う、プレゼン大会の様子
ー将来、有望ですね。
木全:その彼をみんなで、それこそ70代の方もみんなでサポートして映画を一本作るんです。すごいでしょう。だから年齢も性別も全く関係なく、どんなバックグラウンドの人でも入れるってのがうちの面白いところなんです。
ーちなみに、その中学生の彼はなぜ「スコーレ映画塾」へ?エドワード・ヤンとかそういうインディー映画も見てるってことですか?
大石:その子のお父さんの影響だったと思います。あと、中学生の女の子もいて、その子は役者になってみたいって子でした。そういう役者志望の子もちょいちょいいますね。映画業界気になるけど、進むかどうか迷ってるみたいな。なら、一回ここで経験してみて、考えたいみたいっていう考えだったみたいです。
木全:NHK文化センターのときはかなり年齢層高かったんですが、ここ2、3年でどんどん若い人が増えてきてますね。映画に興味ある人は誰でも入れるっていう中で、そういう子たちが来てくれるようになった。
江藤:映画めっちゃ詳しい人もいれば、全然映画知らないじゃんみたいな人もいて。そういう人はとにかく何か新しいことに挑戦したいとか、新しい知識を身につけたいっていう感じですね。
ーちなみに、若い人たちが将来的に本当に映画業界で活躍するような流れも生み出せたらっていう思いはあるんでしょうか?
木全:やっぱりそういう業界に就職したりしてもらって、将来に繋げていきたいとは思っています。でも、なかなか名古屋は難しい。東京だと現場と密接な距離なんですが、名古屋の場合は現場と近くないんですよ。だから、ある程度ここで学んでから、志が高い人はやっぱり東京の映像や映画の専門学校に行っちゃいますね。上京して映画の制作に入ってる子もいますけどね。まあ、そういうところがやっぱりまだまだ課題ですかね。だから、もっと映画・映像業界とも密接に繋がって、仕事に繋げていける場所にしたいなという思いもあります。
ー名古屋だと映画・映像業界に限らず、なかなかクリエティブな仕事に就くって難しいイメージですよね。
木全:名古屋だと、テレビ番組の製作会社とかは結構あるんですけどね。そんなに働ける枠があるわけではないんで。あと、名古屋の芸大だったり専門学校がそういうところと強い繋がりを持っていたりするんで、将来的にはうちの映画塾もそういうところに送り出したいっていう思いはあります。ただ、彼女たちもそうなんだけど、既に社会人として成り立ってるとなると、大きい転職になるじゃないですか。そこは年齢もあるし、そこのギャップがやっぱりどうかなってのも思ってしまいますね。
江藤さんは美術で、大石さんは音声で関わった映画「asymmetry」の制作風景より
江藤:私は今の仕事も好きなので、仕事を辞めてまで映画の道へっていう気持ちはないですね。趣味で映画を作って、何かの賞を取れたらラッキー!くらいの感覚です。
大石:私も同じで、全然映画業界にがっつり入りたいっていう感じはなくて。今の社会人生活が安定しているってのが大きいですね。でも、映画塾がきっかけでいろんな現場とかに入らせてもらうこともあるんですけど、体力仕事だし、収入も波があるっていう現実的な厳しさも知ってしまったってのもあります。でも、考え方によっては、自分の無理ない範囲で業界に少しだけ携われるっていうのは、おいしいどころ取りができているような。実際にそういう現場に入らせてもらうには、本当はちゃんとそこに所属して働かないと体験できないことだとも思うんですが、本業がお休みの日に撮影現場に入るぐらいの関わり方が自分にはちょうどいい気もしています。
ー2人のように働きながら映画を作り続けるっていうのも、なかなか新しい人生の楽しみ方かもしれないですね。先ほどの木全さんが、映画を見る側から作る側の視点になることで、映画をより深く知れるんではないか?っていう話があったと思うんすけど、お2人は何か変わったりとかありました?
大石:私はめちゃくちゃ変わったと思います。映画塾で編集を学んでからは、編集をした人の視点で映画を観ていて。ここは苦労しただろうな、とか、ここは多分気持ちよく決まったって思ってるだろうな、とか。あと、何気なく見てたカメラワークの凄さに気が付けたり、逆にこれはどうやって撮ってるんだろう?とか想像しながら観ちゃいますね。ホラー映画とかも見てても、映画塾の撮影でも血糊を使ったりしたこともあるんで、その時の楽しかった現場のことを思い出して、今観てる映画のスタッフさんたちも楽しかったのかな〜って想像したり。
江藤:私は脚本と監督を経験したので、普段見ている映画の凄さをより実感するようになりましたね。去年、ヨルゴス・ランティモス監督の「憐れみの3章」を観たんですが、どうやったらこんな脚本を思いつくんだろうって。と、同時に、私もこんな面白い脚本を書けるようになりたいって意欲が湧きました。
「憐れみの3章」世界を未体験の興奮と感動に導いた、アカデミー賞(R)4部門受賞『哀れなるものたち』の監督・キャスト・スタッフ再集結した話題作。
ー脚本については、もはやセンスだと思うんですが、そこはどうやって教えるんですか?
木全:センスについては、教えられないですね。もうその人の持ってる個性だから、そこは教えるもんじゃない。その個性を映画作品に発揮できるように、映画塾は表現の手法や作り方の技術を教えるってのが役割ですね。
ーなるほど。でも、仮に映画の専門学校行ったとて、結局センスを磨くってのは自分次第ですもんね。木全さん自身も最初は映画を作ったことない素人側だったわけじゃないですか。じゃあ、どうやって映画作りの教え方を学んだんでしょうか?
木全:実は11年前、中川運河をテーマに、僕がプロデュースする形で短編映画を18本作ったんですよ。何でそういう企画をしたかっていうと、東京から映画制作のプロたちを呼んで撮ってもらった。その現場に僕は全部ついてまわって、身体で学んだわけですよ。ゲスト監督みたいな感じで東京からいろんな方々を呼んで。
ーへえ!その中川運河をテーマにした映画自体が気になります。
木全:ちょうど3月29日から、井上純一監督が撮った「いきもののきろく」というタイトルの中川運河をテーマに撮った短編を上映するんです。井上純一監督がシネマスコーレの事実を映画化した「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」が非常に評判になりまして、「いきもののきろく」も1度だけ東京で同時上映したんです。そしたら、そっちもすごい評価されて、11年前の映画が日の目を浴びることになったわけです。
「いきもののきろく」3月7日(金)より、東京・テアトル新宿ほか全国で順次公開。キャスト:永瀬正敏、ミズモトカナコ/原案:永瀬正敏/脚本・監督:井上淳一
ーお〜すごい!
木全:あと、2018年に公開された映画「デッドエンドの思い出」を韓国と合作したりもしました。そういう形でプロと一緒に映画作りをやってきたノウハウをもとに皆さんに教えています。プロと一緒にやることによって、僕自身のレベルも相当上がってきてるんです。だからこの講座は、本当に各映画祭で賞を取れるところまでは持ってはいける、という自信はありますね。
ー木全さんが映画作りを教える上で、常に大事にしているポイントってありますか?
木全:これは、牧野省三監督が言っていた言葉なんですが、映画ってのはとにかく「1筋2抜け3動作」って言ってるんです。「筋」は脚本・ストーリーの部分ですね。「抜け」は映像の抜けですよね、これは監督を指してもいます。「動作」は俳優と演技です。この脚本・監督・俳優の三位一体になることがやっぱり一番大事だと常に教えてますね。あとは、起承転結を必ずつけるっていう、これも基本です。もうそれだけですね。あとはそこから自分がどうしたいか?ですが、いろいろ参考になる映画を見せたりとかもしながら教えていますけど、最近の人は映画をあんまり見てないんです。映画館で映画を観ていない。これはすごい問題点です。
ーそんな人たちもいるんですか?!塾に入るのにはテストとか無いんです?
木全:それは設けてないので誰でも入れるのがうちの特徴です。先着順で定員になったら締め切ります。
ーそれだとレベルの低い人も入ってきてしまって、木全さんがおっしゃっていた賞を取るような人や映像業界に進みたいって人を輩出したいっていう話とギャップがある気がします。入る前に審査というか入塾テストみたいなのやった方がもっと優秀な人が集まるんじゃないですか?
木全:そういう選抜チームみたいなのを作るってところまでまだまだ僕らは至ってないというか、賞取るぐらいの人を輩出してから、ようやく名門塾みたいな風に受け取ってもらえるんじゃないかな、と。これからですかね。
ーでは、お二人に映画制作の苦労話も聞いてみたいんですが、実際に平日は毎日会社で働きながら映画作りもする、っていう生活が楽しいとはおっしゃってましたが、その反面、やっぱり大変じゃなかったですか?
江藤:私は仕事の合間だったり、週末にちゃんと映画制作のための時間を取ってましたけど、監督はやっぱりきついっちゃきつかったですね。監督を初めて体験した時に、一番大変だったのは、ロケ地を押さえたり、衣装を準備したり、今誰に何をお願いしたりいいのか?とかっていう段取りの部分ですね。全員に役割分担をして、やってもらう仕事を回していくスキルが必要で。どれぐらい前に誰にこれをお願いしたらいいんだろう?とか、これは自分でやった方がいいとかっていう塩梅みたいのがわかんない。とにかく今の目の前にあるやらないといけないことを100%のクオリティにするために時間を費やしてしまったり、そうしている中で挫折して離れていってしまう人も出てきたり。
ー仕事でもないのに、ただプレゼン大会で脚本が通った知らない人のためにどうしてこんなに頑張らなきゃいけないんだ?ってなっちゃう人も出てきますよね。そういうチームワークの大切さみたいなところを学べた?と。
江藤:そうですね。映画作りに臨む中で、ちょっと心が強くなりましたね。あと、そういうチームワーク作りみたいなことももちろん副産物的に学べましたけど、やっぱり色々あったけど、最後になんとか形にできて、上映されたあの瞬間は何とも言えない気持ちでいっぱいになりますね。
大石:自分は江藤さんの監督作品に映像編集として関わったんですけど、自分が関わった作品が普段見に来てる映画館のスクリーンで上映されて、大勢のお客さんたちがお金払って見に来てくれて、席が埋まった光景を見た時は胸が熱くなりましたね。別に監督という立場で関わってなくても、編集で関わってもそのときにはもう自分の手がけた作品ぐらいに、監督と同じように嬉しい。つらいことも結構ありますけど、でもあの瞬間を体験してしまうと、なんかもう次ももう一回頑張ってみよう!って気持ちになっているんですよね。
木全:僕は、決して監督中心主義ってわけではなくて、編集でも、録音でも、照明でも、映画作りに携わってもらうことで、映画っていうのはこんなに作るのが面白いんだ!っていうのを映画塾で体験してもらえばいいと思っていますね。
江藤さんが脚本・監督を務めた映画「闘争のあいまいな対象」のスタッフ集合写真。この作品で、大石さんはキャストの一人として参加。
ーちなみに、大石さんのような映画作りにハマってしまったリピーターの塾生も結構多いんでしょうか?
木全:コースにもよりますが、全体の4割くらいですかね。ちょうどいいぐらいに人が入れ替わって新陳代謝してますね。
ーでは最後に、次期の募集に向けて新設されたコースについて教えてください。
木全:初心者向けの手厚いサポートと基礎的な部分にフォーカスした「初心者コース」が一つ。あと、今までは土日を使ったスケジュールにしてたんですが、それだと来れない人のために平日の夜に参加可能な「夜間コース」を開設しました。「初心者コース」については、初めて参加されようとする人から、どのコースに入ればいいか?わからないっていう声もあって、それでわかりやすく作ったということです。今まで「映画制作6ヶ月コース」と呼んでいた方のコースを「アドバンスコース」として初心者の方と、そうでない方を分ける試みもトライしてみようと。
ーなるほど。じゃあこの記事を読んだ方でちょっと試しに参加してみたいなって方はぜひ「初心者コース」へ!って感じですね。ちなみに、「スコーレ」って調べたらイタリア語で「学校」っていう意味だったんですけど、これって映画塾をやる前からこの名前だったのは、もしかしていずれ塾を開くための布石だった的な?
木全:いや、全然それはたまたまなんです!偶然、そういうネーミングを若松孝二監督がつけたんですよ。でもまあ、若松孝二自身が、どんどん若い人とか誰でも入れる映画館にしたかったっていう思いはあったと思うんで、結果今僕がやってることに繋がっている、とも言えるかもしれませんね。でも、偶然!単なるラッキーです!(笑)
木全さんのユニークな人柄と膨大な映画への知識と愛情もこの映画塾の大きな魅力となっているだろう。映画好きなあなたもそうでないあなたも一度、「スコーレ映画塾」に参加してみてはいかがだろう。きっとここでしか得られない貴重な体験と共に、映画作りを通して生まれる新しいコミュニティや仲間もできるのではないでしょうか。
スコーレ映画塾
募集期間:各講座開催日前日まで
映画制作1年コース
30分前後の短編映画をじっくりと 1本制作する中で、各地で開催される映画祭にエントリーし受賞を目指します。
開催日時:4月〜2026年3月まで毎月第2土曜日 13:30〜15:30(9月のみ第1土曜日13:30〜15:30)
講師 :
木全純治(スコーレ映画塾 塾長)
田中広子(スコーレ映画塾 ディレクター)
受講費: 60,000円(一括払い・税込) ※2回分割払いもあり(4月・10月払い/32,000円ずつ)
映画制作初心者6ヵ月コース
映画制作が初めての方のためのコース。脚本づくりから撮影、編集までを基礎から親切丁寧に指導します。
開催日時:4月〜9月まで毎月第3土曜日 10:00〜12:00
講師:
岡本昌司(スコーレ映画塾 ディレクター)
岩崎賢作(スコーレ映画塾 アシスタントディレクター)
受講費: 30,000円(税込)
映画制作アドバンス6ヵ月コース
10分前後の短編映画を 2本制作する中で、より高度なテクニックを学びます。
開催日時:4月〜9月まで毎月第4土曜日 13:30〜15:30
講師 :
伊藤成人(スコーレ映画塾 プロデューサー)
山本弘之(スコーレ映画塾 アシスタントディレクター)
受講費: 30,000円(税込)
映画制作平日夜間6ヵ月コース
毎月第2・4木曜日の夜に、脚本づくり、撮影、編集など映画づくりの基礎から学びます。
最小開講人数: 8人
開催日時:4月〜9月まで毎月第2・4木曜日 19:00〜21:00
講師 :
木全純治(映画制作基礎)
伊藤成人(脚本・撮影・編集)
岡本昌司(プレゼン大会・録音)
田中広子(プレゼン大会)
大石理紗子(編集)
武田周(撮影)
受講費: 60,000円(一括払い・税込) ※2回分割払いもあり(4月・10月払い/32,000円ずつ)
映画撮影6ヵ月コース
撮影の基礎と実践を通して撮影テクニックを学びます。
開催日時:4月〜9月まで毎月第3土曜日13:30~15:30
講師:伊藤成人(スコーレ映画塾 プロデューサー)
助手:山田雅和(スコーレ映画塾 アシスタントディレクター)
受講費:35,000円(税込)
いとう菜のはの 映画・ドラマ脚本3ヵ月コース
脚本の基礎を学びながら短編映画作品の脚本を一人一人が完成させます。
開催日時:4月〜6月まで毎月第4土曜日 10:00~12:00
講師 : いとう菜のは(脚本家・日本放送作家協会 理事)
受講費:18,000円(税込)
間瀬英正による映画俳優3ヵ月コース
映画・映像における演技の基礎を学びます。
開催日時:7月〜9月まで毎月第4土曜日10:00~12:30
講師 : 間瀬英正(俳優)
受講費: 3回講座18,000円(税込) 1回7000円(1回のみの参加もOK・税込)
川瀬陽太の映画俳優ワークショプ
数々の映画・ドラマに出演する人気俳優から映画の演技について学ぶ特別講座です。
開催日時:6月7日(土)10:00〜16:00
講師 : 川瀬陽太(俳優)
受講費: 1回講座8,000円(税込)
詳細:スコーレ映画塾
木全純治(きまたじゅんじ)
シネマスコーレ 代表取締役。1973年、同志社大学文学部卒業後、池袋文芸座に入社。文芸地下の日本映画を担当する。83年、若松孝二監督の誘いにより、シネマスコーレ支配人となる。当初は名画座で出発するが、新東宝封切りを経て、86年から日本のインディペンデント映画や、中国、韓国、香港映画を上映するミニシアターとして、現在に到る。