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FEATURE / 特集記事 Dec 07. 2016 UP
【 SPECIAL REVIEW:やっとかめ文化祭2016 】
失われていく記憶と景色をつかまえて。
都市の詩(うた)に、先人たちの声に、耳を澄ませば…。

10月29日〜11月20日まで開催された「やっとかめ文化祭2016」。今年で4回目となる同イベントは、名古屋のまちの歴史文化を掘り起こし、現代のまちなかに披露するだけでなく、さらにもう一歩進んで先にあるあたらしいまちの見え方や景色の創造、さらにはそこでどう自分たちがまちのことを考えるか?というメッセージが散りばめられたものだったように思える。

LIVERARYでは、前回と今回の2回に渡って「やっとかめ文化祭2016」のレポート取材を敢行(前回の記事はコチラ)。今年の開催テーマとして掲げられた〈都市の詩(うた)をさがして〉というキーワードを追いかけた。

時代を駆け抜けた流行歌、とある小さな和菓子店主の物語、路傍の石仏から聞こえてくる声にならぬ声……それら〈都市の詩(うた)〉を読み解くことで、私たちが知り得なかった(もしくは忘れてしまった)名古屋の景色と物語が見えてくるはずだ。

 

やっとかめ文化祭2016:カナリヤの夜 〜ニッポンの唄は、どこへいった〜

INTERVIEW & LIVE REPORT:

華房小真 & Ett

 

カナリヤの夜 〜ニッポンの唄は、どこへいった〜」と題されたこのイベントは、端唄華房流家元・華房小真(はなさこまさ)さんと、名古屋音楽シーンの重鎮とも言えるギターと唄のデュオ・Ett(えっと)が共演。端唄・小唄・童謡・大正~昭和の流行歌など、江戸後期から昭和にかけての「流行り唄(はやりうた)」を披露するという。

伝統芸能として唄の文化を伝えてきた家元と、ライブハウスや野外フェス〜カフェ、居酒屋と場所を選ばずライブし続けてたミュージシャンという2組。“異色の組み合わせ”かもしれないが、シーンは違えど両者は根底で通じ合っているような“歌心”を感じさせる。

ライブ当日(11月16日)を前に最終の通し稽古をする、ということでその場にお邪魔させていただいた。華房小真さんの稽古場は名古屋市内某所。まちなかの一角にあるマンションの一室ということにも少し戸惑いながらも指定の場所へと向かった。

 

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壁には札が掛けられている。小真さんのお弟子さんは現在50名を超える。

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こちらが華房小真さん。

 

練習前の少しの時間、小真さんに取材をさせていただいた。

―全くわかっていないものなので教えていただきたいのですが、そもそも「端唄」「小唄」とは何なのか?からお願いします。

小真:端唄・小唄ともにですが、要するに流行歌のことです。端唄は江戸時代、歌舞伎の挿入歌やお座敷で芸姑たちに歌われたものが江戸中期~幕末・明治に大流行したんですね。それは時代が良くなったことも重なって、庶民の文化も成熟していった時期でもあったんです。過ぎ去るように、流行していった端唄は、さっと過ぎ去るように唄われるところがイキなんですよね。今と違ってもちろん録音も楽譜もないわけなので、人々が口ずさんだりして伝承されていったものです。基本的には三味線での伴奏とともに唄われたんですが、そのあとに出てくる小唄との決定的な違いは、端唄は撥(バチ)を使い、小唄は撥ではなく爪弾きで演奏されたんです。

―ギターの弾き語り的な?よりラフに、大衆的になったというニュアンスですかね?

小真:撥ではなく爪弾きで演奏された小唄はやはりその分、ソフトで色気のある耳触りかもしれません。テンポは端唄よりもさらにタイトに速く短い曲となっています。その後、流行歌は、明治期は「俗曲」、昭和大正時代には「民謡」と呼ばれるものが人々の間に広まっていきました。今回の演奏では流行歌の中興の祖とされる添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)の代表曲「ストトン節」「むらさき節」といった曲も演奏します。「ストトン節」「むらさき節」はソウル・フラワー・ユニオンもカバーしていることでも知られる。

 

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―しかし、そもそもどうして唄の道に?

小真:華房は曽祖母から代々受け継がれてきたもので、母である華房真子が端唄華房流華の会を再興し、平成26年に2代目家元を私が継承しました家に帰れば、三味線の音色が聞こえてくるようなそんな家に育ちました。昔は名古屋の栄に「ロマン座」という映画館があって、一番多いときで我が家は7館も映画館を持っていたんです。華やかな名古屋文化の賑わいを聴きながら育ち、音楽と映画が身近にあった幼少期を過ごしました。

―なるほど。ですが、昔と現代とでは世の中の流れなんかも違うわけで、真っ当に唄の道へと進む以外にも選択肢はあったと思うんです。唄の道に進むことが嫌になってしまった、なんてことは一切なかったんですか?

小真:18歳のときに母と一度大喧嘩して、私じゃなくて母の方が家を飛び出してしまったんですが(笑)。結局、母にものすごく説得されましたが、その時はもう唄なんて辞めてしまおうと思いましたね。それでも辞めず再度唄の道へ進んだきっかけとなったのはテレビで放送された、後に私の三味線の師匠となる方の演奏を見た時です。私はすぐさまその東京の師匠に連絡を取り付けて、夢中になって師匠の元へ稽古に通いました。

 

現在、お弟子さんは50名を超え、大学でも講師として教壇に立っているという小真さん。辛いことを敢えて明るく景気良く歌い上げる端唄や小唄を始めとした流行歌は、小真さん自身の人生をポジティブに後押ししてくれたのかもしれない。

 

その後、Ettのお2人が到着。小真さんのお弟子さんたちも交え、全体練習が始まった。

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EttのVo.西本さゆりさん、そしてギター・さん。

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全体練習の様子。部屋中に唄声とギター、金物などの音が鳴り響いた。

 

11月16日(水)「カナリヤの夜」開催当日。会場は大須「磯料理まるけい」2F座敷席にて。

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満員御礼となった客席を前に、小真さんとそのお弟子さんらとEttがそれぞれに小話なども挟みながら、アンコールも含め20数曲が披露された。小真さんによる江戸の端唄に始まり、粋な小唄や明治の俗曲、大正・昭和の流行歌へと「唄」とともに時代が移り変わっていった。

 

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Ettは、やっとかめ文化祭では異色の出演となるが、軽快なトークと西本さゆりさんの独特でいてどこか懐かしく、可愛らしい歌声が響くと、観衆はいつの間にやらその世界観に引き込まれていった。「カチューシャの唄」「唄を忘れたカナリア」「船頭可愛や」「イエライシャン」…。明治から昭和にかけて、市井の人々に寄り添った、美しい詩とメロディ。観客の中には思わず涙を流す人も。

 

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「このアニメを見た時、すごく気に入って、なんとか練習して今日が初披露となります」と前置きを入れて演奏された、大正時代の童話唱歌(後に白黒アニメ化)「茶目子の一日」は10分ほどの長尺だったが、寸劇的な2人のやりとりも入り、会場は温かな笑い声に包まれた。

 

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江戸後期から昭和にかけての約100年、一世紀におよぶ流行歌の数々。時代が変わっても、暮らしのそばには、いつも「唄」があったのだろう。現在、伝統芸能と呼ばれているものも、当時の最新の流行だったことに思い当たる。

 

最後に「やっとかめ文化祭」スタッフ・丹羽仁美さんによる、感想レポートを。

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写真左:丹羽仁美さん

 
目の前の光景は2016年か、と少し不思議に思いました。
文字に音をつけ音楽にする。その歌が小真さんから紡がれると艶が生まれる。
 
 
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日本語をこんなにも艶やかにきかせる技に胸を打たれました。
先陣からが受け継がれるわざがこんなにも近くにある土地の贅沢さを思います。
また、この文化が継承されていく土壌であることを誇りにさえ感じます。
 
 
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最後に特別に聞かせていただいた「名古屋ラプソディ」は「東京ラプソディ」の東京部分を名古屋にアレンジしたこの曲で会場の空気は一気にクライマックスに!
 
この歌が会場全体でうたわれるとき、名古屋をもっと好きになっていました。
こうして地元を愛する人がふえていくのだろう。地元を愛する人が多い土地は素敵だ!
 

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続いては、「やっとかめ文化祭」の1コンテンツとして好評を博している「尾張の和菓子ものがたり」にも参加している新栄の小さな和菓子店「菊屋」へ。昼には売り切れてしまうという「ういろう」が人気のこの老舗店のご主人に果たしてどんな物語があるのでしょうか。

 

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