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FEATURE / 特集記事 Mar 18. 2017 UP
【SPECIAL INTERVIEW|呂布カルマ&鷹の目/JET CITY PEOPLE】
「俺がB-BOYだったときなんて1秒もない」
孤高の天才ラッパー・呂布カルマと、トラックメイカー・鷹の目が突き立てる矛先。

クラブクアトロ名古屋(愛知|矢場町)

 

 

空前のラップバトルブームの中で日々、目の前に立ちはだかる敵を倒し続ける男・呂布カルマ。昨年末の「フリースタイルダンジョン」での漢 a.k.a GAMI戦、森道市場2016の鎮座DOPENESSとの「LIVERARY LIVE“RAP”Y」決勝戦など、数多くの名勝負を繰り広げてきた。圧倒的な強さだけでなく、印象に残る哲学的なリリックで切れ味鋭く叩き斬るストロングスタイル、そしてヒップホップミュージシャンとしては異色のファッションもすでに認可され、“呂布ラー”なるフォロワーも出てきているという噂もある。増殖するラップファンを中心に、今や全国的な知名度を誇るほどになった彼だが、相方であるトラックメイカー/DJ・鷹の目とともにレーベル・「JET CITY PEOPLE」としての活動を現在もなお名古屋拠点に続けている。

 

 

スポットライトを浴び始めた彼の背後にある「JET CITY PEOPLE」とは何なのか?2人の出会いから、彼らが名古屋ヒップホップシーンに対して感じてきた憤り、そして現在のバトルブームに対する回答。栄の裏路地の雑居ビルにひっそりと構えられた鷹の目のレコーディングスタジオにて、呂布カルマ、鷹の目両氏に取材を敢行した。


SPECIAL INTERVIEW:

呂布カルマ、鷹の目(JET CITY PEOPLE)

Interview&Text : Takatoshi Takebe [ THISIS(NOT)MAGAZINE/LIVERARY ]
Photo : Sara Hashimoto [ LIVERARY ]

 

「アングラなんてかっこいいもんじゃなくて、
 俺らがいるのは結局ゴミ溜めだったんです」 (呂布カルマ)

 

 
―まず、いつくらいからお二人が音楽活動をされているのか。そのあたりの経緯から教えてください。

呂布カルマ(以下、呂布):俺は2007年から活動しているので、ちょうど今年活動10年目くらいですね。「JET CITY PEOPLE」が立ち上がったのは2009年からで、2枚目のアルバムからリリースしています。最初のアルバムはトラックをいろんな人からもらって一人で作って、BB9っていう名古屋のHIPHOPのクルーがやってる「名港Recordings」っていうレーベルからリリースしました。BB9=1999年より名古屋を中心に活動を開始。 幾度の変遷を経て現在は4MC+1DJに。ライブ、音源、フリースタイルどれをとっても、今までの東海地区にはない独自のスタイルで地元名古屋のみならずさまざまな方面より注目を集める。現在、JET CITY PEOPLEに所属するK.Leeもメンバーのひとり。

鷹の目:呂布さんがセカンド出すとき、最初は個人で出そうと思ってたと思うんですけど、それを代行したという形で「JET CITY PEOPLE」はスタートしています。

―「JET CITY PEOPLE」というレーベルを立ち上げるにあたって、鷹の目さんの中で「呂布さんのアルバムを出したい」という思いのほかに何か理由があったんでしょうか?

鷹の目:当時の名古屋はCD出すのと同時にレーベルも作るのが当たり前で。個人がCD出すときに流通的にもレーベルを形式的につくる必要があるから、名ばかりのレーベルになってしまいがちなんですよね。ワンアーティスト、ワンレーベルみたいな感じで一枚しか出してないレーベルだってざらにあります。それってめちゃくちゃ効率悪いし、みんないちいち流通の仕方とか作業とか覚えるのも面倒だろうし、だったらレーベルという名の出口をまとめて、誰かがちゃんと出してあげる役を担えばいいなと。そんな気持ちで作ったのがレーベル「JET CITY PEOPLE」の始まりです。

呂布:今よりも当時は作品としてのCDをちゃんとつくってリリースしている人が少なくて。一部を覗いて、特に名古屋の俺が知ってる当時のヒップホップの人たちは、ちゃんと作品として流通するCDを出す感覚がなかったのかもしれない。

―なるほど。名古屋のヒップホップって一言で言ってもいろんなコミュニティがあると思うんです。呂布さんの言うCDをつくらない人たちって、いわゆる売れ線の人たちとは違いますよね?

鷹の目:名古屋のヒップホップシーンをカテゴリー分けすると大まかには3つですね。メインストリーム、ポップ、それ以外はアングラ系って扱いになると思います。他の2つに比べて、完全に少数派ですね。

呂布:で、俺らは完全に少数派アングラ系に入ってます。

 

 

―当時のアングラ系の人たちはCDを出すことに対しての意識が低かったってことですね。

鷹の目:ライブをメインにして活動している人たちが多いってことです。

呂布:流通にかけない手売りのはちょこちょこ作ったりしているんですけど、流通をかけて全国にってのは考えてなかったですね。

―そういった状況を目の当たりにしていて、それでも呂布さんはCDを自分で出そうと思ったきっかけってあったんですか?

呂布:もちろん最初、俺もCDも出すこと自体、やり方もわからなかったし、出そうなんてことは考えていなかったけど、さっき話したBB9というクルーとは唯一交流があって。彼らに「出してみなよ」って言われたのがきっかけです。出してみたら、意外と簡単に出せるものなんだって知りました。

鷹の目:まあ、そういう状況だったんで、自分は周りにいる人たちがCDを出すのが当たり前になるようにすることが当分の目標でした。

―鷹の目さんはレーベルを始める前に、楽曲制作をもともとされていたということですが、自分の作品をリリースしたいとは思わなかったんですか?

鷹の目:もともとはラップもトラックも全部自分でやりたいという思いがありました。でも、人前でラップとかしたくないなとも思っていて、誰とも関わらずにヒップホップがやりたかった。

−ラップもやってたんですね。ライブは一回もないんですか?

鷹の目:ないですね。とにかく前に出たくなかったので、ラッパーというポジションは諦めて、裏方をやりたいなと思って、ネットでいろいろ調べたら呂布さんの音源が上がっているのを見つけて、最初mixiでメッセージを送りました。

―2人の出会いはmixiなんですね(笑)。

呂布:一番最初のコンタクトは、鷹の目が自分のラップを送ってきたんです。

鷹の目:そうでしたっけ?

呂布:5曲くらい。

鷹の目:……なかったことにしたいです(笑)。

呂布:全曲すごい怒ってて。なんか攻撃的なやつだなと思いました。で、半年くらいしてから、僕の誕生日にビートを送ってきたんです。

鷹の目:嘘!そうだっけ?

―その時から仲よかったんですか?

呂布:いえ、全然。ネット上の繋がりだけでメールを2、3通しただけですね。

鷹の目:誕生日にわざと送ったんですかね?それ、俺めちゃ気持ち悪いヤツですね(笑)。

呂布:で、そのやりとりから「僕、レコーディングとかもできます」って話になって、そのタイミングでBB9から「アルバム出さないか」って話があったんで、ちゃんとレコーディングできる場所を探していたんです。それでこいつのとこに行って録ろうとしたら、俺が卒業した大学のスタジオで。こいつ、同じ大学の後輩だったんです。※ 呂布カルマは美術科専攻。鷹の目は同じ大学の音楽科専攻

―じゃあ初めて直接会ったのはレコーディングの日ですか?クラブイベントとかの「現場で」ではないってのが意外でした。

呂布:そうです。当時の大学のスタジオです。

鷹の目:まだ僕が学生だったので。

呂布:最初、大学のでかいスタジオで録って、2回目からは宅録になりました。

―では、ヒップホップの現場に遊びに行くようになったのはいつくらいからですか?

呂布:俺は大学生になってからなんで、そんなに早くないです。「クラブに遊びに行く」っていう感覚じゃなくて、東京から来たゲストが見たくて、その時だけ行く感じだったので。最初は、フライヤーに「OPEN 21:00」って書いてあったから馬鹿正直にその時間から行ったりしてましたね。時間通りに行ってみたら、全然知らない奴らがライブしてて、ゲストの出番の時間(だいたいクラブイベントではゲストは深夜1〜2時頃というのが通例)にはヘトヘトで全然楽しめなかった(笑)。最初に行ったクラブは今はなきRADIXでした。

鷹の目:自分は初めてクラブ行こうと思って行ってたのが、10年くらい前にあったJB’Sのファンク系のイベントでした。keb DargeっていうUKの有名なソウル系のDJがゲストで来てそれを見たくて行ったんです。その時、前座で刃頭さんが出てましたけど、それは偶然で。当時はヒップホップ系のイベントとか敬遠していたんです。完全に見下していました(笑)。刃頭=現在はOBRIGARRDとしても活動中のトラックメイカー/DJ。名古屋のヒップホップシーンから全国にその名を轟かせた故・TOKONA-Xとの伝説のユニット・ILLMARIACHIとして活動。同ユニットにとって最初で最後となった『THA MASTA BLUSTA』は日本語ラップの金字塔的な作品として今もなお語り継がれる名盤。先日、「20周年記念盤」をリリースしたばかり。

―どこの位置から?(笑)音楽性とかですか?

鷹の目:客層ですね。ファンクのイベントって比較的大人が集まっていたんですよね。呂布さんから「今度ライブがあるから見に来て」って言われて観に行ったときは、ヤンキーみたいなのが集まってて「わ〜」って騒いでるみたいな、そんなイベントでした。ファンクイベントとのギャップは、トラウマになるレベルでしたね。

―(笑)。

 

 

「まずは1枚出してから、
 そこで1回絶望してほしい」(鷹の目)

 

鷹の目:で、呂布さんのライブを観て、他の人のライブも観るじゃないですか。その時、俺は他の人とはやれないなと思いました。DJも選曲が全体的にひどくて、KinKi Kidsが流れてそこが一番盛り上がるって感じです。

―呂布さんは当時はどんな思いで、そういったイベントに出たりしていたんですか?

呂布:みんな高校生とか大学生といった連中が集まっていて。若いダンサーがいて、シンガーみたいな女の子とかもいて。歌もオリジナルじゃなくて人の歌とか。そういう奴らのデビューイベントみたいなのに最初の頃は出ていたので。ヒップホップ始めたのが大学卒業してからなんで、自分だけちょっと年齢的には大人だったんで。当時は、俺もずっとムカついてましたね。

鷹の目:まあ、ごちゃ混ぜすぎて、今行くと逆に面白いかもしれないですけど(笑)。

―呂布さんも最初はそういうごちゃ混ぜなイベントに出てたんですね。

呂布:俺はツテみたいなのが全くなかったので、クラブに行ってとりあえずフライヤーを全部持って帰って来て、「出演者募集」ってとこ見て、そこに電話して…とかしてました。

―意外ですね!ヒップホップのイベントにお客として足を運んで、そこでイベンターや出演者に「自分も出たい」的なアプローチするみたいなことはなかったんですか?

呂布:最初、M.O.S.A.D.のクルーがやってるイベントでマイク握って、2、3回くらい出たんですけど……。Tokona-Xが死んだ後もM.O.S.A.D.は特別だったんですけど、それ以外のその周りにいた先輩のライブを見て、正直全然カッコよくなかったんです。「俺はこうはなりたくない」と思ったんです。M.O.S.A.D.=1996年、名古屋で結成されたMaster Of Skillzという3MCユニットが前身。2000年にグループ名をM.O.S.A.D.に改名。初期メンバーはTokona-X、Equal、Akira。楽曲は、おもにEqualが担当。Tokona-Xは、刃頭とともにIllmariachiとしての活動も活発化。名古屋ヒップホップシーンの基盤を築き上げた重要人物たち。

−なるほど。そこから離れてみたら、新人発掘系のイベントくらいしか当時はライブできる場所が見つからなかったんですね?

呂布:曲は作ってたんで、とにかくライブで曲をやりたいなって思ってたんでそういうイベントにも出ました。で、出演者の若いヤツが「今日は自分の彼女が誕生日だ」つって、彼女に向けてバースデーラップを始めた瞬間、殺そうかと思うくらいムカついたのを覚えてます。

―自分より少し上の世代も下の世代も、当時、名古屋のヒップホップが全然面白くないと思ってたってことですよね。そういう群れへの拒絶感が現在の呂布カルマのスタンスにつながっているように思えますね。

呂布:そうですね。当時は俺が一番才能あると思ってましたし。

―なんとなくヒップホップって縦のつながりが強いイメージで、絶対的な怖い先輩がいてそのひとに認められるか否か?……みたいなイメージだったんですけど。呂布さんたちの動きを見ていると、縦よりも同世代の横のつながりの方が強い感じがしますね。

呂布:俺らの周りにはいないけど、そういう先輩後輩的な文化ももちろんありますよ。

鷹の目:あと若い子から「デモCDつくったんで聴いてください」とかってのはよくありますね。呂布さんは俺よりもっとたくさんもらってると思いますけど、結構ちゃんと聴くんですよね、そういうの。俺は聴かないですけど。

呂布:聴いたれよ!(笑)

鷹の目:デモ聴いてもらって、俺らのイベントに呼んでもらえるとかって期待してると思うんですよ。そこそこ有名になるまでは自力で這い上がってこいよって俺は思うので。

―実際、今おふたりは音楽だけで食べていけてると思うんですが、そこまで行くのって当たり前ですが大変じゃないですか。特に、名古屋みたいな地方ならなおさら。そうするとだいたいのインディー系のミュージシャンは、週末のイベントに出てライブするってところでの目標で満足しちゃう気もします。そこからさらにレコーディングもして、全国リリースして……なんていうモチベーションが続く人は少ないのかも。

呂布:同じくらいのレベルの奴らと仲良くやって、適当に遊びにくるダンサーの女の子とかとイチャイチャしてっていうのだけじゃ面白くないですね。当時から俺は「ノルマ払うなら出ない」とかって言ってたんで、一緒のイベントに出てる人たちからも「あいつはちょっと違うな」って思われてて、そういうワガママも許されていました。

 

呂布カルマ「俺の勝手」

 

―少し前にTwitterで呂布さんが〈売れてるからって調子乗ってんじゃねえ!って言ってくる奴がいるけど、最初から調子乗ってるからラップやってんだよ。〉って書いてましたけど、まさにずっとそんな感じだったんですね。呂布さんはさっきのレベルの低いイベントにも出たりとかしながらも、徐々に階段を登って行く感覚はあったんですか?

呂布:そうですね。ゆっくりゆっくりですけどありましたね。

―もちろん最初からは音楽で食べてはいけてないですよね。

呂布:フリーターですね。

鷹の目:2年前くらいまで「音楽は、働きながらやれればいい」っていうスタンスでしたよね、呂布さん(笑)。

呂布:2年どころじゃないよ。去年の今もそう思ってたよ。実際に食えてる人も周りにいなかったし、最初から「音楽で食っていく」なんてことは言えなかったですね。やっぱりかっこいいままで食えてる人がいなかった。そういう意味で本当に手本になるような人がいなくて、ダサいことしてまで食べていこうとは思わなかったから。仕事やりながらのバランスでいいかなって思ってたけど、去年の夏から忙しくなり始めて、全然食えるじゃんみたいな(笑)。食えるなら食おうみたいな。

―なるほど。

呂布:でも、ファースト出した当時は、CD一枚出せたら俺は日本中に呼ばれるようになるって思ってたけど。もちろんそれだけで日本中から呼ばれるなんてことはなかった。でも、売れなかったっていう思いより、周りの奴らの耳が悪いんだって思ってたんで。コツコツ出していけば、遅かれ早かれ俺は売れるとは思ってた。売れるのいつかな〜?みたいな期待感しかなったですね。

鷹の目:うちから出す人は一人一枚は流通盤を出してほしいと思ってて。それは、そこで1回絶望してほしいから。1枚目を出して初めてアーティストとして先が見えてくると思っていて。一発目から爆発的に売れるなんてほど世の中は甘くないと思うんですけど、まずは流通をしてみてその反応によってそこで辞めるとかやる気なくす人もいるかもしれないけど、そしたらもうそいつはそこまでだなって話で。1枚出してからが本当の意味でミュージシャンとしての勝負だと思うんで。

 


こちらは「JET CITY PEOPLE」ロゴ。3月23日(木)名古屋クアトロにて開催される「LIVERARY LIVERALLY #5」ではJET CITY PEOPLE ALL DICKSとしてレーベルに所属する不特定多数のラッパーが一挙出演予定。

 

―鷹の目さんはレーベル業務と並行して、レコーディング・エンジニアとしても仕事をされてますが、なぜ東京じゃなくて名古屋に残るって決めたんですか?

鷹の目:さっきも話に出てきたBB9の人たちが大きいかもしれないです。呂布さんに呼ばれていったしょうもないイベントでも彼らだけは特別にかっこよかったんですよね。あの人たちからCDを出したいって話が来た時に名古屋にも自分と同じようなレベルでの意識を持った人たちがいるんだからやっていこうかなと思ったし、BB9がいなかったらとっくにやめてたかもしれないです。ただただライブだけやってる人たちには勝手にめちゃくちゃ腹を立ててました。

―名古屋でやっていくうえでのミッションとして、今の現状を変えたいっていう思いがあったということですよね。

鷹の目:そうですね。曲がいいとか悪いとかじゃなくて、まずは出せよ、そこからだろっていう。

―呂布さんは名古屋のそういうシーンについて「俺が変えてやる」とかって思いはあったんですか?

呂布:俺はめちゃくちゃ自惚れていて、とにかく自分自身のラップについてだけ考えてましたね。でも、同時に自分はメインストリームからは無視されてるなってのは思ってました。さっき鷹の目が「俺らは名古屋のアングラ系に属してます」みたいに言ってたけど、アングラなんてかっこいいもんじゃなくて、俺らがいるのは結局ゴミ溜めだったんです。その中でかっこいいやつもいたんですけど、外に出ていかないし、音源も出さない。だったら、クラブのステージの前にいるほんの一握りの人たちには知られても、家で音楽聴いてるフツウの人は一生知らないわけです。でも、家で音楽聴いてる人がマスじゃないですか。自分のラップには自信はあったけど、そういうシーンにいる自分についても常にイラついていました。

鷹の目:音源を出す前から、呂布さんはネット上にめちゃくちゃ曲をアップしてたんですよね。

呂布:とにかく曲を作っていました。曲を提供してくれそうなトラックメイカーにトラックをもらって、そいつんところ行ってレコーディングして、気づいたらそいつが曲をアップしてくれてるみたいな。

鷹の目:ネットにあげて広めるってことは、呂布さんの意向ではなかったんだ?

呂布:そう。向こう(トラックメイカー)からネットにあげていいですか?って聞かれて「はい、どうぞ」みたいな。もっと楽観的に考えていて、作ってもらったCD-Rをデモみたいな感じでもらうんですけど、それをライブの時に来てくれた人に渡してたりしてて。そうこうしているうちに誰かが俺をピックアップしてくれるとは思ってたんで。

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イベント情報

2017年3月23日(木)
LIVERARY × 名古屋PARCO presents
LIVERARY LIVERALLY #05
会場:クラブクアトロ名古屋
時間:19:00 OPEN/START
料金:前売1800円(+1D)/当日2300円(+1D)
ゲストライブ:呂布カルマ/JET CITY PEOPLE ALL DICKS/Y-クルーズ・エンヤ/ZOMBIE-CHANG
※LIVERARY LIVE”RAP”Y 2017予選大会を同時開催(挑戦者エントリー受付中!)
出店:居酒屋 大大大/VOU(京都)/大橋裕之の似顔絵屋/The Sessions/YES AND CO/California Parlor 〜 Quiet Village
チケットメール予約:info@liverary-mag.com
チケット直接購入:Peatix : http://liveraryliverally05.peatix.com/view (その他チケットぴあなどのプレイガイドでも購入可能)

2017年5月13日(土)
チキチキ!第2回LIVERARY LIVE”RAP”Y in 森、道、市場2017
会場:大塚海浜緑地(ラグーナビーチ)&遊園地ラグナシア
時間:5月12日(前夜祭):15:00~22:00/13日(土)10:00~22:00/14日(日)10:00~20:00
出演:呂布カルマ、サイプレス上野、ジョニー大蔵大臣、仙人掌、他
司会:MCデンジャラスハーブ、ビート:鎮座DOPENESS
詳細:http://liverary-mag.com/music/56091.html

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