黒田育世レパートリーダンス公演
国内外で高評価を得ているダンスカンパニー「BATIK」主宰であり
演目は、オーディションで選ばれたワークショップ参加者による『
今回、再演という形で発表される『ラストパイ』は、
LIVERARYでは、公演直前に黒田育世本人に取材を敢行。彼女の考える「踊り」とは一体どんなものなのだろうか?言葉をひとつひとつ丁寧に選びながら、答えていただいた。さらに、このワークショップに参加した愛知のダンサー・田辺舞によるレポートも。
SPECIAL INTERVIEW:
IKUYO KURODA(BATIK)
Interview, Text & Edit : Takatoshi Takebe [THISIS(NOT)MAGAZINE, LIVERARY]
―そもそも、なぜダンスを始めたんでしょうか?
6歳の頃にクラシック・バレエを始めました。単純にチュチュを着たかったくらいのシンプルな気持ちでした。
―その後、コンテンポラリーダンスの道へ?
20代の頃にダンスの道へ進むんですが…。ただ、私自身、「コンテンポラリーダンスというものを踊ったり、つくったりしている」という自覚はないんですよね。私独自の踊りを踊っている感覚です。
―コンテンポラリーダンスというジャンルには該当しない、ということでしょうか?
「コンテンポラリーダンス」という言葉の定義がすごく難しいとは思うんですが、言ってしまえば、同時代のダンスすべてを総称している言葉なので、そういったダンスをコンテンポラリーダンスというのであれば、私のダンスがそれに該当しているかどうか?と考えるよりも、私はわたしの独自の踊りを踊っています、と言ったほうが気分が楽だ、ということなんです。ジャンルに縛られるのがもともとそんなに好きではないのもあります。
―なるほど。では、今回の公演についてお聞きします。そもそも「ラストパイ」という作品は別のダンサーさんに振り付けをしたものだったと思うんですが、もともとはどういった思いで振りつけた作品だったんでしょうか?
踊りになりたい、と思いました。それがすべてです。
―ちなみに、この「ラストパイ」というタイトルの意味というのは…?
曲名ですね。松本じろという作曲をした者が、名付けた曲名です。もとは10分に満たない作品でしたが、私がそれを40分ほどにしてほしいと言って、アレンジしてもらいました。でも、あとから、知った事実として驚いたのですが、医学に詳しい方がお客さんにいらっしゃいまして、その方から「ラストパイという言葉は医学においては<死に損ない>という意味があるんですよ」と言われてハッとしました。もともとは単なる音楽のタイトルだった言葉が、実はそんな意味があったなんて、と。
―「死に損ない」ですか…。その言葉が該当するくらいに、極限状態にまで追い込むような黒田さんのダンスっていうのは、なぜそのようなスタイルになったのでしょうか?さきほどの「踊りそのものになりたい」という言葉につながるんでしょうか?
直結すると思いますね。ずっと踊っていたいということです。
―個人的には、ダンスって楽しくて踊るものだったり、自身のダンスを見てもらって感動を与えたいとかっていうのが踊る理由なのではないか、と思ってしまうんですが、黒田さんの踊りっていうのはどちらかというと、苦しいイメージがあるんですが。
まず、踊ることはとても楽しいんですよ。ですが、私の場合は楽しいからやっているわけではないです。私にとって、踊ることは使命です。
―なぜ、使命だと思われたのでしょうか?
徐々に思い始めたことだと思います。踊ることは使命だなんて若い時には言えなかったと思います。出産も経験して、ある程度、年をとったことで、心にしまっていた「踊ることは私の使命だ」という言葉が自然に出てきたんだと思います。
―今回の公演では、ダンス未経験者の方に踊って欲しいという思いだったんですか?
今回の公演というか、今回は、ワークショップなんです。たまたま、最終日に公演をお見せすることになったというだけで。ワークショップがメインなので、参加者の中にはプロではない人も、プロの方もいますが、共通認識として、これはワークショップであって、公演を求められているわけではないというのは理解していただいてます。一番重要なことは、私たちが出会うことなんです。そして、踊りたいという気持ちがあれば、本当に踊れるんだってことをみんなで実感することなんです。お客さんのために踊る「公演」というものとは全く違う枠組みのものだと思います。
そして、経験者より、初心者を好んで選んでいるわけではないんです。中には、経験豊富な参加者もいらっしゃいます。そして、経験がある/なしに関わらず、「踊りたい」という情熱がある方、「踊りたい」という気持ちが純粋にあるか?という判断で選んだ人たちが今回の参加者なんです。経験がない体が「踊りたい」という気持ちになったときに、ダンス経験者側からそれを見た時、ものすごく刺激を受けるんです。で、それは逆も然りです。テクニックを持った人間が「本当に踊りたい」と思った時、とてつもなく輝く瞬間があるんです。それを経験がない方が見た時、自分に何が足りないか?それを見つけていくことになります。その相互作用は「出会い」という意味でものすごく重要なものになります。こういう場がない限り、おそらく出会うことがないはずです。全国から集った「本当に踊りたい」という気持ちを持った人たちが経験のあるなし関係なく一堂に会すること、もう二度といっしょに踊ることはないかもしれない、これは奇跡的なことですよね。
―黒田さんご自身も、参加者の方々の踊りから刺激を得られるってことですね?
もちろんです!新しい血を巡らせてくれるように感じます。
―その参加者たちの踊りたいという気持ちはどのようにして確かめるんですか?
ボディクオリティなどを確認して、ひとりひとり面接をします。「本当に踊りたいですか?」と聞いた時、「踊りたいです」と真っ直ぐ目を見て答えてくれた方々が参加者です。
―「踊りたい」という気持ちを確認するわけですね。黒田さんの踊りって、表現としては身体表現なのですが、精神性が極めて強いと思います。極限状態にまで追い込むことで、ある種トランス状態のような心理になるのではないか?とも思えますが、それについてはどう思われますか?
精神性が強いというのは仰るとおりだと思います。ただ、トランス状態というものになったことはないので、そこはなんとも言えませんね。そして、ダンスをつくるうえで、最初から極限状態に追い込もうとは考えていません。しかし、「削ぎ落としていく」という考え方ではあります。踊れば踊るほど、もうこれ以上踊れない、もう立つこともできない、といったそういう言葉すら、削ぎ落とされていく感覚です。言葉が思い浮かぶうちはまだ大丈夫というか、言葉すらもう思い浮かばなくなった先というのは、取り繕う体ではなくなるんです。観衆からどんな風に見られたいとか、もっと腕を高く上げたいとか、そういうことを思わない、取り繕わない体の状態になるわけです。その体でしかできないこと、踊れない踊りってものがあると思うんです。
―今回の「ラストパイ」の振り付けは難しいものなんですか?
経験者にとってはそんなに難しくないと思いますが、未経験者にとってはとても難しい内容だと思います。パートに寄って踊りの内容は違いますので、未経験者に無理をさせて怪我をしてしまう危険性は回避しようと努めます。安全性は非常に重視しています。
―なるほど。勝手にすごく過酷な内容を想像していましたので、安心しました(笑)。黒田さんにとって、これまでの人生で最も影響を受けたものというのは何だったと言えますか?
人との出会い。あとは別れですね、父を亡くしたことですとか。それから出産、怪我、病気…ですね。ちなみに、作品ですと、すべて小学校の時に見た作品で、ジョルジュ・ドンの踊った「ボレロ」ですとか、マイヤ・プリセツカヤが踊る「瀕死の白鳥」、ロイヤル・デニッシュ・バレエの「ナポリ」です。
―小学校の時にすでに衝撃的なダンスとの出会いがあったんですね。
踊りの道ですね。
―ちょっと気になったのですが、黒田さんは「ダンス」ではなく、「踊り」という表現を使われますよね?それは、あえてそう言い換えているのでしょうか?
「踊り」という言葉をあえて選んでいるというよりも、私はその言葉を好んでいる、ってことだと思います。
―なるほど。本日はありがとうございました。
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2016年2月11日(木・祝)
黒田育世レパートリーダンス公演 ※SOLD OUT
会場:愛知県芸術劇場 小ホール
時間:2016年2月11日(木・祝) 15:00、19:30(30分前開場/2公演)
料金:一般(前売)2,500円(当日)3,000円/学生(前売)1,500円(当日)2,000円
出演:BATIK、オーディション選抜メンバー
愛知県芸術劇場:http://www.aac.pref.aichi.jp/