まちのメディアピープル #01:平野勇治(名古屋シネマテーク)
その通りで、体験としての“映画を観る行為”っていうのは、もっともっと人々のなかに入っていかないといけないとは思っている。ある時期までの映画を見ていた人というのは「どこで、誰と」映画を観たのかというのが大きかった。
加盟している映画館の20数館がHPでもTwitterでもなんでもいいんだけど発信することで、ミニシアターというものを、お客さんの中に映画体験として(浸透させていきたい)。うちの会員証を持って、高崎に行ったり静岡に行ったりするなんていうのは典型的な映画体験だと思うんだよ。シネコンの会員証を持って系列のシネコンに行ってもどこも同じだから。そうではない映画体験をしてほしい。僕も他の映画館の会員証を見たいよ。うちの会員証はぼろっちいけど、会員証も個性があるから。
アンリ・ラングロワっていう、映画を収集・保存・上映する「シネマテーク・フランセーズ」というフランスの施設の創設者の人の評伝(『映画愛‐アンリ・ラングロワとシネマテーク・フランセーズ』)がある。もう映画にとりつかれたような人でさ、「どんな映画でも収集・保存しておかないといけないんだといって、戦争中も自分の庭に穴を掘ってフイルムを埋めていたりしたらしい。
ここ(シネマテーク・フランセーズ)で、ゴダールだってトリュフォーだってヴェンダースだって映画を見て育っていった。ヴェンダースはドイツからフランスの国立の映画学校に入ろうとして落第したのにパリから離れないでここでひたすら映画を見ていた。私がこの本を読んだのはシネマテークができてからだし、シネマテークっていう名前もひたすらみんなで飲みまくった末に超適当に「もういいよ、名古屋シネマテークで」という具合に決まったわけなんだけど、「(そうした名前を)付けた以上は(そんな場所でありたい)」という気持ちも少しはある。
ある時期からうちで舞台あいさつをしてくれる監督のなかで、どれだけ心から思っているかはわからないけど「シネマテークで映画を見てました。こっち側に立てるなんて」という風に言ってくれる人たちが出てきた。例えば、山村浩二っていう『頭山』っていう映画でアカデミー賞にもノミネートされたアニメーション監督がいるんだけど、彼はこっちの出身で、シネマテークでよく映画を見てくれていたんだって。
『リンダ リンダ リンダ』を作った山下敦弘もうちで映画を見ていたらしい。映画をつくりはじめてから知り合ったんだけど、園子温もうちに入り浸って、仕事がない時代にうちのスタッフの家に泊って、夜は酒を飲んで昼はうちで映画を見てという生活を送り続けていた。
七里圭っていうアート系の映画をつくっている監督もいる。
そうやって、うちで映画を見ていた人が、うちで上映する映画をつくり、舞台に立って「こっち側に立てるなんて」って言ってくれることが増えてきた。
それを見たときに、「そうか、明日俺が面白い映画を見たいなら今日面白い映画をやってないとだめじゃん」と思った。うちで見た映画だけじゃないと思うけど、うちで上映した映画が見た人に刺激を与えて、いつかその人が作る側に回って、俺に面白い映画を見せてくれる。監督じゃなくても、映画に携わりたいと思う人が増えていく。 シネマテークはそういう映画館であり続けたい。
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名古屋シネマテーク
名古屋市・今池にあるミニシアター。
1982年に設立。 (ただし、前身にあたる自主上映団体「ナゴヤシネアスト」が活動しはじめたのは1971年)
客数は40席。上映作品は、邦・ 洋画を問わず、ロードショー公開から監督特集などの企画ものまでバラエティーに富んでいる。詳しくは、上映作品のスケジュールを御覧下さい。
http://cineaste.jp/