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FEATURE / 特集記事 Feb 27. 2021 UP
【SPECIAL TALK SESSION & INTERVIEW】
詩人・最果タヒ、グラフィックデザイナー・佐々木俊が語る、
「詩をデザインするということ、デザインが詩になるということ」
最果タヒ一問一答式インタビューも敢行。読者からの質問を多数掲載!

FEATURE:最果タヒ展|名古屋|〜2月28日(日)|大阪|3月5日(金)〜3月21日(日)

 

SPECIAL INTERVIEW:

最果タヒ

LIVERARY編集部からの質問とともに、前回掲載した記事にて募集をかけた読者からの質問を、最果タヒに送付。ほぼ全ての質問に丁寧に答えていただき、一問一答のつもりが予想を遥かに超えたロングインタビューに!ここに一挙掲載!!

 

<以下、LIVERARYからの質問です>

Q1_昨日は何をしていましたか?

原稿書いてました、あとお粥を食べました。

Q2_今回の展示の見どころは随所にあるかと思いましたが、(個人的には時計/時間を詩に置き換えた作品が好きでした)。今展示における、最果さん的ベスト3を、教えてください。

モビールの部屋は私にとって展示をするきっかけになったもので、「詩の展示」の軸ともなるものなので一番みてほしいです。他は同率2位です!

Q3_今回のような展示表現も含め、人に読んで観てもらうことを強く意識されているのを感じます。だからこそ、普段詩を読まない人たちにもたくさん届いているのだと思いますが、現代のテクノロジーを利用したり、このような新しい詩の見せ方やアイデアなどは、詩を作りながら同時に考えているのでしょうか?

人に読んでもらうことは実はそこまで意識はしていないのです。展示に関しては、展示をするからには人に来てもらうことになり、その場に行くというのはとても体力を使うことなので、その人がその場に来る必然性をつくる必要がある、と思いました。それは読んでもらうためとかではなく、単純にそうでないと展示をする意味がないと思ったからです。展示作品を成立させるために、人の存在を前提にする必要がありました。
詩を書くときはむしろ、誰にもわかってもらえないのではないか、もう読んでもらえないのではないか、というぐらいの心許ない気持ちになるものの方が良いと思っています。
また、アイデアは書くときとは別で考えます。

Q4_日々、SNSなどで言葉の海に溺れていると、強い言葉に、こちらの思考までもが押さえつけられてしまっているような感覚をおぼえます。そんなとき、詩歌をはじめとする文学作品を読み、飛躍した言葉に出会うと気持ちがふわりと軽くなります。言葉は、人を自由にも不自由にもしてしまうものだとも思います。最果さんは、言葉を扱う際に、特に意識していることはありますか? 

SNSはタイムラインを自分で設定していることもあり、見たいものを見るための場所で、その前提で言葉を見るから、言葉が情報の群れのように見えることもあるのではないかと思います。それに共感するかしないか、ということだけが、世界に対する「自我」になっていくというか。タイムラインへの反射が全てになるような息苦しさがあります。逆に、詩は読む人によって意味が異なっていたり、タイミングによっても印象が変わるものなのではないかと思います。それは詩だけでなく、芸術作品はみなそうで、その作品の前に立つとき、自分とその作品以外は存在しないような感覚をもたらしてくれるからです。自分がその作品に対してどう思うかがすべてで、他者の意見が介在しないような、そんなゆたかさがあります。
言葉は、色彩や音と同じように、本当は画一的な意味でなく、その言葉を用いる人の数だけ、「印象」や「意味」があって、揺らぎを抱えているものだと思います。その揺らぎが読者に言葉の作品を「自分だけの何か」に見せることがあり、だからこそ、書くときは言葉そのものの揺らぎに身を委ねられたらいいなと思っています。

Q5_アイデアやイメージを、言葉/詩という形にするうえで大事にしていることは何ですか?

あまり器用ではないので、アイデアやイメージを持たない状態で書き始めないとなかなか書けないのです。そうしたものが先にあると、それを伝えるための道具として言葉を書いてしまうので、なかなか言葉が揺らぎをもたず、真っ直ぐになってしまう気がします。

Q6_逆に、「言葉を使わない」という条件でもし詩を書かなくてはいけないとしたら、どんなやり方で、何を使って、表現されますか? そのような表現をしたことが過去にあればそれについても教えてください。

私は、言葉は詩そのものだと思いますし、詩は言葉そのものだと思います。

Q7_どんなことでも同じことをずっと繰り返しているとやはりルーティン化してきてしまうと思うのですが、ただ「詩を書く」という表現行為に飽きてしまった、という時期もありますか? 

生きることには飽きますが、詩を書くことは私にとって飽きるとは真逆のことで、それ自体に飽きるということはあり得ないです。言葉を書くことで自分の予想を超えたところに行ける瞬間があり、その時に詩は生まれます。自分でないものになる瞬間であり、それを退屈と思うことはないです。もちろん、その瞬間がなかなかこない日もありますが……書くものが詩にならないときは退屈というより苦痛です。でも、うまくやろうとするともっとよくなくなるので、あまり気にしないことにしています。

Q8_好きなことを仕事にする苦しみがあれば教えてください。

好きなことを仕事にしたとはあまり思っていないです。考えてみたのですが、好きなこと、と想像されるジャンルのもの、「詩を書く」もそうですが、それらは完全に100%「好きなこと」なのでしょうか。私は詩を書いていると一瞬訪れる、自分が肉体から剥がされて、得体の知れないところに放り出されたような感覚が好きですが、突き詰めるとその瞬間以外は別に好きではないのです。詩を書くことの全てが好きかと言われると、人生にとって一番好きな瞬間は詩を書くときに訪れるが、その周辺にあることも全て含めて好きなのかは分からない、と思います。そして、突き詰めると、その一瞬が「好き」なのかもよくわかっていなくて、ただそういう瞬間がない人生は嫌だから、書いている、という感じなのです。この世で誰にも共有され得ない「自分」を持つことの、理由が全て詰まっている気がしました。自分が知らない自分に出会う瞬間というか、想像しなかった一行を自分が書いた、というとき、とても開放感があります。でもそれが好きかはわからないのです。もっとお風呂には毎日入らないと気持ち悪い、ぐらいの感覚かもしれません。けれど、だからどんな好きなことが他にできても、書く時間を減らしたりはしないだろうな、とも思います。
仕事だから何かが違うかというとそこまでの違いはなく、書く量も昔からあまり変わらないのですが、事務作業と人とのやり取りが苦手なので、そこが一番苦しいです。確定申告とか。好きかどうかはあまり関係ない話だとは思いますが……。

Q9_詩を人に薦めたときに、どうしてもその魅力がわからない、わかりにくいといった意見を耳にします。そもそも、わかるか、わからないか、ということだけに価値があるとは思いませんが、最果さんは、他の詩人の作品を読むとき、どんなふうに読んでいますか? 

考えなくても済むぐらいガガーンとくる作品が好きです。脳を自分の代わりに操縦してくれそうな詩が好きです。

Q10_また、最果さんの詩を初めて読む、という人にもしお勧めするとしたら、ご自身が書いた詩の中から、どの詩を送りますか? 

人によるから難しいですね……タイトルが好みな詩集があればそれをまず手に取ってもらえるのが一番いい気がします。

Q11_最果さんの詩の多くに「ぼく」と「きみ」という呼称が使われています。「ぼく」と「きみ」の間にあるものを通じて、世界を捉えているのかなという印象を受ますが、「ぼく」と「きみ」という言葉を使うことへの想いがありましたら教えてください。また「あなた」と「きみ」の使い分けについても教えて欲しいです。

書いている言葉は、書いている言葉の形が全てで、それよりも向こう側に何があるのかは、読む人に委ねるものだと思っています。以前、「きみ」とは男性なのか女性なのか、と聞かれたことがありますが、そういう発想をそれまでしてきませんでした。「きみ」は「きみ」で、それ以上のものではない、というか。読む人がイメージすることはもちろんありがたいのですが、書くときにそうしたことを考えたりはしないのです。書いた言葉だけがこの世の全てだ、ぐらいの感覚でいた方が、読んだ人の中に溶け込んでいける気がしています。だから「きみ」としか思ってないときしか、「きみ」と書かないようにしています。
「きみ」と書くとき、それは、「きみ」本人ではなくて、「きみ」と呼びかける「ぼく」や「わたし」の意識が現れるように思います。「きみ」という言葉には、「ぼく/わたしが見つめる人」以上の意味は一切含まれていないと、わたしは思っていて、そしてそれをそのまま貫いて書いていけることが、言葉を書くことの美しさだと思っています。

「あなた」「きみ」は語感で変えているのだと思います。意識はそこまでしていませんが、リズムで選択しているように思います。

Q12_所有物/持ち物の中で、最も大切なものは何ですか? 

ぬいぐるみです。

Q13_逆に一般的な人はだいたい持っているもので、最果さんにとっては必要のないものはありますか?(例えば、うちにはテレビがありません)

くつべらです。

Q14_名古屋についてのイメージはありますか? 名古屋について気になってる人・場所・もの等があれば教えてください。

味仙です。

Q15_コロナによって大きな変化を迎えたと言える2020年でしたが、最果さんにとってはどんな年でしたか? コロナ禍において、作家という存在が改めて力強く見えたり、同時に非力に見えたりもしました。最果さんは改めて、ご自身についてどう思われましたか?

作家が力強いか非力かは、正直よくわからないです。「作家」という存在があるわけではなく、どこまでも個人が個人として世界に対峙しているのみであると感じます。
私も「詩人だからどうする」とか「詩人だからできること」とかいう視点で考えることはありませんでした。ここにある出来事について何かを書くのも、自分が誰かを引っ張っていくのだとかいう考えがあるからではなく、書くことが私にはかなり近いところで紐づいていて、書くことで考えられるし、書くことで感じ取れるからです。答えがよく見えるわけではないし、むしろわからないし、わからないことを思考停止して諦めるのではなくて考え続け感じ取っていたいと、個人的な気持ちとして思うから、私はそれが最も肌に近いところでできる言葉でやり、書いていきました。そうやって書くことで、誰かにとって、小さな目印のような言葉が現れることももしかしたらあるのかもしれませんが、それは作家としてやるべきことでも、作家の仕事でもなく、人が無数に生きるこの地上で生まれたことで起きるささやかな出会いのひとつであり、同時代に生まれた言葉がリアルタイムで共有されるという奇跡的な巡り合わせであって、作家だからなんてことでは言い表せない、もっと静かな、自然で、原始的な人と人の出来事だと思います。

Q16_私たち人間は今後、どんな生き方をしていくべきだと考えますか?

わからないです。
わからないから言葉を書いているのかなと思います。まずは、この状況を生き延びていきたいです。みなさんの幸運と健康をお祈りします!

Q17_今、考えている新しい試みや挑戦したいことなどあれば教えてください。

漫画を作りたいです。

 

<以下、読者からの質問ドバッといきます!>

 

Q18_言葉に救われたな~と思った出来事があれば教えてください。

言葉というものが新鮮な、全く違うものに生まれ変わった瞬間を見せてもらったことは何度かあって、それによって言葉が好きになった、書きたいと思えた、のですけれど、でも、救われたことはないかも、と思います。むしろないから、書いているのかもしれません。

Q19_あなたの最果てってどこですか。

私の最果ては私の脳にあるのではないかなあと思います。

Q20_顔を出さないということと、詩を書く時の言葉の選び方に何か共通点があるように思えます。どうでしょうか?

どうでしょう?自分のことなのであまりそこはわからないですが、詩そのもの、言葉そのものはそもそも書いた人の顔なんてつかないものなので、むしろ言葉のナチュラルな形として「顔を出さない」はあるし、私はだからそれを選択しています。

Q21_「詩の時計」という作品が好きなのですが、記号学(パラディグムとサンタグム)からインスピレーションを受けていたりするのでしょうか。

記号学よくしらなかった!調べてみたら面白そうですね。掘ってみます。ありがとうございます。

Q22_佐々木俊さんのデザインが鮮烈で印象的だと感じます。逆にそのデザインから詩を考えることもありましたか?

展示の「ループする詩」はアイデアを佐々木さんが出してくれて、どこから読んでも読める詩、という指定で書いています。

Q23_以前ブログで「短歌を詠むことがものすごく苦手」と書いていましたが、なぜ苦手なのでしょうか? 詩と短歌を詠むことの違いについても知りたいです。やはり定型であることへの縛りを窮屈と感じられるのでしょうか。

定型を意識してしまうか、定型をむしろ自由と感じるかで、短歌を選ぶか詩を選ぶかが分岐するのではと思っています。わたしは自由にはどうしても思えないのですよね。窮屈、というより、定型がある方が自由に感じる、という人がいる、という事実に衝撃を受けている感じです。しかし読むのはとても好きです。言葉が誰のものでもなくなる瞬間を招くのが定型の力かと思います。(詩もその瞬間が重要なのですけど、それを招くまでの道も言葉で作る感じです)

Q24_詩を作る上で、言葉は難しい表現を使わず、わざと平易な言葉をチョイスをしているのでしょうか?

わざと選ぶことはしないですけど、スルッと出てくる言葉で書いています。スルッと出てこないと、無意識で書くことができないからです。伝わりにくい言葉でも、スルッと出たらそのまま使いたいです。

Q25_(詩人全般への質問となってしまいますが)詩を書く原動力はなんですか。何があなたを書く行為へと突き動かしているんですか。

書くことで、言葉が自分の想像の範囲を超えていく瞬間があり、それが新鮮で楽しいと思うからです。

Q26_ゆで卵は半熟派ですか、固茹で派ですか。

半熟です。でもあまりゆで卵、好きやないです。キーマカレーに乗せるのは好きです。

Q27_詩以外への興味や、趣味があれば、知りたいです。

宝塚、音楽、漫画、洋服、天文学

Q28_『夜空はいつでも最高密度の青色だ』映画化の際、自分の詩に物語がついて、そして映像になるということに何を思いましたか。また今後もそういった形での映像化に興味はありますか。

これは以前にブログでも書いたことがあるのですが、やはり詩は詩として独立したものなので、それを補足するような作品にはしてほしくない、と最初にプロデューサーの方に伝えました。脚本が上がってきて、詩そのものより、詩とともに生きる世界が描かれていて、とても嬉しかったのを覚えています。ミカもシンジもとても好きですが、自分の詩の一部というより、詩とともに生きてくれた人物、として好きです。
今後もそういう素敵な機会があればもちろんとても幸せです。

Q29_現在注目している作家はいますか。

暮田真名さんの川柳が面白いなと先週思ったところです。

Q30_旅をすることは好きですか? 今一番行きたいところはどこですか。

旅はあんま好きじゃないです。移動で頭痛くなるから……。国際宇宙ステーション。

Q31_女性性であることへの何か特別な思いはありますか。それは詩を書く事は何か影響を与えますか。

特別な思い、あんまないです。あんまないからこそ、医大の入試不正の話とか、吐きそうになりました、あんまないって言ったっていいような「性別」で、単なる生まれつきのことで、理不尽な目にあう人がいることの気持ち悪さ。理不尽、っていう言葉で言えているはずなんだけど全然足りた気がしなくて、本当に心から意味不明で、正気でやっていたんだとしたら、ほんと馬鹿だって思いました。

詩の影響はあるのでしょうか。生理について書いたりはするけど、でもあえて意識して題材にしようとすることはないです。海の近くに生まれたことの方が影響は大きいかと思います。

Q32_どのチョコレートが一番好きですか?(お店、銘柄、種類など)

ジャジャーン!ポールエヴァン!

Q33_スガキヤのラーメンは食べたことがありますか?

ないです、食べたいです

Q34_呪術廻戦の好きなキャラクター教えてください!

昔からキャラを好きになることがあまりなくて……。死んだら嫌なのは釘崎さんです。好きなセリフは「純愛だよ」です。

Q35_宝塚で呪術廻戦やるとしたらずんちゃんは真人だと思いませんか?

そうですね!!!(握手)
でも本誌版乙骨も見たいです。

Q36_宝塚歌劇団で一層気になる男役さんと娘役さんをお1人ずつ教えてください。

すみません……1人は無理でした……(もうかれこれこの質問の前で2間ぐらい悩んでいます)

彩凪翔さん
桜木みなとさん

真彩希帆さん
音くり寿さん

でも、みんな好きです……

Q37_どんな10代でしたか?10代の時と現在では詩を書くときの気持ちは違いますか?

どうやっても今の私には思い出せない部分があるはずで、だから言い切ることができないのですが、もう、全てが嫌いだったように思います。血気盛んではないけど、じっと頭の中で高速でなにか書いていた気がします。自分一人で世界と向き合っているから、全てを感じ取って何もかもを考え抜いて、数多ある出来事や美しさに反応し続けなければ自分は価値を失う、と思っていたし、絶望していたと言うよりは、失うものか、やってやる、と思っていました。今でも基本は変わらないというか、書くときは同じような感覚に戻らないと書けない気がしています。

Q38_好きな歴史上の人物は誰ですか(彩凪翔さんのゲーテ以外で)

いや……彩凪さんが好きなのであって、歴史上のゲーテが好きなわけではないですよ?!(彩凪さんを歴史上の人物としていいなら彩凪さんですが……
この前小野小町の歌を色々訳したのですけど、小町はだいぶ好きです。あと清少納言はずっと好きです。でも歴史の人なんてほとんど分からないから、そんなには好きになれないです。

Q39_人生最後の晩御飯が何でも選べるとしたら、何が食べたいですか。

一生死にたくないです……。緑茶は飲みたいですが、ご飯はそのときの体調次第かな。でも、出汁を使っているものがいいです。

Q40_詩を意識して書き始めた頃と比べて、人との距離や死など核のようなご自身の考え方に、変化や成長? 歳を重ねて変わったところはありますでしょうか? 

あまり変わってないと思います。10代の頃の自分って想像以上にそのまんま残るのですね。小学生ぐらいの頃の方が大きくその辺は変わったかなと思います。

Q41_口癖みたいな言葉を詩で使うことはあるのでしょうか?

私の口癖は「え、」「あ、」「うわー」なのですが詩には出たことないです。

Q42_詩人が贅沢しているとお坊さんが贅沢しているくらい違和感を覚えます。最果さんはどう思いますか?

なんかすごく……不思議な質問ですね、ありがとうございます。

人間が贅沢をしていたらそれ自体に対して何かを思うのか、それとも詩人だから、お坊さんだから、なのかによって考え方は変わりそうですね。お坊さんはどうして贅沢をしてはならないのか?というのは、多分修行として一切の執着を捨てるべきだ、とされているからなのですけれど、でもそれを張本人でも師でもない他人が「執着を捨てれてないぞ」と思うのは、それはそれで余計なお世話であるように私は思います。その人がそうしたいならそうすればいいのではないか、とか思ってしまって、私はそこに踏み込むことはできません。あと、仏教のこと私はあんま詳しくないので……、たぶん、他の人間と同じようにみてしまいます。それと、何を贅沢と思うかも人によって違いますね。
詩人に関してはどうなんでしょう、詩人になれたという時点で人生における贅沢をさせてもらっているとは思います。お金の話ではなくて、機会の話であり、本を読む機会が子供の頃からあり、勉強もさせてもらいました。美術館にも行かせてもらいました。非常に幸福で贅沢なことだったと思うし、これらがない状態で詩人になれたとは思いません。感謝する意味で「贅沢だった」と、強く思います。で、お金の話になると、それは正直よくわかりません。詩は貧乏から生まれる、飢えから生まれる、詩以外のことをしていてはよい詩は書けない、詩を書くなら幸せではいけない、これらの価値観は、非常にロマンチックで、ある意味で夢溢れたものですが、私からするとこれは詩の話ではなく、詩人という存在にある種のロマンチックな物語を見出しているものだと感じます。しかしそれ以外に「詩人は贅沢をしてはならない」という理由があるとも思えなくて。どうしてそう思っておられるのだろう?ということがシンプルに不思議でした。
私は高いチョコレートとか買って少しずつ食べるのが好きです、これは贅沢なことですね。細部まで意識の行き渡った美しい洋服にはちゃんと支払いたいと思います。これももちろん贅沢です。私は、詩のためにこれらを我慢しようとは思いません、だって、我慢する意味がわからないから。それよりは食べたいものを食べて、着たいものを着て、幸福な気持ちになる、という意味のわかる道を選びます。そしてそれを読者の方に「わかるよ!大丈夫だよ!」と言ってもらいたいとも思わないです。読者に対して思うのは、よい詩を書きたいです、というだけです。詩人としての自分の存在を肯定してほしいのではなく、私は、詩を読んでほしいからです。それ以外の部分への肯定も否定も求めません。
仕事をする機会が増えると、自分の詩について特に感想を述べない仕事相手の人も増えてきて、ちゃんとイマイチな時はイマイチだと伝えてくれる編集者を大切にせねば、とよく思います。今、私が選択できる「機会の贅沢」はこういうところにあり、私はそこの方が大切です。詩人ではなく、詩に関わる問題だからです。あとは、仕事に対して手を抜かないとか、よいと思えるものだけを出す、とか、そういう当たり前だけど絶対に一度でも気を抜いてはならないことにしがみつく、それだけではないかと思います。なんの物語性もないしロマンもないですが、それをコツコツやっていくしか詩への誠実さはないと感じるのです。

Q43_好きな移動手段は何ですか?

電車です。
地下鉄ではなく、窓から景色が見える電車。
空いているほうがいいです。

Q44_

こんにちは、はじめまして。
この度はこのような厳しい状況のなか、名古屋にお越しくださりありがとうございます!
去年の夏に福岡で最果タヒ展が開催されているのを知った時から、名古屋での開催はあるのかな、まだかなと、とても心待ちにしていました。
窮屈な日常に楽しみを作ってくださってありがとうございます。
さて最果タヒさんへ質問ですが、
「好きな色は何色ですか?3月は色で表すと何色だと思いますか?」
ちなみに私は名古屋の最果タヒ展のポスターの絶妙な青色がとても好きです。
ぜひ教えてくださるとうれしいです。

ありがとうございます。この時期の開催はやはり気になることも多いですし、心配も尽きませんから、そうおっしゃっていただけると何より嬉しいです。
春は灰色です。

Q45_

今ほしいものってなんですか?(金額の大きいものとファンからもらって嬉しいものとか)
今度最果タヒ展行かせてもらいます!自分の誕生日が2/20なんですがちょうど予定空いてたのでその日に行かせていただきます!すごく楽しみです。このご時世に開催していただきありがとうございます。応援してます。

お誕生日おめでとうございます!
いただけるのはファンレターが嬉しいです。こういうメッセージもとても嬉しい!あとは本や雑誌に書いた詩とかの感想がTwitterに上がっているのを見るのも嬉しいです。ありがとうございます!

Q46_

タヒさん、初めまして。
名古屋に住む、女子高校生です。
私は普段、活字が苦手で本を読まないのですが、
日記代わりに詩を中学生頃から書いています。
ですが、当時、上手く言葉に気持ちを表すことができなくて悩んでいました。
すると、ある日、snsでタヒさんのことを知りました。
タヒさんの綴る言葉が美しくて、すごく惹かれたことを覚えています。
そこから私もタヒさんのような美しい言葉を綴りたいと思うようになり、現在では美しい詩を書くことを目標にして、書いています。
私は本当は誰かに私の詩を読んでほしいのですが、人に見せることはどうしても怖くてなかなか見せられません。(普段からもそうなのですが、他人の反応が怖くて、すぐに上手く言葉に表せず、どうしても詩に起こすことしかできません。)
タヒさんが自分の詩を公表するきっかけとなったものはありますでしょうか?

私はブログで雑文を書いていたら「詩だね」と言われたのが始まりなので、順番が逆なのですが、その後、詩の投稿サイトとかに投稿するようになって、やはりどんな反応がくるんだろう?とは思っていた気がします。現代詩手帖に初めて投稿して(「苦行」という詩です)、載っているか本屋に見に行った時の、頭の中で心臓の音が鳴り響いている感じは忘れられないです。不安はきっとあの頃とてつもなくあって、でも、人に読んでもらいたいという気持ちが勝ったときに投稿し始めたのだと思います。よきタイミングが訪れるとよいですね。

Q47_自分は最果さんとちょうど同世代で、インターネットに対する温度感や2000年代初頭の空気感についてお話しされている最果さんの過去のインタビューを読むととても懐かしくなります。当時は今より匿名性が高くやっている人も少なかったのである意味自由な感じがしていたのですが、そういった空気感の時でさえ、詩を発表することへの緊張や恥ずかしさはなかったのでしょうか。自分の表現を他者に発信するということは、内面を曝け出す行為だと考えているのでそのテンションというか温度感が知りたいです。

内面はあまり曝け出してないかもですが、当時、なんというか、世の中というか、自分の外側が非常に軽薄に思えていたので、自分を研ぎ澄ましてなんとか抗うしかない、という感覚がありました。インターネットはそのころ現実世界からの避難場所のようだったので、それをそのまま解き放っていい、と信じていました。わからないと言われても、わからなくていいよ!と思いながら書き切れる、そういう場所でした。
あと、詩が恥ずかしいって私は思ったことはなく、想像もつかないのです。書き始めた頃の私は、むしろ世の中に「恥ずかしくないのか?」と思っていた気がします。別に世の中に「否」をつきつけたくて書いていたわけではないのですが、自分自身にしか分からない言葉を書くことがこの世を切り裂く唯一の方法だと思っていました。今でも、それは大事な感覚だと思っています。

Q48_タヒさんこんにちわ。人生の目標、大げさに言うと生きていく意味という話になるのですが、こういうテーマに触れている詩もありますがあらためてこういう詩をかける感性のタヒさんがどう考えているのか、ずっと気になっているのでもしよろしければこの機会に聞いてみたいです。よろしくお願い致します。

死んでしまうことが昔からとてつもなく怖くて、私は全ての人が死なないで済んだらいいのにってずっと思っていました。これはやっぱり死というものがとても怖くて、口にしてもいけないものだ、とされていたからこそ、余計に、だったと思います。みんないつか死ぬのに、絶対そのことを話してはならない、なんてすごく怖いです。そういう部分もあるから、私は死についてよく書きます。死は生きることの最後にあるもので、生に内包されています。死への出会い方に不幸や悲しみはあるけれど、死そのものが全て不幸と思うことは避けたいと思っています。
生きていく意味については、はっきりとここで答えられるほどの明確な何かを私は持っておらず、だからこそ詩に書くことができるのではと思います。死んだこともないし、死がどんなものか知らず、そして生まれる前の記憶も持たないので、生きることがどんなことなのか、知らないまま生きているんですね。だから意味というものをはっきり手に入れることはできなくて、そこに手を伸ばしていくのが精一杯で、そのとき詩や絵や歌が生まれたりするのかもと思います。

 

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イベント情報

2021年2月13日(土)~2月28日(日)
最果タヒ展
会場:名古屋パルコ西館6F PARCO GALLERY
営業時間:館に準ずる ※最終日は18:00まで ※休館日:2/17(水)
料金:一般800円(税込)/ミニ本付チケット1800円(税込)
主催:キョードー大阪/パルコ
協力:中京テレビ事業/sou nice publishing
企画制作:キョードー大阪
チケット・詳細:https://iesot6.com/

※大阪・心斎橋パルコでの展示は、3月5日(金)〜3月21日(日)

最果タヒ
1986年生まれ。2006年、現代詩手帖賞受賞。2008年、第一詩集『グッドモーニング』で中原中也賞を受賞。2015年、詩集『死んでしまう系のぼくらに』で現代詩花椿賞を受賞。その他の主な詩集に『空が分裂する』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(同作は2017年石井裕也監督により映画化)。エッセイ集に『きみの言い訳は最高の芸術』『「好き」の因数分解』、小説に『星か獣になる季節』『十代に共感する奴はみんな嘘つき』などがある。作詞提供もおこなう。清川あさみとの共著『千年後の百人一首』では100首の現代語訳をし、翌年、案内エッセイ『百年一首という感情』刊行。2017年にルミネのクリスマスキャンペーン、2018年に太田市美術館・図書館での企画展に参加、2019年に横浜美術館で個展開催、HOTEL SHE, KYOTOでの期間限定のコラボルーム「詩のホテル」オープンなど、幅広い活動が続く。最新詩集は『夜景座生まれ』。今春にエッセイ集『神様の友達の友達の友達はぼく』が発売予定。 http://tahi.jp/


佐々木俊
1985年仙台生まれ。2010年多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。
2016年AYOND(アヨンド)を設立。2020年JAGDA新人賞受賞。これまで最果タヒの複数の著書、展示環境等の
デザインを担当。その他の仕事として、NIKE吉祥寺店の店舗グラフィック、東京国立近代美術館「デザインの
(居)場所」宣伝美術、連続テレビ小説『エール』タイトルロゴなどがある。参加展示として、2018年太田市美
術館・図書館『ことばをながめる、ことばとあるく―詩と歌のある風景』がある。

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