FEATURE:ART in MINO 土から生える2024
美濃焼の産地を舞台とした現代アートプロジェクト「ART in MINO 土から生える 2024」が、11月17日(日)までの間、岐阜県の多治見・土岐・瑞浪の3市6会場にて開催中だ。
このアートプロジェクトは、2008年に開催され、16年の時を超えて復活開催となる。
取材を回る中、最も感じたのは、どの会場もその場の持つ力が強く宿っているということだ。中には2008年に開催された空気がそのまま残っているような場所も。圧倒されるほどの磁場を持った各会場に、それぞれ参加作家らが対峙し作品を制作していった結果、どういった作品が生まれたのか……(それに関しては、まず自分の目で見てもらうしかないだろう)
今回「LIVERARY」では、本展の芸術監督兼参加作家の一人、安藤雅信、監修を務めた高橋綾子、アドバイザーであり同じく参加作家の一人でもある森北伸の3名による鼎談を敢行。
現在は地域興しのトレンドの一つともなっている、行政主導の「芸術祭」とは一線を画す、あくまでインディペンデントな形を貫いた唯一無二のアートプロジェクト「土から生える」とは、一体何なのか? その起源となる2008年から復活・更新を果たした2024年へと、過去と現在を行き来しながら話は2時間強にも及んだ。
過去から現在、そして未来へ「土から生える」は何を投げかけ、何を残すのか。彼らの想いを訊いた。
SPECIAL INTERVIEW:
安藤雅信、高橋綾子、森北伸
FEATURE:ART in MINO 土から生える2024
Interview, Text & Edit:Takatoshi Takebe[LIVERARY]
Movie:Ryosuke Sato
Cooperate:Masafumi Mizuno[Zuno]
安藤雅信 (「土から生える 2008」企画者 /「土から生える 2024」芸術監督 兼 参加作家 )
1957年岐阜県多治見市生まれ。武蔵野美術大学彫刻学科卒。和洋問わず使用できる千種類以上の日常食器と茶道具、彫刻作品を制作。生活工芸を中心に海外でも個展開催。新しい茶の湯と交種茶会を国内外で催している。1998年、「ギャルリ百草」開廊。企画展を通してアート・工芸・古道具の境界のない世界を展開。2008年、アートプロジェクト「土から生える」を企画開催。
高橋綾子 (「土から生える 2008」共同企画者 /「土から生える 2024」監修 )
岐阜市生まれ、北海道大学文学部行動科学科卒業。 愛知芸術文化センター(愛知県文化情報センター)学芸員を経て2001年より大学教員となる。 2003年に創刊(2002年創刊準備号発行)した、芸術批評誌『REAR(リア)』の編集制作を中心に、美術評論と編集活動を継続。現在、名古屋造形大学教授。
森北伸 (「土から生える 2008」参加作家 /「土から生える 2024」アドバイザー 兼 参加作家)
1969年 愛知県生まれ。現在、岐阜県多治見市在住、拠点とする。大学で彫刻を学んだ後、作品の発露としてドローイングを重ねながら、絵画と彫刻を現在まで制作しており、近年では、様々な相対的事象を往還しながら制作を重ねることで、エフェメラルな作品として成立させている。現在、愛知県立芸術大学 教授も務める。
ーまずは、「土から生える2008」開催の経緯やきっかけについて、教えてください。
安藤:きっかけを作ったのは僕なんですけど。まず、多治見には、1986年から「国際陶磁器フェスティバル(※)」っていう、3年に一度開催される国際的な陶磁器のデザインコンクールがあって。
(※日本を代表する陶産地である岐阜県多治見市・瑞浪市・土岐市・可児市を舞台に、1986年から3年に1度開催している〈世界最大級の陶磁器の祭典〉とされている)
僕自身は、陶芸にしろ、デザインにしろ「コンクール」という形式でその価値を計れるものではないと思っていたので、それを行政が大金を使って、世界中から作家を集めてっていうやり方をしていたことに対しては、「今時まだそんなことやってるのか?」とは疑問視していたんだけど。2005年にその「国際陶磁器フェスティバル」のアドバイザーをやらないか?っていうオファーをもらって、これは変えられるチャンスだ、と。そこで、外部からもう一人アドバイザーを選べるっていう権限が与えられた際に、高橋綾子さんに声をかけたのが大きなきっかけ。
ーなぜ、高橋さんを選んだんですか?
安藤:高橋さんは芸術批評誌「REAR」というのを出していたんで、あれはアートへの愛がないとできないなって最初からわかってたんです。自分たちのためにやるっていうよりは、少しでも東海地区を変えていきたいって思っていた。それは高橋さんからも感じていた。
僕は現代美術を学んできた身として、現代美術の風をこの地にどうにか吹かせたいなとは思っていた。だから、自分で現代アートギャラリー「ギャルリ百草」を多治見でやり始めたんですけど。高橋さんとは百草で知り合って、その頃から、「現代美術の風をこの土地にどうにか吹かせたい」という思いを伝えていたので、高橋さんもその気持ちをわかってくれてアドバイザーとして参加してくれたと思います。
ギャルリ百草(多治見)
安藤:でも、多治見市の職員の方たちには、僕の「変えたい!」という思いは、なかなかわかってもらえない状況でした。そもそも、街をあげてみんなで「国際陶磁器フェスティバル」を盛り上げよう!という気運には欠けていたし、瑞浪市や土岐市は参加はしているけれど、会場が多治見市だからなんかひとつになりきれていない感じを受けて……。だから、もう「国際陶磁器フェスティバル」自体を変えるんじゃなくて、もうひとつ別軸で、三市を盛り上げるいい方法を思いついた。それが、多治見、土岐、瑞浪三市の焼きものに関する場所を会場として使う現代アート展、という「土から生える」につながるアイデアでした。
焼きものって、山から粘土を掘って、精製し、焼成して、販売して……と分業制が当たり前で、それぞれの工程でのそれぞれ作業場がある。だったら、その場所ならではの魅力を引き出す意味でも、その場所じゃないと成り立たないサイトスペシフィックな作品を作家に作ってもらって展示するという展覧会を思いついたんです。
僕は以前から「現代美術とか工芸とか古道具とかっていう境界線を取っ払いたい。それらは全て一括りにアートである」と思っていました。その前提のもと、「土から生える」を構想した際の作家の選抜においては、高橋さんに現代美術作家を選んでもらい、僕は工芸作家の中から現代美術的な人を選んだ。その中の一人が、古道具の坂田和實さん(土から生える2008、2024参加作家)という物を作らないけれど、目利きの仕事人であり、現代アートでいうところのマルセル・デュシャンのような立ち位置の人として人選をしたりしました。
坂田和實/1945年、福岡生まれ。2022年、死去。東京目白「古道具坂田」店主。「他人の価値観に頼ることなく自分の目でみて美を感じよう」という意志を貫いた47年。101回続いたヨーロッパ仕入れ。歩いて歩き続けて見つけた物たちは足跡。主な著書に、2003年 「ひとりよがりのものさし」(新潮社)、2023年 「古道具もの語り」(新潮社)がある。
高橋:安藤さんに教えてもらって、初めて坂田さんの世界に触れたんですが。自分がいわゆるホワイトキューブに収まるような枠組みで考えていた現代アートの世界から、目を見開かされましたね。
ー高橋さんは当時のことを振り返って今思うことはありますか?
高橋:今でも噛みごたえのある企画だったなと思うし、2008年で答えが全て出ていないなと思っています。
私は、安藤さんのように改革しよう!くらいの大それた思いはなかったんですが(笑)。「国際陶磁器フェスティバル」に対しては、中に入らせてもらって、こんなにいい場所がたくさん他にあるのに、あの場所で全てが収まってしまうのは少しもったいないな、広がりがないなっとは思っていました。そこで、2008年の回に向けて、フェスティバル事務局の方にかけあって、少し予算をいただいて「土から生える」を開催しました。役所や事務局の人からしたら「そんなにやりたいならやっていいですよ」っていうくらいの感じでした(笑)。
で、この地域で何か面白いことをやろうっていう若手の人材を集めて、運営に入ってもらって。私の実家は岐阜市内なので、「土から生える」に関わりながら、私自身もこの地域(多治見、土岐、瑞浪)の魅力について教えてもらった、という感覚でした。安藤さんからのフラストレーションや葛藤も含めて受け止めながら、それを突破するにはどうしたらいいか?ってのを考えていきました。
安藤:その当時の作家たちは、「日展」とかみんなどこかに所属して活動していたんだけど、“一匹狼”の人たちもいろんなジャンルにいて。どこにも所属していない「一匹狼だけ集めて展覧会やってくれないか?」ってアイデアを、当時自分らを面白がってくれてた岐阜新聞の支局長からもらって。伊藤慶二さん(「土から生える2008」、「土から生える2024」に参加した作家)に会長をやってもらう形で、「ざのこんりゅう」という展示を2回やったかな。その精神性は「土から生える」にも宿していると思います。
伊藤慶二/1935年岐阜県土岐市に生まれる。古くは安土桃山時代に織部発祥の地として、現在は陶磁器生産量が日本一の土岐市にて創作活動を続ける。武蔵野美術学校卒業後に勤めた岐阜県陶磁器試験場にて日根野作三に出会い、師事する。創作する作品は器からオブジェ、インスタレーションに絵画と幅広い。縦横無尽に枠を跳び越える創作姿勢は89歳を迎える今も変わらない。
安藤:どこにも所属せず、とにかく美術が好きで、アートに対して愛を感じる人が自分は好きだった。誰かを蹴落として、上にのし上がってやろうとかそういうことではない考え方というか。そういうのじゃなくて、好きだったら一緒にやってこうよ、っていう。そういう人は大体一匹狼なんですよ、結果的にね。その筆頭が、伊藤慶二さんだったんですよ。一切口に出さず、淡々と自分の仕事をやってきたスタイルで。その背中を見て、ずっと尊敬していた人物です。でも、一匹狼のままになってしまうのはもったいないとは思っていて、そういう人たちを集めて、形にしたいとは思っていて。
ー「土から生える2008」の前にも、既にそういうインディペンデントな作家を集めるという動きがあったんですね。
安藤:そうそう。で、それに加えて、東濃ってすごい面白いところだよってのも出したかった。
多治見って一匹狼には居心地のいい場所だと思うんだよね。多治見は焼きものの専門学校が二箇所あって、県外から来る人もいるし、昭和の陶芸ブームってのがあって荒川豊蔵さんが安土桃山時代につくられていた志野・織部・黄瀬戸・瀬戸黒というものが美濃で作られていたことを提唱した結果、全国から陶芸を目指す人が来る街になったんですよ。だから割とよそ者を受け入れる土壌はあって、外から来る人を除外する風土はないですね。
ー森北さんって元々は名古屋で、多治見に引っ越してきたと伺っているのですが。そういう陶芸家を目指す人じゃなくて、現代美術畑の森北さんが来てくれたことは安藤さん的には嬉しかったんじゃないです?
安藤:嬉しかったですね、もう離さないぞ!ってくらい(笑)。森北くんは名古屋から多治見に出て来てどう思った?
森北:そうですね、僕は多治見に引っ越して誰一人知らない状態だったんですけど、引っ越して2、3年目に「土から生える」があって、気づいたら作家友達ができすぎて、逆に困ってしまうくらいに(笑)。
ー森北さんと安藤さんは、最初どうやって出会ったんですか?
森北:安藤さんの家の隣の隣に引っ越したんですよ、たまたま(笑)。で、安藤さんちの庭をのぞいたら、(安藤さんの)作品があって、同業かな?って。
ーすごく運命的な出会いだったんですね(笑)!森北さんと高橋さんの出会いは?
高橋:森北さんは、名古屋のギャラリー矢田で展示をした時から、気になってた作家で。当時、現代美術って華やかなイメージも持たれていたんですけど、私自身は、(現代美術は)煌びやかなものだとは思っていない節があって、「人間とは何か?人間がものを作るとはどういうことなのか?」っていう関心からヒットする人に注目していました。そういう人に出会えたら、一緒に仕事したら面白いかなって思っていた。単に作品作りを発注して、いついつまでにやってください、とかじゃなくて、不確定なものを一緒に作っていくものだと思っていたので、人間関係は重要で。よくわかっていない人には怖くて、展示を依頼できないとも思っていました。
話を「土から生える」に戻すと、当時、森北さんをはじめ、たまたま心から頼みたい作家とうまくマッチングできたなと思っています。お願いしたイメージをいい意味で作家は裏切ってくれるのがおもしろくて。穴を掘り出したり(笑)、こちらの意図せぬ、思いもよらないような展開を作家がしてくれる。予測可能なことを。アートプロジェクトってそうやって乱反射しながら、でも、あ、着地した!ってなるのがおもしろいんです(笑)
森北:「土から生える」ではサイトスペシフィックなことをやってほしい、というオファーをそもそも作家にしているから、作家自身も日々やってる作風を単に出せばいいわけじゃなくて、まず場との付き合いから始まる。それは、人ぞれぞれに個性は出てくるんだけど、場所どころか街との対話になってくるというか、街の雰囲気とか、そういうものと呼応しながら作品を作っていった結果が前回の展覧会だと思います。
僕は美術大学に入って、その輪の中で美術展覧会に参加したりってのはして来た中で、「土から生える」に参加した時に、坂田さんとか、僕からすれば異分野な人たちと展示をするってことが、ありそうでなかったし、そこが一番大きかったですね。その後もいろいろ考えされられました。
そういう意味では、いろんな芸術祭に自分は関わってきましたけど、振り返ると「土から生える」は本当に稀有な展覧会だったなって思います。
ー街中を使った芸術祭っていつからか流行っていきましたよね。ただ基本的には、行政主導で、目的がアートそのものよりも、町興しや観光的な意味合いが強いかなって思ってしまうんですが、「土から生える」は起点がそもそも違っていて、かなりインディペンデントな思考で立ち上がってるのが、他の芸術祭との違いかな、と。安藤さんのような思いを持った、しかも作家自身が立ち上げ人であるっていう点もだいぶ大きいと思いますし、他の芸術祭が失ったものがあるような気もします。
安藤:現代美術の役割が「問題提起」で、デザインの役割が「問題解決」だと僕は常々思っていて。自分は、アーティストとして常に問題提起していくことが重要だ、と。それをやりたいがために、作家活動と同時に、「ギャルリ百草」(土から生える2024の会場の一つ)っていう現代アートギャラリーもやってて、そこでは常に問題提起をし続けてきたつもり。ちっちゃな運動かもしれないけど、日本の美術界を変えたい!ってくらいに思ってやってきた。
日本って、西洋アカデミズムの影響が強すぎて、この70年間日本独自の美というものを考えてこれなかったんではないか?と思うんです。西洋の洗脳みたいなものから脱したいっていう思いがすごく強いんですよ。それが「アートだったらできるんじゃないか?」って。日本には素晴らしい歴史と伝統があって、美濃には茶陶っていうものを作ってきた文化がある。千利休がもし生きていたら、現代美術家だったと僕は思うし。そういう意味で、自分はアーティストとして石を投げて、波紋を起こせるかなとは思っていました。
ー今回、16年ぶりに「土から生える」復活開催、ということなんですが、それは「土から生える2008」を終えて、やりきれなかったことがあったからなんでしょうか?
高橋:「国際陶磁器フェスティバル」自体がこの企画をうまく受け止めてもらえなかったなと。また3年後には全く何事もなかったかのようにされてしまって、本体とはそれっきりって感じで、これをどう残そうか?って話はされなかった。内容は決して失敗だとは思ってないけど、意地もあって、しっかりとした出版社から記録集を出したかったってのはある。ギリギリの予算組で作りましたね。ただ、作品や関わった作家の人たち、見に来てくれた方々からは、いいリアクションはもらえたんですけど。次にどう繋げていくか?ってことまでは思い至らずで。
安藤:記録集は残ったんだけど、作品を残せなかったのは、残念だった。現代美術は一回展示したら終わりっていう考え方はあるかもしれないけど、僕は残したい。会期中には見に来れなかったけど、その数年後に見たいって人が現れるかもしれないと考えているんです。だから、自分の中で「土から生える2008」でやりきれなかったことは、「作品自体のアーカイブをほとんど残せなかった」という点です。残せたのは、下石工組 旧釉薬工場の坂田さんの作品(2008に続き、2024の展示会場の一つ)と、採土場の内田鋼一の『クレの小屋』っていう作品(土から生える2008展示作品。2024参加作家)ぐらいだった。
下石工組 旧釉薬工場(土岐市)
「クレの小屋」内田鋼一(土から生える2008)※2024の展示作品ではありません
内田鋼一/陶芸家、造形作家、アートディレクター。1969年愛知県名古屋市生まれ。愛知県立瀬戸窯業高等学校陶芸専攻科修了後、東南アジアや欧米、アフリカ、南米などの世界各国の窯場やアトリエに住み込み、現地で作業をしながら技術を身に付けた後、1992年三重県四日市市にアトリエと窯場を構え独立。国内外の美術館やギャラリーにて個展を中心に活動。著書に、作品集『UCHIDA KOICHI』(求龍堂)『MADE IN JAPAN』(アノニマスタジオ)他、多数ある。
安藤:今回は、新町ビルの水野くんのような若い世代が、過去にそういうものがあったってことに気づいてくれて、もう一回やってくれないか?って話をくれたので、それは嬉しかったんですけどね。ただ、今回もアーカイブとして作品を残すってことができるのか?って言われると、まだまだそこは解決できていない。ただ、まずはやらないとって。これが運動になっていけばいいなと思い、開催することにしました。
ー当時って、トリエンナーレみたいなものはあったんですか?
安藤:海外ではあったんだけど、国内だと越後妻有の「大地の芸術祭」くらいかな。
高橋:2008年当時、「あいちトリエンナーレをやろう」っていう胎動はあったと思うけど、実際に開催されたのは、2010年なんで。そういう意味では(「土から生える」の方が)早かったですね。
安藤:他の芸術祭との違いっていう話でいうと、明治以降の美術の文脈上にできたものをやっているという思いの部分も大きい。千利休の文脈で言うと、現代だったらそれが坂田さんでしょとぶつけている。
で、「土」っていうのは、ずっとそれよりも前から続いているものだから、この美濃にとっての潜在能力が何か?って言ったら「土」なんですよね。ここら辺一帯は、500万年前に東海湖っていう湖だった場所だから、どこを掘っても「土」が採れる場所で。「土」っていうのがこの地域の生命線だということはずっと考えていた。ただ、実は子供の頃からのイメージは負の遺産でした。山ががんがん削られていって、昭和30、40年代の工業が盛んだった時は、多治見の真ん中に流れている川が真っ白になっていた。こんなにも資源を破壊していいのか?ってのは子供ながらに思っていたんです。
高校時代の美術の先生が、岐阜市から来られた方で。その先生が採土場の大きな絵を描いていてそれを見た時に、外から来た人にはこんなに魅力的に映るもんなのか、と知ったんですよね。そこから見方が変わってきた。
地元の人たちにとって、環境破壊的な意味においては負の要素を持った場所の象徴的なものが採土場だったわけですが、そこを魅力的な場所として転換したいという思いが生まれた。だから、(2008年では)あえてその場所を使って田中泯さんに舞踊をしていただいた。いろんな意味や思いが、「土から生える2008」には込められていたんです。
高橋:あの時、あの場所で、田中泯さんの出演が実現したのは、オファーした自分の力ではなく、あの場所の力だったと思っています。お金で動いていない、一匹狼の人たちですから、場の力に魅力を感じて、この場所だったら!って思って場所に対峙し作品作りに向き合ってくれたんだ、と。だから、「土から生える2008」での体験は私自身にとってもありがたい経験だったし、またそういう体験を次の世代の人たちにも感じてほしい。大変な思いもしたけれど、苦になったことは忘れられるからいいんです。
安藤:現代美術を目指して、いろいろ調べていく中で、90年代にイギリスだと、「テート・モダン」って発電所の跡地を使って美術館にしていたり、ドイツの「ドキュメンタ」っていうアートプロジェクトを見に行ったりして、「産業遺産的な場所で展覧会をする」っていう流れが世界ではあって、スクラップアンドビルドではない考え方が出てきていた。
その視点を持ってして、多治見にもそういう場所がたくさんあるって気づいていったのもある。巨大なタイル工場があったんですがある日、潰れてしまって、そのままホームセンターになってしまった。「ここを使ったらおもしろいことができそうなのに!」って場所が見事に無くなっていってしまって……そういう場所を残したいっていう思いはずっとあったんです。そんな状況に対して、問題意識を持った人たちも出てきてはいるけど、住民たちが本当の意味でそういう意識を持ってほしい、とは思っていました。
で、16年経った今、ようやく「土」っていう素材にスポットライトが当たっているように思えて。縄文ブームやナチュラルブームがあって、もう一回原始に戻って、人の営みを考え直した方がいいじゃないか?っていうムードになってきている。
ー時代が追いついた感がありますね。「土から生える」っていうタイトル、すごくいい意味で今っぽさがあるって思いました。
安藤:多治見にとって「土」というものが重要なものであることは変わらないし、16年前にこのタイトルつけて正解だったなと今は思いますね。前回は、焼きものの工程を意識して会場となる場所を選んだけど、今回は、「粘土」という意味での「土」だけではなく、「土と人の営み」にまで概念を広げて場所を選定しています。
ー瑞浪の「中島醸造」さんのような酒蔵さんが会場に入っているのも2008年とはまた違いますね。他に、「旧地球回廊 軍需工場跡」とか、ここ使えるんだ!っていうような場所もあって、今回も前回に引き続き、場所の力っていう部分は強いですよね。
中島醸造(瑞浪市)
旧地球回廊 軍需工場跡(瑞浪市)
安藤:「旧地球回廊 軍需工場跡」は、たまたま瑞浪市役所に後輩がいたんで、使えたんですけどね。さっきも言った通り、日頃から僕は車を走らせながら、いろんな場所を見て、ここ使えそうだ!ってストックしていってて、いつかこの建物で何かしたいなって思っていた場所も入ってます。今回新たに会場となった「高田窯場跡」とかはそうですね。
会場選びには苦労もしましたが、場所と作品の関係がわかってる勘が鋭いのが現代美術作家だと思っていて。あの作家はここじゃないか?この作家はここじゃないか?って当てがっていきました。だいたい、思惑通りにはまっていったと思います。
あとは、サブイベントの方でも、いろんなイベントを企画していて、そちらも参加してもらえると、補完できて、全体の意図がわかるように構成したつもりです。
高田窯場跡(多治見市)
ー前回も参加してる作家や会場も入ってるのが、2008年の記憶も残しつつ、そこからさらに新しい会場や作家が増えて、アップデートしたいっていう意思が見えるてくるなって思いました。
森北:個人的な思いとしては、前回があって、今回があって、次もあるっていう考え方でいます。今回、作家選びにも参加してますが、前回は、あくまで安藤さんの頭の中にあるアイデアの種が、再現されたものだと思っていて。良くも悪くも、そこから離れていかないと、とは思っていて。いい意味ではイズムを残すってのはあると思うけれど、一方で周りの環境も変わっていくし、若い人たちも参加していく中で変化を恐れないことは大事だと思っています。そういう意識もこのプロジェクトに関わる中で持っていないとな、と思ってますね。
高橋:「このアートプロジェクトをなぜやるのか?」ってところに立ち返って考えると、「場所の記憶を、いかに次の世代へ繋げていけるか?」が一番大事だと思っていて。それは前回、関わった方も何名かは亡くなっていたりするし……。
前回、会場として貸してくれた「大川採土場」の地権者が加藤さんという方で。その方のインタビューが残っていて、「わしはミミズと一緒だ」って言っていて、「土を食べて、食い扶持として、土にお世話になってきたけど、青春を土に飲まれた」みたいなことを仰ってたんだけど。やはりそこの場所に深く関わった人たちの記憶や声が、次の世代に伝えていかないと、何もなかったことのようになってしまうな、と。スクラップアンドビルドで、街の魅力ってのは次第に失われていくと思うし、そういう意味でも安藤さんのような場所に愛情を持った人がそれを伝えて、それを若い人に繋げていかないと、と。
そのためには、それぞれの場所について話をするきっかけに、この「土から生える」がなればいいと思います。「廃屋になってしまっている、あの場所がもともと何だったのか?」っていう語らいが起きてほしいから、地元の若い人や小さいお子さんたちにも来てほしい思いがありますね。だから、高校生以下無料にしていたりもする。何回でも足を運んでほしいなって。そういう意味では、アート好きの鑑賞者だけに注目されるってことよりも、やっぱり地元の人が語らう場面を作っていきたいし、その背景にあるものを見せたい。
他の芸術祭もその要素はあるとは思うんですが、あえて今回私たちは「土から生える」を「芸術祭」とは冠さないように言葉の使い方には気をつけました。ただ、廃屋でそこに作家を配して、アート展をやるのではなくて。失われていく場所をそのまま残すのは難しくても、そこがどういう場所だったのか?の記録や記憶は残していきたいと思うし、そういう考えが今、求められているとも感じています。
ーただ、どうしても時代の流れに逆らえず、場が失われて無くなってしまうことは、仕方がないこととも思えますが。
安藤:さっき、アートの役割は「問題提起」だと話をしたけど、「誰もが見過ごしてしまうようなところにある身近なものに対する、本当の価値というものを改めて気づかせる」という役割もあると思うんです。
だから廃屋を全てただ残したいと思ってるわけではなくて、美濃は安土桃山時代に一世を風靡した土地で、だからその時代の窯しか価値がないと思われてしまっている。その考え方が僕は気に入らなくって。例えば、江戸時代に生まれた「雑器(ざっき)」だって見方を変えれば素晴らしいものだと思うし。対人間にしたって、「人間国宝」に対してはすごくありがたがるけど、今回も会場になってる「小山冨士夫 花の木窯」の持ち主であった小山冨士夫という作家は、その「人間国宝」という制度を作った人で、自分にとっては、20世紀の作家の中で一番好きな作家でもあるんだけど。ある陶芸家に騙されて、失墜した小山さんの土地や家は土岐市に引き取られて今も現存はしているけど、ただ残されているだけで朽ちてしまっていて、全然大事にされていないし、その価値にすら気づいてないんです。だから、これだけは美濃の財産だからこの場所は残した方がいい、という場所を選んでいます。
小山冨士夫 花の木窯(土岐)
安藤:対作家についても先ほどの場所の話と同じような考えを持っていて。越後妻有のトリエンナーレ「大地の芸術祭」に僕も参加してるんだけど、あの中で一番重要だと思うのは、ボルタンスキー(※)が毎回参加してるってことがすごく大事で。毎年作品を足していって、その変遷が見られるし、全容が見られる。
クリスチャン・ボルタンスキー=1944年フランス、パリ生まれ。 1968年に短編映画を発表し、1972年にはドイツのカッセルで開かれた国際現代美術展のドクメンタに参加して以降、集団や個人の記憶、存在と不在を作品の主なテーマとして世界各地で作品を発表する。現代のフランスを代表する作家として知られる。
だから、同じ作家に毎回参加してもらうっていうことは意味がすごくあると思うし、作家性が古びるわけではなくてむしろ財産になる。そもそもそういう力のある作家に僕らもお願いをしていて、前回に引き続き今回も参加してもらっている人たちも、毎回作風をがらっと変えられる力を持っている人たち。
高橋:一回すべてリセットしてゼロから組み上げるのではなく、前回から参加してくれている作家たちが今回も参加してくれているのはすごく重要なことだと思いますね。さらに今回は、安藤さん自らも展示作家の一人して加わっている点も。
ー場所も人もいつかは失われてしまうかもしれないけれど、その場所の記憶や、作品は色褪せることなく残るというか、むしろ後々その価値が磨き上げられていくようにも思えますね。
安藤:僕の中にどこかやはり「アンチ工芸」という考え方があって。それは何かというと、工芸家は一つの作風をつくると一生それを作っていくだけで食っていけるようなところがあるけど、アートはそうではなくて、その場面、場面でいかに変わっていけるか?が重要で。変わっていく人こそが、本当のアーティストだと思っている。今回選んでいる作家は、全員そうだし、美濃の工芸家に対して、アートとはこういうものであると改めて見せたいってのはありますね。ひとつの作風だけで食べていこうとしてる人なんて一人もいないんだぞ!と……ちょっと言い過ぎたかな(笑)。
森北:そろそろ酒が必要になってきましたね(笑)。
一同:(笑)。
高橋:森北さんは前回の作品は壊されてしまったんだけど、正直どう思ってるの?
安藤:あの作品が残っていたら代表作になってたと思うよ。
森北:ありがとうございます。でも、僕は個人的なこと言うと、自分の作品は平気で壊せる人で。作家って2パターンいると思っていて、自分の作品にすごく執着する人と、僕みたいに、全くしない人。僕の場合だと、展覧会ってそれに向けて作品を作ることが主目的になっていて。すごく極端なことを言ってしまえば、多治見のため、とか、東濃のため、とかってのは優先順位からすると低くて、自己満足の方が強いんです。あ、これって問題発言かな(笑)。
安藤:(笑)。
高橋:いいと思いますよ。むしろ、それを作家に偽善的に言わせるような空気がよくないと思うし、文化観光的な集客をして、インバウンドを狙うみたいなここ最近のアートの流れの方が由々しきことだな、と。
森北:僕は大学にも関わっていて、学生たちを見ていると、20代前半からすでに社会のためって言って作品作る子がすごい増えてきていて。それが良いか悪いかはちょっと置いておいて、そういう状況があって、そういう子ほど、(作品作りに対して)シンプルじゃないから、どんどん病んでいってしまうんですよね。社会のために!って考えているのに、現実、自分は全くの無力であることに幻滅してしまう。もう少し階段上がってから考えれば、やってることと考えてることが同軸になるとは思うんですけど。そういうバランスが悪いなって感じます。
高橋:作家のエゴって必要ですよね。この場所や状況だからこそ生まれたっていう作品を作れた、っていうのも大事になってくる。だからこそ、わざわざ見に行かないと見れない作品ができるっていうか。
ー目的自体が「地域興し」とか「社会貢献」になってしまっているアートって、なんか違うなって思ってしまいます。
森北:だから、まあいろんな考えが共存することで、その結果、いいゴールが生まれればいいなって思う。
ー安藤さんにとって、「土から生える」は、誰に届けたいのか?と問われたらどうでしょうか?
安藤:もちろん、制作資金や宣伝費のことを棚に上げて言わせてもらうならば、海外からわざわざ見に来てもらっても、地元の人が見に来ても、自信を持って提供できるものをやってるつもりだし、どこに出しても恥ずかしくないものをやっていると思っています。
ー現実的に残すことは難しいとは思うけど、失われていく場所の記憶を残したいという話もありましたが、その先にある想いとしてはどうでしょうか? やはり次の世代における安藤さんのような存在が出てきてほしい?
安藤:そういう思いがあるから、大学は東京だったけど、多治見に帰ってきて、作家活動だけではなく、ギャラリーを作って、ギャラリストとして多治見でやってるってのは、多治見の人たちに気づいてほしいっていう思いがあるからこそ。だけど、全然まだまだわかってもらえていないな〜って孤独感はあります(笑)。まだまだこの土地の人材は育っていないですね。現代美術やアートとなると、やっぱりまだまだこれからだなって……。
高橋:どこの土地も地元の人は気づいていない魅力に、外から来た人が面白がるってのはありますよね。前回と圧倒的に違うのは、運営チームがたくさん増えたし、センスのいい人たちが関わってくれてると思うし、16年前はもっと泥臭くやっていたから(笑)。
森北:最近の多治見が若い力で盛り上がってきたってのはあるよね。30、40代の人たちと、安藤さんのような上の年代の人たちが繋がって、どうなっていくか?次にどううまく繋げていけるか?ってのが大事だなって、今回関わっていく中で思うようになってきました。これは、一作家としてではなく、一多治見住民としてね。
2024年10月18日(金)~11月17日(日)※金土日祝日のみ開催
ART in MINO 土から生える 2024
会場:
高田窯場跡(多治見市) 、ギャルリ百草と百草の森(多治見市) 、小山冨士夫 花の木窯(土岐市) 、下石工組 旧釉薬工場(土岐市) 、旧地球回廊 軍需工場跡地(瑞浪市)、 中島醸造(瑞浪市)
時間:10:00 ~ 18:00 (各会場により異なる)
料金: 一般 2,000円 / 学生 1,000円 / フリー 3,800円
参加アーティスト:
伊藤慶二
坂田和實
藤本由紀夫
小島久弥
安藤雅信
上野雄次
内田鋼一
森北伸
安藤正子
沓沢佐知子
桑田卓郎
迎英里子
アオイヤマダ
芸術監督:安藤雅信 ( 陶作家/ギャルリ百草 主宰 )
監修:高橋綾子 ( 名古屋造形大学 教授 )
アドバイザー:森北伸 ( 愛知県立芸術大学 教授)
実行委員長:水野雅文 ( 図濃代表 )
主催:土から生える実行委員会 (一社)セラミックバレー協議会
後援:多治見市 瑞浪市 土岐市
詳細:https://art-in-mino.jp/
YOUR CITY IS GOOD?
多治見、土岐、瑞浪 Edition
Feature : ART in MINO 土から生える 2024
映像クレジット:
Interviewee:
Masanobu Ando, Ayako Takahashi & Shin Morikita
Cooperate:Masafumi Mizuno(Zuno)
Music Cooperate:Tanukineiri Records
House Of Tapes「Split Shadows」/ Demsky「Continuum」/ There is a fox「sunday」 / Bread Boy「What’s Up」
Filming & Movie Edit: Ryosuke Sato(RENDERING VACATION inc.)
Direciton, Interview & Design:Takatoshi Takebe(LIVERARY/LVRRY Inc.)