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FEATURE / 特集記事 Apr 02. 2022 UP
【SPECIAL INTERVIEW】
大竹伸朗、現在進行形。コロナ禍を経て見えたきた、すでにそこにある思考。
INAXライブミュージアムの新刊行物に大竹伸朗が登場。
誌面掲載しきれなかった、インタビュー全文をここに掲載!

Feature:『LIVING & CULTURE MAGAZINE BY INAX MUSEUMS』#1

 

やきものの産地として知られる愛知県常滑市を拠点とする施設「INAXライブミュージアム」が、新たに年刊で発行する冊子『LIVING & CULTURE MAGAZINE BY INAX MUSEUMS』を2022年3月10日(木)にローンチ。

同誌は、side:LIVING(生活)とside:CULTURE(文化)の両開き仕様となっており、巻頭インタビューには国内外で活躍するアーティスト・大竹伸朗が登場。常滑との関わりや、コロナ禍における現時点での考えなどを語った取材記事が掲載されている。今回、本誌に掲載しきれなかったロングインタビュー(ほぼ)全文をここに一挙掲載します。(※この取材は2021年8月に行われたものです。取材撮影場所は大竹さんお気に入りの常滑スポットのひとつ、東窯工業株式会社)

 

SPECIAL INTERVIEW:SHINRO OHTAKE

大竹伸朗、現在進行形。

INTERVIEW, TEXT&EDIT:TAKATOSHI TAKEBE(LIVERARY)
PHOTO:KAZUHIRO TSUSHIMA(TONE TONE)

 

大竹伸朗
1955年東京生まれ。美術家。熊本市現代美術館(2019)、水戸芸術館 現代美術ギャラリー (2019)、 Parasolunit、ロンドン(2014)、 高松市美術館(2013)、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 (2013)、アートソンジェ・センター,ソウル(2012)、広島市現代美術館(2007)、福岡市美術館 (2007)、東京都現代美術館(2006)などで個展を開催。また、ヴェネチア・ビエンナーレ(2013)、ドクメンタ(2012)、光州ビエン ナーレ(2010)、アジア・パシフィック・トリエ ンナーレ(2018)、横浜トリエンナーレ(2014)、瀬戸内国際芸術祭(2010、2013、 2016、2019)など国際展にも多数出展。主なエッセイ集に 『見えない音、聞こえない絵』『ビ』『ナニカトナニカ』 (すべて新潮社)、絵本 『ジャリおじさん』(福音館書店) がある。2014年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2022年2月ハワイ・トリエンナーレに参加、東京国立近代美術館にて秋に個展開催予定。https://www.ohtakeshinro.com/

 

伝統工芸と現代アート、続けるもの、続いていくもの

-常滑といえば伝統的な陶器産業のまちで今でもそれは観光資源としても重宝されていますが、大竹さんは「伝統的に残っているものの方が、新しい今のコンテンポラリーなアートみたいなものよりもよっぽど良い」というような話を以前に別のインタビューでお話をされてましたよね?

大竹:どちらか一方といったことではなく結局は「作品」次第ですね。そう言ったのはおそらく特定の「伝統的な作品」を見て感動したときの発言だったと思います。だからといって伝統的な職人道のみにどっぷりいき過ぎるのはちょっと苦手ですね。

-(笑)。

大竹:子供のころから何でも雑食系趣向が強かったから、音楽をジャンルで聞いたり絵を見たりっていう考え方がそもそもなくて。芸術に対しての考え方すごく似てますね。街中のペンキ看板も美術館にかかるアート作品も自分にとっては好きかどうかのジャッジしかない。世間的な認知で「芸術」かそうでないかはまったくどうでもいい。職人技を見るのは好きだけど「日々」ということを前提に考えると自分には絶対にできないしやってみたいとも思わない。

-そういう人たちのことはすごいなって思う反面、自分はそうはなれないな、という感じですか?

大竹:そうだね。絶対に続かないとも思うし、工芸の世界のことはわかりませんが、なんかこう、伝統的に引き継いできた事柄を妄信的に信じることに反射的な警戒心のようなものが子供のころからあります。職人技を過度に褒め称える風潮は居心地が悪い。そもそも職人さんはそれが「仕事」であって、「仕事」っていうのは「商売」であることが前提であるわけで。宮大工の技量は確かにすごいと思うけど当然無償で請け負うわけじゃない。お金をいただいてものを作るってことは、いい仕事を残すことは当たり前だとも思うし。

-なるほど。

大竹:一方でアートの場合、別に締め切りもなければ、誰かに頼まれたわけでもないからお金にもならないのが前提で、だけど作るという行為。アートの方が伝統工芸より、上位だとか清く正しいっていうことをもちろんいたいわけじゃなくて、そもそも目的が違う。じゃあ、「なんでアートを作るの?」って聞かれたら「作りたいから作るだけ」で日常生活を送る上でに誰かの役に立つ目的で作るものじゃない。職人さんの仕事っていうのは生活に役立つものっていうことが基本にあって、人が必要とするものを作るから仕事になる。そういった意味で、自分がやってることは人の役にまったく立たない。 立とうが立つまいが作りたいと思ったら作る。

-アートは役に立たない、ということですが、ほかのインタビューで制作活動を続けることに関して、「続けようとして続けることはどうでもよくて、続けようとしていないのにどうしても続いてしまうものが大事だ」といったお話もされてましたね。

大竹:まぁ「役」自体の意味は各人各様なのですべての人にとって役に立たないということではない自覚はある。自分の作品が「役に立たない」といったのは生活を送る上で万人の日常に必須なものではないといった意味合いです。「続ける/続いていく」話に関しては、一貫性や整合生がないとか、何言ってるのかわからないと言われても、続いていってしまうものっていうのがある。それって意味を超えて何かあると思っている。どんなに必然性があっても、どんなに正しくても、無理にやっていることって絶対止まるでしょ

-最近人気の現代アートって、なるほどそういうことか!ってのを狙ったアイデア勝負のものが多いですよね。

大竹:それよりも、支離滅裂なんだけど続いていっちゃものを素直に信じる。

-後から意味が付いてくるものの方がいいってことですかね。

大竹:「意味」っていうのも一筋縄ではいかない。そもそもアートってそういった成り行きの上にあると思っていて。理屈やら理論的な整合性がとれないけど続いていくもの、それに対して、後から必然性が生まれる、というか。その必然性に「意味」があるかどうかはまた別問題だと思う。「今、説明しろ」って言われてもできないものもある。自分も60代半ばになった今でも、明確に何をやってるかわからないまま。だから自分のこと芸術家と言い切れる確信いまだない

-(笑)。もし肩書きを聞かれたら、何て答えるんですか?

大竹:いや~、何なんだろう。一応、便宜的に答えることはできるけど。誰しもそこを突き詰めていくとすごく哲学的な問答に踏み込んでしまう。自分が何なのかわからないから作ってるっていうのはあるし、結局生きている間に自分のやってることなんてわからないと思う。だから作家が自分の作ってるものをわかりやすいコンセプトでもって語る姿にどこか胡散臭さを感じてしまう。作家自身が一番自分の作品のこと理解しているとも思っていないし。だから、さっきのアイデア勝負のコンセプト先行型のアートにはあんまり興味がないのかも。でも、すごいコンセプチュアルな作家に対してでもその本人が引くにこちらが反射的に興味を持つと急にすべてが信じれる気になったりもする。自分が若い頃の話だけど、作品には全く興味がない小難しいコンセプチュアルアートの作家と知り合って、たまたまその当人描いた「ワニの絵に出くわしたことがあってその落書き的なワニの絵がグッときてね。その瞬間にその人のアートも含めて急に好きになってしまったことがある

 

 

手塚治虫とディズニーから学んだこと

-大竹さんにとっては完成されたものよりも、その前のラフの段階、途中経過のものに興味があるってことですね。絵を描くとか、何かを作ったりとかする上での制作技術的なところは、誰かに教わったり、影響を受けたりしたんでしょうか?

大竹:子供のころに他人に教わったことは特にない。子供時代を過ごした昭和30年代19551964って、まだ世の中に娯楽が少なかった時代で、そこにテレビが登場した野球でいえば巨人軍の王長嶋、相撲は大鵬、柏戸、プロレスでは力道山、ジャイアント馬場、デストロイヤー、ブラッシーとか漫画家で好きだったのは子供の頃から尊敬し続けているちばてつやさんはじめ、関谷ひさし、赤塚不二夫、石川球太、板井連太郎……きりがない。家から自転車で行ける距離に手塚治虫のアニメ工房「虫プロ」があって、よく通ってセル画をもらいました。俺が小学校3年生の時に『鉄腕アトム』が日本初のアニメーション放映一回目はテレビの前で正座して見た記憶がある(笑)。ディズニーのアニメーションっていうのはまだテレビではやってなくて、テレビ放映の『鉄腕アトム』以前映画館でディズニー映画を観てた。『101匹わんちゃん』「わんわん物語」シンデレラ』とか。だから初めてテレビで『鉄腕アトム』を見たときに、ディズニーの動きに日本のアニメは全然敵わないな、と子供ながらに思った。日本はすごく遅れているようで悲しくなったのを覚えている。

-技術的なところに着目してみてたってことですか?ストーリーとかじゃなく。

大竹:そうだね、ストーリーではなくて、動きの滑らかが全然違うな、と。後から考えると、予算も時間も人手も違うし、当時の日本のアニメがディズニーに勝てるかなんて、比較のできないことだったことがわかるんだけど。子供にとっちゃ、アメリカと日本の文化レベル」取り返しのつかない差のように感じてしまったテレビ映像を通して受けた子供のころの影響はいろんな意味で大きい。

-子供の頃から漫画やアニメに対しての着眼点が違う気もします。そこから絵に目覚めていく?

大竹:当時の子供たちの憧れはスポーツ選手や漫画家、大体が野球選手、絵が好きな奴は漫画家が多かったんじゃないかなぁ、俺は絶対漫画家になろうって思っていた。秋田書店から出たマンガのかきかたという子供向けの入門書を小学校2生ころに手に入れて、それでGペンとかガラスペンとか鏑ペンとか、ペンに種類があることとかを知って、小遣いで買っていろんなペンを試したりしてた。で、「起承転結」ということを読み取ってそれを基本に漫画を描いてみようと小学校3年生の時に野球漫画を描いてみたのよ。まずは『がんばれちゃん』っていう熱血少年野球ものを目指した。でも早くも第1作目8ページ辺りで漫画家志望の夢は挫折したんだよね。

-え(笑)。

大竹:っていうのも、俺の頭の中のストーリーは、主人公の三ちゃんが高校3年夏の大会のバッターボックスで逆転優勝っていう9回裏ツーストライクスリーボールからをメインに描きたいわけよ。こでホームラン打つシーンがもう頭には浮かんでるんだけど。なのに『がんばれちゃん』の最初ののシーン高校1年から描き始めたんだよ。

-なるほど(笑)。まだだいぶ先が長いですね。

大竹:ちゃんの高校一年の入学式から始まって、入学式当日の朝起きて布団をたたむところから描いていくんだけど、そこで気づいたのが、これ高校3年のツーストライクスリーボールのシーンにいきつくまでに、俺は何万コマ描かなきゃいけないんだ!?って気が遠くなってしまった(笑)。

-(笑)。

大竹:漫画だから端居ればいいのに、ディティールをリアルに描くにはほぼリアルタイムで追いながら描いていくものだと思い込んでいてちゃんが毎朝歯を磨いたり、布団をたたんだりすることも、全てがツーストライクスリーボールからのホームランに関わっているわけ。だけどそれを漫画に落とし込むってことの非現実さに8ページ目辺りで気がついた。そのあと探偵漫画みたいなものも描いてみたんだけどこれは8コマくらいで挫折したよ。

-その描いた漫画っていうのは、当時のご両親や兄弟とか友達とかに見せてたんですか?

大竹:見せていないね。

-子どもの頃って自分が描いた絵とか漫画とか親とかに褒めてもらいたいから当たり前に見せるもんだと思ってました。見せようと思わずに、ずっと描いてたのは意外ですね。

大竹:そう。でも、小学2年くらいの時に自分でノートや下敷きに好きな漫画描いたりしてたんだけど、そしたら「俺にも描いて」って結構45人が毎日俺のところに来るようになった。その時が、絵を描いたらこんなに人って喜ぶんだっていう、初めての体験だったね。

 

 

大竹伸朗と常滑。「焼憶(やきおく)」の記憶

(ここでINAXライブミュージアムでの当時の企画担当者である後藤泰男さん、現館長の尾之内明美さんも参加)

-当時のINAX(現・LIXIL)と大竹さんの関係が始まったのは、2007年の直島での作品「直島銭湯I♡湯」がきっかけだったんですよね?

後藤泰男(INAXライブミュージアム主任学芸員)直島のアートプロジェクト全体を主催しているベネッセホールディングスさんから岡山で、当時のINAX岡山営業所に「銭湯のタイルを焼けないか」っていう話をもらって、大竹さんが『I♡湯』で使用する銭湯の壁画タイルを弊社が提供したことが交流の始まりでした。

尾之内明美(INAXライブミュージアム館長)大竹さんは、それまでの作品作りの中では、やきものは使われてきていなかったと思いますが、当時常滑に来ていただいたのがきっかけとなって、やきものに可能性を見出していただいたのでしょうか?

大竹:そうですね。かなり前からやきものに強い興味があって土を成形して焼いたりタイルに絵付けしたりとかを経験したい思いが長年ありました。タイルに一気に興味持ち始めたもんね。

後藤:最初、大竹さんが蛍光色の絵を持ってこられたんです。この絵をタイルに焼いてほしいって言われて。でも、蛍光色を出すためには鉛の釉薬を使わないといけなかったんですが、環境問題的に鉛は使えなくなってまして。

大竹:タイルの釉薬に鉛を入れるとすっごいきれいな色が出るんだよね。でも1970年頃から公害が一気に社会問題になってきて、鉛の使用が出来なくなってしまって。銭湯で使うタイル絵のイメージが、どうしても派手な色のイメージだったんだけど、でもそれができないっていうことがわかって、じゃあどうしよう?となった時に、館内のトイレに使ってあった青色の「呉須」っていう絵付の顔料を見せてもらって。その色が気に入って、これだったら問題ないっていうから、青一色で描いた。(※呉須=染付の絵を描くのに用いるコバルト顔料のこと。焼成すると、コバルトブルーに発色する)

後藤:でも、その焼き付けの工程の時に、窯の中で事故があったんですよ。

大竹:ああ、そうそう。窯の温度が途中で上がらなくて止まってしまって……。

後藤:あの時はもう、僕ら大竹さんに話しかけるのすら怖かったですもん(笑)。

大竹:最悪の場合、全てのタイル絵を描き直さなくては……ってところだったんだけど、窯から出してみたら結局きれいに焼けていて。

後藤:その奇跡的な体験を、当時大竹さんは“常滑磁場”って言ってたんですよね。

-大竹さんにとって、常滑に「磁場」を感じる出来事は他にもありましたか?

大竹:常滑に来た時、「やきもの散歩道(※1)」とか何度か歩いたけど、やっぱり歩くと地面の起伏とか、地形ってものを感じられて。常滑のまち中にある「登窯(※2)」という窯はここの地形だからこそのものだし、常滑の土地は、やきものを作るのに適した土で、昔から「やきものの磁場」だったんだろうけど。でも、最初に常滑の土がやきものに合ってるって気づいた人って何で気づいただろう?って想像すると面白いよね。初めてウニを食べようと思った人とか、最初に洞窟に絵を描いた人とか、一番最初に笑った人って何を見て笑ったんだろう?とか、散歩道歩きながらそんなことを考えていました(笑)。誤解を恐れずに常滑の好きな点をあげれば「ちょうどいい塩梅に寂れているところ」です。中途半端に今風なものを取り入れて若者のニーズを探りつつ、すぐに“全国区”といった言葉を引き合いに出す地方都市が一番つまらないし中途半端に感じる。「やきもの散歩道」でリタイアした老夫婦とたまに会釈しながらすれ違ったり、道脇にグッとくるやきものが誰に盗まれないまま放置されていたりとか、そういったことは直接的に金銭には繋がらないけどずっと記憶に残る。“寂れ方”の作法といった世界があって、その大半は貧乏くさく寂れていくのですが、常滑の寂れ方には品があってこれは計算して生まれるものじゃない。常滑は個人的には“いい塩梅”をいつも感じます。

※1 昭和初期ごろ最も栄えた窯業集落一帯を指す。今も点在する煙突・窯・工場など、時代とともに使われなくなった歴史的産業遺産を巡る常滑の人気観光スポット。
※2 陶磁器を焼く窯の一種。 山の傾斜に沿って階段状に築き、下方からしだいに上方へ焼きあげてゆくもの。余熱を巧みに利用した東洋古来の窯。常滑の「やきもの散歩道」に残る「登窯」は、1887年(明治20年)頃に築かれた窯で1974年(昭和49年)まで使用されていた。日本で現存する登窯としては最大級。

 


2013年2月9日〜6月9日に、INAXライブミュージアムで企画・開催された『焼憶展』会場写真より(撮影:大崎保利)

 

-その後、『焼憶展』がINAXライブミュージアムで開催されることになったのは、どういう経緯で?

後藤:最初、「大竹さんに弊社の新作トイレの審査員をしてください」ってご依頼をしたんです。でも大竹さんは「審査員はできない」というお話になって。そこから「じゃあ、トイレ作ろうか」っていう話に発展して常滑に来ていただいて、そこからいろいろ話を進めていって、「じゃあ展覧会やりましょう」って話になったんですよ。

-INAX的にはまさかの嬉しい展開ですね!

後藤:そうなんですよ(笑)。

大竹:で、やっぱり展覧会をやるとなると、ただタイルに絵を描いて並べるといった安直な展示はやりたくなくて。だから、やきものでまだ誰もやったことがないようなことをやらないと意味がないじゃないのかなって考えて。そういう考え方は現代美術っぽいのかもしれない。

-「焼きもの」の「焼」に「記憶」の「憶」と書いて『焼憶展』というタイトルで、まさに大竹さんらしい、ネーミングセンスが光ったいいタイトルだな~と思ったんですが、これはたまたまぴったりな言葉を思いついたってことですか?

後藤:大竹さんが自販機の前でしばらく一人でずっと考え込まれていた姿を思い出します。すごい時間をかけて、あの時ふと『焼憶』という言葉が出てきたんですよね。

大竹:やっぱり意識して考え始めるとなかなか(言葉は)出ないんだけどね。でも、ふとやきものって「記憶に焼き付けたもの」とも言えるんじゃないかと。そこから一気に。

-『焼憶展』に関しては、先に展示が決まっていて、途中でタイトルが思いついたっていうことでしたが、他の展示の場合は後からタイトルを決めた感じですか?例えば、ビルの作品を多数展示した『ビル景』とか。

大竹:『ビル景』は、作品を制作していた時期まで遡ると俺が22、23歳の時なんだけど。その時は「ビルをテーマに描いたら面白いんじゃないか」とかって全然考えてないわけで。40年くらい経って、結構ビル描いてるな~みたいなところから、自分の作ってきたビルをテーマにした作品の流れが見えてきて、それを展示した形。

-大竹さんにとって展示は、ご自身を改めて俯瞰するための機会なのかもしれないですね。

大竹:やっぱり10年くらいじゃ何やってるかわからない、40年くらいやらないと。いろんなタイプの作品が違った周期でぼこぼこ出てくるんだけど、1日1日の視点で見るとそれがよくわからない。傾向の似た作品を分類して40年くらいの時間の上に時系列に並べてみるそこに一定の周期があることに気づくわけ。大きな周期の流れが見えてくる。『ビル景』はそういう経緯で生まれた展覧会だった。

-作品を作ってる理由の一つに、最終的には誰かに見せたいっていうのはあるんですか?

大竹:それはある。普段からは特に誰かに見せるために描いてるっていう意識はないけどね。極端な話、山の中にひとりでこもってずっと描いてて、ずっとテンション保って、それでハッピーにいられるか?って言われるとそこまでの精神的な強度はないと断言できる。作品を発表することで、全くの赤の他人からの意見との出会いってのがあって、ボロカス言われたり、褒められたり。それが次に繋がっていくように思う。人に見せる目的で作ってるわけじゃないのだけど、定期的に吐き出したくなるといった気持ちが近い特にこの丸2年は鬱積して、仕方ないよね。

-そうなんですね。コロナの影響で?

大竹:去年(2020年)の9月にやろうとしていた展示延期になってそれを今年の10月にやるのか?といった全く先の予定が立たない状況で。去年は海外展含めて6カ所くらい無くなってしまった。今の所、何の発表の機会もなしに、ただただずっと作ってる毎日で。田舎住まいだからやることがないわけよ。昼間絵を描いて、夕方になったら散歩してみたいな毎日。以前は散歩してる爺さん婆さんを見て、「散歩して何が面白れえんだ?」と思っていたけど、気づいたら散歩してて。つい1年前はまさか自分自身が毎日散歩なんてするなんて思いもしなかったんだけどさ(笑)。

-(笑)。最悪ずっとこのコロナ禍の状況が続いていったら、モチベーションをどこに持っていこうって感じになってきますよね?

大竹:改めて考えれば毎日何かを作って散策するといったローテーションほど理想的なことはない、そんなこともコロナに気づかされたんじゃないかな。結局創作の刺激は外界ではなくそれぞれ自身の内にしかないと思うし。創作のための刺激として何か新たな「モノ」を所有したいといった気持ちもあまりないしね。

-インプットしたいものがない?

大竹:インプットしたいモノがないってことではなく、そういうのは自然に入ってくるっていうかさ、インプットは意識的にするモノじゃなくて求めなくても「起きる」のだと思う。そもそもこっちからあんまり求めない。

-先ほどお話しいただいた 『焼憶展』に関しても、たまたま銭湯でのタイルの作品を作ることになって常滑に来たことがきっかけになり……という偶然があったと思いますが、展示へのモチベーションや、大竹さんの創作を突き動かす要因の一つとして、「偶然性」が大きいように思えますね。

大竹:『焼憶展』をやろうと思った経緯に関して言えば、後藤さんとの出会い大きい。後藤さんは「タイル=命!」みたいな人で、今どきこんな人いるんだ!って発見に似た驚きと、あ・うんで分かり合える共通項みたいなものを感じて。そういう人の周りには似たような人が何人か必ずいて、『焼憶展』は、まさに人との出会いが全ての始まりでした。美術とかの世界でも、相手が美術に関わっている人だから分かり合えるか?ってそんなことはまずない。なかなか感覚的に分かり合える人って少ない。

-美術は特に知識量とかを求められる感じはありますよね。知ってないと良さがわからないようなことも。

大竹:本来、美術に不必要なのが知識量だと個人的には思います。アートの歴史や背景についての知識があることと絵の良し悪しを感知できるってこと全く話が違う。音楽もそうだけどね。音楽の知識はすごいからって、いい音楽がわかるか?とは違ってくるじゃない?まあ「分かる」ということ自体が抽象的な表現なんだけど、美術や音楽において「饒舌に知識を語る人」に惑わされるな!って教訓が自分にはある。

-ちなみに、大竹さんって、アートの領域での仲のいい作家さんとかキュレーターとかっているんですか?

大竹:いない、皆無。

-(笑)。

大竹:編集者とかミュージシャンとかバーテンとか、近所の鉄工所のお兄ちゃんとか、そういう人で仲が良い人はいるんだけどね。東京にいた時は、いろんなパーティーとかで他の作家や学芸員、キュレーターたちとも会ってしまうけどさ。宇和島に引っ越してから、オープニング呼んでもどうせ来ないだろって多分思われてるのか、もう招待状もあまり送られてこない(笑)。それくらいの距離感がちょうどいいんだよ。自分のことを振り返ると、パーティーでの出会いはその後ほぼ大したことに発展しなかったって思いは強い。

-なるほど(笑)。

大竹:自分で“芸術家だとか思ったところでさ、そんなこと思い込みでしかない。漫画家の赤塚不二夫さんじゃないけど自分のことは“最低の奴”だってあえて自覚している方が健全だと思うね、喧嘩にもならないし。結局“アーティスト”だってプライド持つのとかも時には大事だろうけど、何事も時の流れによって淘汰されていく。100年もつかどうかっていうさ。100年もつものが果たして良い芸術なのかどうか?っていうのは別として。言えるのはアートの良し悪しって、とりあえず100年ぐらい経たないとわからないし語れない。生きてるうちに評価するなんて、わからないんだよね、生々しすぎて。自分はどうなっていくのかな? わからないまま終わるんだなぁとは思うけどね。ステップアップっていうのともまたちょっと違うのかもしれないけど、もっと違うものができるんじゃないか? そういったことはいつも思っている、思うというよりは無意識的な希望のようなことかもしれないけど。なかなか思い通りにはいかないから、時間の経過もあるし、だんだん体力もなくなっていくし。それは誰しもが逃れようのないことだから作れるうちにもっといろいろ作っていきたいと思う

 

 

大竹伸朗と音楽のニューノーマルな関係

大竹:刺激って言えば、散歩してるときに音楽聞きたいなと思って、Bluetoothオススメのワイヤレスイヤホンを娘に教えてもらって、それがめちゃくちゃ音が良くって。サブスクって全く興味がなかったんだけど、あれで何でも聴けるから、完全にはまってしまって。すごい世の中なったんだなぁって。

-僕も最初絶対レコードとCDしか音楽聴きたくないって決めてたんですけど、サブスクは一回使ってみたらむちゃくちゃ便利なことを知って、もうCDもレコードも要らないなってなりました(笑)。

大竹:世界はとんでもないところにいっちゃってる

-調べたらこんなのもあるんだ!みたいな知らない音楽も出てきますもんね。それが楽しくてどんどん調べちゃうっていうか。

大竹:そうだね遥か昔の話、レコードとカセットテープの青春時代を経てCDに移っても音源を自分なりにシャッフルして焼いたミックスヴァージョンCD-Rやカセットテープを友達にあげたりするのが10代のころからの道楽で、サブスクだとそれができない。

-でも個人でプレイリスト作れるんで、「大竹伸のプレイリスト」ってのを作って発信したらどうでしょうか?

大竹:いや、でもやっぱりモノとして渡したいわけよ。で、そうなってくると CDとか購入しないと取り込めないから、何でも聞けるんだけど、自由に編集して人に渡せない。

-その散歩中の音楽鑑賞が、今の生活の中での唯一の刺激であり、インプットの行為になってるってことですね?

大竹:インプットというほど大げさじゃないけど昔から音楽が占めるモノは大きい。俺が子供の頃って、外国のミュージシャンの動画を見れないというのが常識という時代で。今なら YouTubeとかでれるけど、そもそもネットもないし、ビデオも出てないし、ミュージシャンの動画をテレビで放映すること自体が稀だった。だから、海外の雑誌とかでその好きなミュージシャンの写真探して、写真と音から動いてる姿を想像してた。それぐらい好きなミュージシャンが動いてるところを生じゃなくて、たとえ映像であっても目撃するという体験自体が当時は狂喜だったわけですよ。DEVO、トーキングヘッズ、テレヴィジョン、ギャング・オブ・フォーとか学生の頃にパンク、ニューウェーブ系のバンド雨後の筍のごとく出てきたとき、吉祥寺の電気屋のコーナーの隅でDEVOの映像15分上映するってのを知って、正に大狂喜!わざわざ吉祥寺まで10分くらいの画質の悪いPV観に行った。当時は、好きなミュージシャンが動いてる姿を見るっていうことにみんなとてつもなく飢えていたと思う。だから、より記憶に焼きつくんだよね。でも今はサブスクで音楽聴いていると、いかに自分が知らないかっていうことを思い知るよね。ロックなんかかなり聴きまくってたと思ったのにさ、全然知らないバンドばかりだったといった現実を半世紀後に思い知った(笑)

-こんなにまだいっぱいいたんだ!みたいな?

大竹:うん。70年代は日本で流通する海外のレコード、いわゆる「洋盤」も数が少なかったし高価だし、まず子供が容易に手に入することは難しい時代で。海外の旬のミュージシャンが来日するのも今とは比較にならないほど少なかった。そのせいもあって全ては無理だけど超大物バンドのライブを追えば意識せずともロック史を時系列で体験することと重なっていたんだと今更ながら思う。それが今の若い子、例えば50年代の音楽の次に、先週出たヒップホップが並ぶみたいな環境で音楽を聴くことが当たり前になっている。それはそれで面白いし否定的に捉えてはいないけど、一つの好きなバンドを長い時間をかけて徹底的に時系列にり続けるっていう底なしの面白さも時間を持て余すコロナ禍に知った。青春時代の思い出話じゃなくて、それを一生追い続けることで尽きない発見が連鎖していく感覚っていうかな。自分が小中学校時代に影響を受けたバンドとか掘っていくだけでもきりがない。

-大竹さんがずっと追っかけているどの辺りの音楽なんですか?

大竹:ニューウェイヴ系とか、ブルース、ゴスペル、ソウル系あと超定番にはなるけどビートルズとかも。50年代のプレスリー登場から60年代初頭までビートルズのデビューまで当然リアルタイムで聴いてないし、1960前後のヨーロッパとアメリカにどういうバンドがいたのかなんて、大物以外の情報は当時の日本には入ってきてない。

-そういうのを今改めて調べていくと、新しい発見があるってことですね。

大竹:結構、今になって知ことの方が圧倒的に多い。YouTube出現まで知ったつもりでいただけで。

-前よりも逆に音楽を聴いてるっていう感じですか。

大竹:そうだね、逆にコロナになってから音楽をよく聞くようになったよね。SNSメディアを通して知らなかったバンドとの出会いもあるけど長い間自分の中に「点」としてしか意識しなかったミュージシャンやバンドが時系列に一気に「同線上」繋がる瞬間はすごく興奮する。今聞いてるのは、アフリカの音楽かな。あと、ラップとかに絶対興味持たないって思っていたんだけど、最近見つけた奴がいて。これすげえなって思ったのラッパーなのかスタンリー・スミスって奴を偶然見つけたわけよ。ラップって言っても、なんかヤバいアル中のおやじみたいな歌い方で。歯がなくて息がもれちゃってる感じがグッとくるのよ。こいつ大丈夫か?みたいな感じなんだけど、すごい刺激を受けた。調べけど、同姓同名のブルース系で正統派ミュージシャンしか出て来なくて。ラッパーのスタンリー・スミスの方は調べても情報が出てこない。いまだに同じ人物かどうかがわからない。

-ちょっと後で調べておきます。

大竹:調べたら教えてよ。

(後日、ラッパーのスタンリー・スミスについてネット上を調べてみたところ、iTunesSpotifyなどのサブスクに1枚のアルバムがヒットしたものの、プロフィールなどの情報は全く出てこなかった。TwitterFacebookはあったが、更新はされておらず、メディアに取り上げられた形跡もなかった……)

 

謎のラッパー・Stanley Smithについて詳しく知っている方いらっしゃれば編集部までご連絡ください!

 

 

最近のこと、これからのこと、今考えていること

-次の展示は決まってるんですか?

大竹:前回の展示『ビル景』が終わったのが一昨年(2019年)のコロナ直前の10月だったんだけど、そのあとの作品はどんどんビルが崩れていっていて、解体工事現場みたいな絵が出てきた。それを次の展覧会では出そうかと。

-ビルが崩れ出したんですね。

大竹:で、その崩れた解体現場風のシリーズの次に、ここ最近は木炭画とガッシュっていう不透明水彩を描いてる。全然発表の予定はないけどね。描いてもそれに興味持ってくれる人がいないと、自分がどんなにいいと思っていても、展覧会にならない。そんな作品が大半を占めてる。

-最近ですと、東京オリンピックのポスター制作をされていましたよね?

大竹:あれは自由テーマでオリンピックテーマだったら、何を描いても、どんな手法でもいいよって言われて。でも難しくて、オリンピックテーマでアスリート描くみたいのは絶対やりたくないと思っていて。

-あの絵は何を描いたんです?

大竹:よくわかんないんだよ俺も。宇宙人みたいな、何だこれ?みたいなさ。

-(笑)。ちなみに、その宇宙人はなぜ描いたんですか?

大竹:「宇宙的」な何かであって別に「宇宙人」を描いたわけではないんだよ。地球上で国別にスポーツを競い合うっていうのは、もう古いと思うんだよね。ベネチアビエンナーレとかもそうなんだけど、国別で競うっていう発想が終わってるっていうか。オリンピックも、もっと宇宙テーマでなんかできないかなっていろいろ考えたんだけど、具体的にイメージが決まってなくてね。で、偶然その時進行中だったスクラップブックページに引っかかってくるイメージがあったんだよね。絶対これだ!っていう確信があって。いつもそうなんだけど、ほんの少し、たったミリでも気持ちに引っかかればそれまでの謎が一気に解決することが起きる。でも、それは意識的に探しても見つからなくて、なんか偶然なんだよね、本当に。検索すればヒントが見つかるか?というものでもない。面白いことっていつも起きてるんだけど、引っかからないだけなんだと思う。引っかからない時っていうのは自分自身の心が素直に開いてない。

-では、最後に「何のために作品を作ってるのか?」ってもし尋ねられたら、それって突き詰めたら、やはり「生きるため」が答えになるんでしょうか?

大竹:いやー「問い」がいきなり大きすぎるね、どうなんだろうね。おちゃらけて話すんだったらいいけど。「生きるため」ってここで言うの何か恥ずかしいな(笑)。

-アートはお金のためではないって話がありましたが、やっぱり作家業を生業にして食っていくことも必要じゃないですかと思って。その辺りはどうお考えですか?

大竹:個人的には「食える食えない」を基準にプロアマを判断する考え方に昔から疑問を感じる。食えるか食えないかを前提にアートを目指すといった考え方が自分にはよくわからない。食えなくてもすごい作家は世界にはたくさんいると思うし、またその逆も多い。自分自身はこれまで固定収入なんて一度もないし、好きなことやってるだけだから、ブレイク目標に手広く仕事して、とかって考えもなかった「作家」としての人生設計的なことはこれまで考えたこともない、全て成り行きというか、そもそもさっき言ったようにほぼ思うようにはならないから。展覧会の時などに作品を通して海外や国内コレクターや施設に購入されてということはあるけど持続的な個人との強いつながりが特にあるわけでもない。言い方は悪いけど毎年大博打のようなもので1年先がどうなるのかまったく予想がつかないままこの歳になったというのが正直な思い。おそらく日本国内の展示だけだったらいまでも生活は楽じゃないどういった状況になろうと同じことをやってると思うけど。

(笑)。

大竹:まあ、本当にこれまでもこの先どうなるのか?なんてわからないから、いつも来年は真っ暗闇。でも作家ってそれでいいと思うんだよ。逆にそうじゃないとダメになるっていうか、来年のことが分かってるとぬるくなる。

-たしかに。

大竹:もともと未来なんて誰しもどうなるかわからないものでしょ、コロナ禍で時間が出来た分、当たり前だと思い込んでいた様々なことを立ちどまっていろいろ考える機会が増えたのは職業に関わらず全うな人としていいことなんじゃないですか?自分に置き換えれば「作る」っていうことを改めて突き詰められるというか、展覧会の予定も立たないのに何で作ってるんだ?って思うこともある。発表の機会がないんだったら作ってもしょうがないやっていう作家もいっぱいいると思う。これから先の展覧会の予定がゼロであっても、作品を作っていくのか?って話とリアルに直面している。でも同時に、そういう目標がない状態でも作品を作り続けるって、アートの本質でもあると思っているよ。

-仮に発表の場がこの先ずっとないってことになったとしたら、作品作りを止めてしまうなんてことも考えられますか?

大竹:ならない。なぜなら「作る」ことが自分の唯一のエネルギー源だと確信しているから。目標に向かって作ってないからスランプってものがないし。そもそも「スランプ」なんて贅沢病だと思っている。具体的な「目標」がないからいいんじゃないかなと思うし、なるようにしかならないだろうし。結局、「作る」意思というのは世間的な仕事じゃないからさ。もしも仮に「製作費全て出します、時間も自由です、何か作ってください」って言われても、作れない時は作れない。仕事じゃないからねそもそも人に言われて作るものじゃない。

なるほど。

大竹:例えば、花を見て絵描きたいなと思うだけで、それ以上何がいるのかな、と思うわけで。コンセプトなんて「花を描きたい」だけで良いというか。なんでこの花をこういう風に描くのか、についての説明をしなきゃいけないか?って思う。アート難しくなりすぎてる気がする。外国の展覧会では開催国エリアの政治事情わからないと作品の制作意図が全く理解できないというのも珍しいことではない。それが不必要だとか無意味だといったことでは当然ないけどまず政治事情を理解した上で作品鑑賞をしろと言われても自分自身はそれはちょっと御免被りたいなぁと。コロナのこととか環境問題とかテーマにするとしっかり世の中のこと考えてるようなアピールには見えるけど個人的にはその類には反射的に防御本能が働く、ちょっとあざといなつい思ってしまう。それよりも、花が死ぬほど好きで花一筋に絵を描き続けている奴の方が信じられるし、共感する胡散臭く陳腐に響くかもしれないけど、絵を描くことも含め自分にとっては何事も突き詰めれば、内にある「愛」との関わり方なんじゃないか、と思っている。

 


今回撮影協力していただいた「東窯工業株式会社」のお二人と大竹さん。ご協力ありがとうございました!

 


 

INFO:

大竹伸朗をはじめ、常滑の磁場に引き寄せられた(!?)さまざまな文化的活動をする方々や、「タイル 」を特集テーマに自宅や店舗でタイルを活用している方々のインタビューを掲載した冊子『LIVING & CULTURE MAGAZINE BY INAX MUSEUMS』は、INAXライブミュージアム他にて絶賛配布中(部数限定となっているので欲しい方はお早めにどうぞ)。

 


LIVING & CULTURE MAGAZINE BY INAX MUSEMUS #
1
発行日:2022年3月10日
仕様:44P(B5版本誌32P+A5版別冊12P)
定価:無料
発行:INAX ライブミュージアム
企画・編集・ディレクション:武部敬俊(LIVERARY)
デザイン:蛯名亮太(eieio)
取材・テキスト:村瀬実希(MAISONNET.inc)、藤谷有紀、武部敬俊
撮影:対馬一宏(TONETONE)、小坂奎介、藤谷有紀

配布場所:
常滑市:
INAXライブミュージアム
imawo/まわるカフェ(2022年5月OPEN予定)
カフェ&ギャラリー麦
TUNE ZUNE 常々

名古屋市:
TOUTEN BOOKSTORE
ON READING
港町ポットラックビル
Utopia / 喫茶マスカラス
MAISON YWE
TT” a little knowledge store
YANGGAO
ie gorico
食堂バテリア/パルル
大大大

KAKUOZAN LARDER
unlike.
LIEB BOOKS
シヤチル
コアラド
spazio rita
only free paper 名古屋
bar ka na ta
芸術文化センター

岡崎市:
QUIET VILLAGE

瀬戸市:
Art Space & Cafe Barrack

豊川市:
コジゴロ

多治見市:
新町ビル

京都市:
vou

AND MORE

 


INAXライブミュージアム

土とやきものが織りなす多様な世界を、観て、触れて、感じて、学び、創りだす、体験・体感型ミュージアム。

住所:愛知県常滑市奥栄町1-130
営業時間:10:00~17:00(入館は16:30まで) 
休館日:水曜(祝日の場合は開館)、年末年始
TEL:0569-34-8282
https://livingculture.lixil.com/ilm/

 
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