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FEATURE / 特集記事 May 31. 2016 UP
【SPECIAL INTERVIEW】
イラストレーター?デザイナー?画家?
「手君」とともにフィールドを越境し続ける表現者・鷲尾友公。

 

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―ちなみに、子供の頃の将来の夢って何でしたか?

小学校の時の卒業文集に「芸術家になる」って書いたことをすごい覚えてるよ。みんな「サッカー選手」って書いていたけど。僕も本当は書きたかったけど、途中でサッカーを辞めちゃったから。「お前、サッカー辞めたじゃん」って言われるんじゃないかと思ってね。素直に書いたよ。「芸術家になること」って。

―小学校の頃から美術は得意だったんですか?

絵は上手だったと思う。上手キャラ担当。

―小学校の頃の上手キャラって、整った上手な絵を描ける人ですよね。ちゃんと描けるみたいな。

自分ではもっと上手い奴はいると思ってたけどね。

―鷲尾さんは自分で全部やりたい派ですよね?イラストレーターは絵をデザイナー側に素材として渡して、あとは自由に料理して下さいって感じだと想うんですが、そういうのが嫌だってことですよね、きっと。自分の絵がどうレイアウトされるかをすごい気にしてしまう?

デザインも、絵を描くことも、それをまとめる作業も、今までずっと全部自分でやってきたからかね、そういうもんだと思ってた。だから、絵だけを渡すってことは少ないけど、最近は、信頼できるアートディレクターと仕事をしたり、アシスタントの子にラフスケッチを見せてデザインを組んでもらうっていうやり方もするようになったよ。人にある程度委ねるとか、指示を出すってのも難しいなって知ったり、新しい発見もあったよ。でも、どうしても最終的な着地は気になっちゃうけどね。

 

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「お伊勢さん菓子博2017」ポスター

 

―鷲尾さんのイラスト作品は、フライヤーとかも全部、コンセプトが込められたものが多い気がします。線や記号の配置にまで意味があると言うか。

やっぱりそこがデザイナーの感覚なんだろうね。例えば、「手君」の誕生をコンセプトにした漫画も作ったし。「すてたろう」っていう、粟津潔さんが描いた漫画があってそれの複製なんだけどね。子どもを川に流してその中から生まれたのが「手君」だ!って勝手にストーリーを付け加えた。だから「手君」は江戸時代からずっと居たんだって設定になってるんだけど。全然浸透してないけどね。でも、「名古屋まつり」とか「お伊勢さん菓子博」のポスターにもこっそり登場させたりするくらい、自分にとって大切なモチーフなんだよね。

―鷲尾さんといえば、今、お話に出てきた、人の手がモチーフになっているキャラクター「手君」が有名ですが、どういうきっかけで生まれたキャラなんですか?

理由はいくつかあるけど。まず、ひとつは、「人を楽しませよう」と思って、なんとなく描いているうちに出来た。遊びで描いているうちに自分でもキャッチーでわかりやすいところが気に入ったんだと思う。たぶん、そういうのを欲していたんだろうね。自分にとってのアイコンのような、名刺のようなものを。役割的にはコミュニケーションツールとしての絵かな。

 

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すてたろう/2012 原作:粟津潔  作画:鷲尾友公 

 

―僕、小学校の美術の授業で、最初にデッサンで描かされたのが自分の「手」だった記憶があります。

そうなの。「手」は基本なのよ、デッサンの。モチーフにしている人も結構多いしね。有名な方でも多いです。全て後から気づいたんだけど。「手」を描いてしまったのは、自然な流れなのかもしれない。

―あと、作品の中に女の子モチーフも多いな〜って。

最近は多いかもね…。昔は全然そんな作品なかったけど。絵は、自分の気持ちの塊だと思う。僕が女の子を描く前は、自分が描くとは思わなかったけど、自分の中で何か変化があったと思う。例えば、今までは当たり前に元気だったおばあちゃんが年老いてしまったことがきっかけかもしれないし、単純に女の子をイメージしているだけで楽しいってのもあるね。でも、それは、寂しいというか、寄り添いたいって気持ちの現れが女の子モチーフにつながってるのかな。手君もそうだけどね。心の拠り所っていうか。

 

 

―心の拠り所?!

展示をした美術館のキュレーターの北出(智恵子)さんには「もっと、孤独になれ」って言われたけどね(笑)。でも、僕はみんなと和気あいあいとやるのも好きなんだけどね。

―イラストとか絵の仕事とかって、生業にしていくのがそもそも難しいことだとは思うんですが、辞めようと思ったことはないんですか?普通に働こうかな〜みたいな。

常に楽しい発見やワクワクに囲まれて幸せだなって思うけど、この仕事をしていてどうなっちゃうんだろう?って不安に思う時はあるよ。その理由は、いい絵が描ける、描けない、とかじゃなくて。

―不安になるっていうのは、プライベートでの悩みとかですか?

その通り。それ以外ある?

―(笑)。

あと、SNSとかも悩ませる要因のひとつかもね。インスタとか見てると、他のイラストレーターの作品とかもたくさん見えてしまうし。だから、職業としてイラストレーターができてたらまた違うんだろうな〜って思ったりしてしまうけど…。

―それが絵にも影響するんですか?

僕の場合は、どうしても感情が絵に直結してしまうタイプかも。

―なのに、さっきの話、キュレーターの人に「もっと孤独になれ」って言われたのは何でなんですかね?「もっと自分を追い込め!」ってことなんですかね?

たぶんね。僕は絵を描いている途中で、絵から逃げるからだと思うよ。よく休憩しちゃうんだよね。タバコ吸ったり。だから、もっと自分の絵に向き合った方がいいよって言ってくれているんだと思う。絵を描いてるときはひとりだからね。だから最近、ボクシングを始めたんだよ!集中力とか忍耐力つけたくて。脳にも刺激になるかなとおもって。

―最近、中国での作品作りのために海外へ一人で行っていたと聞いていますが、それって自ら孤独になるって状態ですよね。海外で、しかも言葉が通じないところに行くとやはり集中して絵を描けましたか?

中国の展覧会の準備の時はずっと壁にひとりで描いていて、そのときは向き合ったよ。目の前に描く壁があったからね。言葉が通じないから、気が抜けない状態がずっと続いていたし、ほとんど休憩もとらなかったしね。そのとき展示に参加していた作家たちとの昼食や夕食をとる時間は楽しかったな〜。

 

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中国での壁画作成時。国内からは、奈良美智、天野喜孝、鈴木ヒラク、Nukemeなどが選出され参加。「非常上瘾 — 日常生活美学的再延伸

 

―なるほど。今回の展示に話を戻すと、“裏アーカイブス”ということですが、鷲尾さんの中で現状を一回整理したいって気持ちがあったんじゃないですか?

そうかもしれないね。でも、新作も展示しているよ。8月には、アートコートギャラリーっていう大阪のギャラリーで展覧会があって。それはコマーシャルギャラリーで新人作家を紹介する企画で。

―え、新人なんですか?!

まあ、そういうことになるみたい(笑)。毎年開催されているもので、今回、4人の作家が選出されていて。それぞれにその作家を推薦するキュレーターがいる感じの企画展で。僕は、21美のキュレーターの方から推薦されて出すことにんなったんだけど。そこはいわゆる現代アートギャラリーで。実際、僕はそういう場所でやるのは今回が初めてなんだよね〜。

―へ〜。意外ですね。ちなみに、アート側からの鷲尾さんに対する評価ってどんな風に言われるんです?

ん〜よくわかんないだよね〜。今回のアートラボあいちでの展示の声をかけてくれた森北さんも、21美のキュレーター・北出さんも僕のことをおもしろがってくれてるみたい。

―アート/デザインの両領域を行き来している鷲尾さんだからおもしろいっていう評価なのかなって思うんですけど。鷲尾さん自身は、どっちに行きたいとかって気持ちはありますか?

僕の中では、自分の作品がアートになりえるのか?っていうところに関心はある。でも、感情を出す=アートだとしたら、僕はその時に興味があるもので仕事をしているスタンスなので、アーティストでもあると思うけど、仕事の依頼者も多分そういう部分を求められてるからだと思う。すごい極端な話をすると、料理の絵ばかり描き始めたらそう言う仕事が来るかもしれないし。でも、そういう扱われ方を好んでないかもしれない。向いてないんですよ。ん〜。だから、どっちだと思う?

―アーティストになるって、なかなか名古屋にいたら、難しいのではないかな〜って思ってしまうんですが。例えば、東京とか、NYとか、もっと中心へ自分が拠点を変えるってことは考えてないですか?

拠点を変えない理由は、まず単純にめんどくさいじゃん。両親もこっちに住んでいるしね。あと今仕事をいただいたり、やりとりしている業者さんが比較的近いエリアにいるからってこともあるし。それらを考えると名古屋でいいかなって思う。そもそも中心へ向かう発想がなかったね。

―もっと若い時も?20代の時から外に対する憧れみたいなのはなかったんですか?

20代の時は時々外国に行ったりしてた。年に1、2回くらい。ヨーロッパが多かったね。毎年行ってたね。そこで色んなものを見て、イメージを持ち帰って、を繰り返してた。その間には名古屋から何人も東京へ行ったよ。でも、僕は追従しなかったわけで。生まれ育った地元を出て、東京に行ったところでどうなる?っていう疑問がそのときはあったね。

―東京の方が、単純にでかい仕事には早く行き着きそうですけどね。

う〜ん、そうだね〜。でも、東京と名古屋の今の距離感ぐらいがちょうどいいな〜って。今以上に仕事に追われるとしたら、自分の描く絵を大切にできなくなるような気がするもん(笑)。東京で活動している友だちも何人かいるよ。でも、自分が東京に行くってことについては、今でも価値を見い出せないかも。それよりも、もっと大事なことがありそうだなって思ってる。

―なるほど。名古屋ってミュージシャンとかに比べて、イラストレーターや画家、芸術家といった方が少ないイメージなんですが、その点どう思われますか?

いるよ、何人か。

―じゃあ、鷲尾さんが好きなイラストレーターとか画家とかって近辺にいますか?

若野桂でしょ。えーっとね、あとマサオ(白澤真生が良いね。あ、でも彼はデザイナーか。ん〜。あとは….…。

―いないじゃないですか!(笑)

うおっ!あっ、STOMACHACHE.は知ってたよ。でも、東京行っちゃったしね。そういえば、最近、てんしんくんってよく名前聞くんだけど、何?

てんしんくんは、もともとは音楽やってて、そこから発信しているポジションなので、コミュニティ的にはアートやイラスト系のところとは遠い気がしますね。

じゃあ、そういう意味ではいろんな場所があるってことだね。僕が知らないところでやってる人もいるってことは、もっと興味を持って、いろんな場所を見るってことが大事なのかもしれないね。でも、イラストレーターのコミュニティみたいなのがあったとしても、きっと僕の場合はそこから出よう!って思っちゃうのかも。制作で悩んだ時には、東京や海外の作家仲間に話を聞いてもらったりしてるね。

 

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「手君滑り台」模型

 

―なるほど。今回の個展で、「手君」の滑り台模型が展示されていますが、鷲尾さんの今後の展望の鍵となるオブジェかな〜?と思ったんですがどうでしょうか?

滑り台はね。手君はもともと平面だった絵で、それがグッズになったり、壁画に登場したり、今度は立体物にしようと思って。それは、手君と実際に、遊べるようになったらいいな〜っていう気持ちで、自然な流れで「滑り台」に行き着いたんだよね。

―滑り台で遊んでほしいってことは、子供に今、興味があるんですかね?

いや、「手君滑り台構想」に関しては、子どもに向けて作ってる感覚はないけどね。自分の作る物が世の中において、どのように機能していくか?とかに今は興味が有るのかもしれない。でも、子供は好きだよ。自分の知り合いの子供とか、周りに多いしね。あと、友達の子どもが手に顔を描いた絵を描いてきて、それが「手君」みたいだったよとかって、そういうのメールくれたりとか、時々。

―子供に向けて何かをしたい、というか次世代に何か残したい?みたいな?

子供と触れ合う機会が多くなってきて、発見も多いなって思ったりするよ。子供のピュアさについては、面白いって思ってるかも。図書館に行けなくて号泣するとか、ずる賢いとこもあるし、いつも一生懸命だし。自分の制作におけるひとつのヒントになるんじゃないかな〜って。


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今回の個展「WILDTHINGS」では、来場した子供〜大人までが描いた「手君」イラストコーナーも。

 

 

―鷲尾さん自身がすごく悩んでいるデザイン/イラスト/アートといった境界線や領域の話ですが、結局、鷲尾さんがどっちにも落ち着きたくないんだろうなって思いました。

デザインの仕事も好きだしね。細かい文字詰めも好きだしね。InDesignも覚えたよ(笑)。でも、絵を描くのも好きだし。だから、肩書きが何なのか?という問いについては、確かに区切らろうとするとわかんないね。

―別に区切ることが正解ではないと思いますけどね。境界とか気にせずにやってきたことですよね。

いろんなことを吸収しないと、名古屋でやってこれなかったような気がする。今回の展示のチラシの裏に森北さんが書いてくれた言葉があって。それはつまりそういうこと。結局は、ちょっとずつ絵を描いて行くのが正解なのかもね。

 

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「ワッシーは乗り物に乗って散歩するのが好きな人。昨日はスケボー、今日はジェット機、明日は自転車か潜水艦で気の向くままに、、、。でも本当は歩いて行くのが一番好きなんだと思うよ。。。」(森北伸)

 

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鷲尾友公
1977年、愛知県生まれ。イラストレーター、グラフィックデザイナーなど。表現という 分野において、ジャンルや手法、高尚も大衆の別もなく独自の文脈で作品を制作し活動する。 美術館や海外でも発表された彼のオリジナルモチーフの手君は運気アップのアイテムの一つ。http://thisworld.jp/

 

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