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仕事を辞めずにバックパッカー。名古屋在住アラサーOL海外一人旅日記ヨーロッパ編①2ヶ月の旅の始まり。旧ソ連の面影が残るジョージアの首都・トビリシでソビエト建築探訪。

Text & Photo by Ayaka Torii

仕事を辞めずにバックパッカー。名古屋在住アラサーOL海外一人旅日記
ヨーロッパ編①2ヶ月の旅の始まり。旧ソ連の面影が残るジョージアの首都・トビリシでソビエト建築探訪。

 

遡る事2023年6月、私は職場に退職を申し出た。
コロナが終息し、海外渡航できるようになったら仕事を辞めて海外を放浪してみたいと思っていたからだ。
しかし色々あって会社との交渉の末、退職ではなく長期休暇を2ヶ月取得するということで話がまとまり、2024年の9月から10月にかけての2ヶ月間、ヨーロッパを周遊することにした。

私は留学もワーキングホリデーも行ったことがないので、長期間日本を離れるという経験はこれが初めてだった。前回の9日間の東南アジア周遊がかなりハードだったので、2ヶ月も体力と気力を維持し続けられるか心配だったが、最悪、途中で旅を中断して帰国することになってもいいからやってみたかった。私は良くも悪くもやりたいと思ったことをやらずにいられない性格で、何を始めるにしても、どうなるかわからないけどとりあえず一回やっておきたいという気持ちが強い。

そうして恐る恐る始めた2ヶ月間の旅だったが、日本へ帰国した今、本当に行ってよかったと心から思っている。
途中で中断することもなく、11月の復職直前、10月末のギリギリまで旅をした。
そうして訪れた国は最終的に合計14カ国となった。この2ヶ月間での出来事と感じたことについて、思い出を振り返りながら書き連ねていく。

2024年9月4日〜9月6日

1カ国目に行こうと決めていた国はジョージア。ジョージアを最初の国にした理由は、今回の旅で最も行きたかった国だったからだ。
どういうきっかけでジョージアのことが気になり出したのか、初めのとっかかりを全く覚えていない。馴染みがなさすぎて、ジョージアのことをアメリカのジョージア州だと思っていたら、かつてはグルジアという呼び方だったというのを知って、グルジアはなんとなく聞いたことがあるな、くらいの認識だった。あとは松屋でジョージア料理のシュクメルリが発売されたときにバズったことと、ジョージア語の文字が丸くてかわいいということは知っていた。

2ヶ月の旅行計画を立てようとしていた頃、トラベルカルチャー誌・TRANSITからコーカサス地方特集が発行された。黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈を有するアゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアの3国のことを主にコーカサス地方と言うらしい。
ロシア、トルコ、イランに囲まれ様々な文化が交差する地域。その中で私はジョージアに興味を持った。無機質でドライな雰囲気の建築物、インディペンデントなギャラリー、カルチャーに根差した複合商業施設、有名なテクノ系のクラブ、日本人コミュニティスペース…。韓国や台湾にカルチャースポットがあることは知っていたが、ジョージアというあまり日本人にとって聞き馴染みのない国で、若者的文化が成熟しつつあるとは。
その後ネットで情報収集をして気になる場所にGoogleマップでピンを立てていたら、最終的にピンの数が50を超えていた。ジョージアに行きたい気持ちが強すぎて、行く前からジョージアに対する解像度だけやたら高い状態になり、他の国について詳しく調べる前にいよいよ出発の日がが近づいてきてしまった。行きたい国だけ決めてあとは現地で計画を練ることにし、私は9月4日の夜、成田空港を発った。

ドーハの電光掲示板。アラビア語を見て中東にいることを実感する

前回ヨーロッパに行ったのは2016年の秋で、その時は人生初の一人旅でオーストリア・チェコを周遊した。あれから8年が経ち、久しぶりの長期フライトだった。
カタール・ドーハ空港で乗り継いで、ジョージア・トビリシ国際空港にお昼頃到着。トビリシはジョージアの首都である。ここからバスで中心地へ向かう。

ホテル最寄りのバス停で降り、外に出た。
暑い。同時期の名古屋も残暑でかなり暑かったがトビリシも同じくらいの気温で、空には日本の夏のような入道雲が見えた。
ホテルに無事到着し、長旅の移動からようやく解放。

ホテルの室内


バルコニーからの風景。遠くに山が見える


踊り場は洋風なつくり

しばらく休憩して、付近を歩いてみることにした。

ボリス・パイチャゼ・スタジアム

 


集合住宅・路面に連なる両替所


売店で買ったアイス。ジョージア語の表記が可愛い

その後17時頃、早めの夕食で、近くの食堂にてヒンカリというジョージアの郷土料理を食べた。

ジョージアに来たら最初に食べたかった料理だ。大きめの小籠包のような見た目だが、皮が分厚く、上部の結びの部分は残して食べるのが一般的らしい。中にひき肉が入っている。肉汁が多くてボリュームがあり、5個食べたらかなり満腹になった。店内では、店主と思われる男性が無愛想な様子でじっと座っていて、テーブルには音響機器のようなものが置かれていた。すると突然音楽が流れ出し、彼は立ち上がっておもむろにマイクを手に取り無表情のまま歌い始めた。しかし、店内の客たちは誰も何も反応せずにフル無視して食事を続けている。
彼は歌い終わるとまた元のように椅子に座って空中を睨んでいた。そのギャップが可笑しくて、店員は無愛想だが料理は手頃で美味しかったので明日も来ることにした。
トビリシでの旅の初日を終え、就寝した。

翌日、起きて外に出ると地面が水浸しだった。夜にゲリラ豪雨があったようでバス停には水が溜まっていた。

 バスの電光掲示板。行き先と、バスが来るまであと何分かかるか表示されている

ジョージアは旧ソ連の国だ。旧ソ連時代に建てられた「ソビエト建築」という様式の建築が今も点在しているようで、建築物巡りもジョージアでやりたいことのひとつだった。コンクリートでできた巨大で直線的なビル建築から、英雄・勝利を象徴するようなモニュメントまで様々。重厚感があり、それでいてどこか哀愁を帯びる建物の様子にノスタルジーを感じ、実際にこの目で見てみたいと思った。
まずこの日に目指したのは「Auditorium of the Industrial Technical College」とGoogleマップに示される、大学の講堂跡地だった。写真を見ると青銅色のブロンズのレリーフ中央に金色の輪が埋め込まれていて、建物自体の規模もそれなりに大きそうだ。
Googleマップによると、途中までバスで行ってその先から徒歩で行くように示されていた。案内に従いバスに乗ったが、途中で曲がると思っていた場所で曲がらずにバスは郊外に向かってまっすぐ進んでしまった。この前のベトナム・ホーチミンでバスから降りずに終点の車庫まで行ってしまったのでこれはまずいと思いすぐに下車した。

歩行者はあまりおらず車がビュンビュン走っている。
私はホーチミンでの学びから、すぐに配車アプリでタクシーを呼び、タクシーで目的地まで向かった。
運転手の名前はジョージア人のジョージ。写真を見せてここに行きたいと伝えると、怪訝な顔をしていた。知らない場所らしい。Googleマップの通りに坂を登るように丘の上へ向かった。だんだん草むらの中に入っていく。丘の頂上まで来ると、それらしい大きいコンクリートの建物が見えてきた。
が、しかし。

見たかったレリーフはすでに解体されており、骨組みのようなものだけしか残っていなかった。いつからこの状態なんだろう。ジョージがこの場所にピンときていなかったのはそういうことか…。残念だったが、そのままタクシーで次の建築を目指し向かった。次に向かった先は「Bank of Georgia」。TRANSITで藤原ヒロシ氏が紹介していて気になっていた建物だ。

巨大なジェンガのパーツを違い違いに積み上げたようなデザイン。元々は別の目的で建てられ、その後Bank of Georgiaが買取りここを本店としているらしい。
下にはガラス張りの建造物があり、内部には地下に向かうエレベーターがあった。反対側に回ると、外壁がツタに覆われている。

かなり迫力のある建物だ。建物自体も見応えがあるが、美術館や建築関連会社ではなく、銀行が買い取ったというストーリーが面白いと思った。こんな銀行だったら用がなくても行きたくなってしまう。

その後は街歩きをしながら、地元のパン屋のような店を見つけて揚げパンのようなものを買ってお昼に食べた。

年季の入った建物が多い印象


パン屋。人が並んでいなかったら店があると気づかないような外観


チェブレキというひき肉の入った揚げパン

地下鉄に乗って次の建築物へ向かう。

最寄り駅から歩いてしばらくすると、「Skybridge」と呼ばれる鉄筋コンクリートの集合住宅に来た。3棟のビルを繋ぐ橋があることからそう呼ばれているらしい。

雨が降る中、傘を差して坂道を登って近くまで行ってみた。

3つのビルはそれぞれ大きさも形も建っている位置も微妙に違う。橋は後から取り付けられたのだろうか。ビンゴカードの穴のような窓の形が可愛かった。

また地下鉄に乗って次の場所へ。

地下へ通じるエスカレーターはかなり長い


地下鉄のホーム

科学技術図書館という建物に来た。こちらもソビエト時代の建築らしい。

今も図書館として機能しているのかどうかよくわからなかったが、内部の壁のレリーフが厳かな雰囲気を醸し出していた。

その後、気になるギャラリーに立ち寄る。

「The Why Not Gallery」というギャラリー


内部の様子

次に「ファブリカ トビリシ」というカルチャー複合施設へ向かった。近くまで来ると、壁一面にグラフィティが描かれた建物を発見した。トビリシの建物は総じて落書きが多い。治安の悪さは感じないが、落書きされていない建物はないんじゃないというくらい、通りかかるほぼ全ての建物にスプレーで何かしら描いてある。それにしても、この建物だけ異様な密度でグラフィティが描かれている。そして、その壁一面グラフィティで埋め尽くされた建物こそがファブリカだった。

 

入り口にはレリーフが。トビリシにはこういった彫刻作品が至るところにあると思った。
内部にはホテル、コワーキングスペース、カフェ、ワインバー、レコード店、アパレル等が入っている。さっきのソビエト建築探訪を経て、急に令和に戻ってきた感覚だった。日本で例えるなら、京都の新風館のようなスポットだろうか。ストリートカルチャー寄りのコンセプトなので新風館とはまた雰囲気が異なるが、POPEYEで海外旅特集があったら掲載されそうなスポットだと思った。

コワーキングスペース


ファブリカ内部の様子。色んなショップが入っている

一通りショップを見る中で、私はレコード店が気になった。最近実家からアナログレコードプレーヤーが発掘されたことをきっかけに、レコードに興味を持ち始めていた。トビリシはクラブ文化が盛んだという情報を事前にネットで得ており、確かにこのレコード店はハウス、テクノ、トランスなどのダンスミュージックが充実しているように見える。私はこの頃まだ自分でレコードを買ったことがなく、親から貰った大瀧詠一とユーミンの和モノLPだけを持っていた。初めて自分で選んで買うレコードを、ジョージアで見つけられたら素敵だな、と思ったが、まだ旅は始まったばかりで、1カ国目で嵩張るお土産を買うと後が大変かもと思いこの日は一旦買わずに引き上げたのだった。

後ろ髪引かれる思いでファブリカを出て、ホテルに戻り、昨日行った食堂で夕飯にした。

この日はハルチョーという、牛肉と米が入った煮込み料理を食べた。塩気とコクがあって美味しい。量があるが、スープカレーを食べる感覚でサラサラと食べられる。
この日も店主は周りを気にせずに仏頂面でカラオケをやっていた。どういうメンタルなのだろうか。顔に一切出ないだけで、普通にカラオケを楽しんでいるのかもしれない。

ジョージアの旅はまだまだ続く。
次回、テクノを聴きに朝からクラブへ。蚤の市やソビエト建築巡りの続きも。

 

 

 

鳥居 絢香 / Ayaka Torii

1992年生まれ。名古屋在住の会社員。LIVERARYスタッフ。
海外旅行と名古屋のカルチャー、飲食店が好き。
沢木耕太郎と誕生日が同じ。

Instagram: ayaka_10r

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