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【INTERVIEW】人にとって車とは何なのか。国際芸術祭「あいち2022」で展示中のAHA!によるプロジェクト「ドライブ・レコーダー」が生まれた経緯や展示について、AHA!世話人である松本篤が語る。

2022.07.30.Sat - 10.10.Mon | 愛知芸術文化センター、一宮市、常滑市、有松地区(名古屋市)

 

 

10月10日(月祝)まで県内4会場で開催中の国際芸術祭「あいち2022」。ラーニング・プログラム「愛知と世界を知るためのリサーチ」では、アーティスト等がリーダーとなって、様々な視点で愛知を発見していく6つのプロジェクトを実施し、その成果を芸術文化センター8階のラーニング・ルームで展示している。その中のひとつに、AHA! [Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ] による「ドライブ・レコーダー」というプロジェクトがある。

本プロジェクトでは、「人は、車に何を乗せているのか。」という問いを掲げ、自動車産業が盛んで、自家用車の所有率も高い愛知県で、免許の自主返納を検討している方に話を聞いてきた。そんな中で出会ったのが、60年間にわたって自身の「走行記録」を記し続けてきたT氏。目的地までの走行距離、かかった時間、どんな道を使って、どこに立ち寄ったのか。歴代の車種リストや車の中で聞いている音楽のリストなどなど…。T氏の<運転史>を辿るリサーチは今も続行中だ。会場では、T氏直筆の走行記録や写真、インタビュー音声と、プロジェクトのサポートメンバーがなぞった日本地図などを展示している。

このプロジェクトの経緯や展示について、AHA! の世話人である、松本篤氏に話を伺った。

Interview:

松本篤(AHA! [Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ])

Text & Edit:Kyoko Kuroda[ON READING]
Photo : Yoshitaka Kuroda[LIVERARY / ON READING]

 

 

―AHA! [Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ] というのはどういった活動をされているのでしょうか。

AHA!は、市井の人々の私的な記録と記憶に着目したアーカイブづくりに取り組んでいます。たとえば日記や、写真など、個人的に残された記録を集めたり、それらを媒介とした対話の場を作ったり、展示や本の制作をしています。アーカイブという枠組みから眺めなおすと、これまで一般的に知られている歴史では語られてことなかったことや見えなかったことがたくさん出てくるんです。小さな視点から大きな物語を眺めなおすと見え方が全く変わってくる、それが面白いよねという取り組みです。ただ実は、アーカイブって言ってるけど、真面目ににやっている人からすると、全然違うことをやっている“なんちゃってアーカイブ”なのかもしれません。

―それってどういうことですか?

そもそも「アーカイブ」という言葉には、三つの意味があって。集めるという行為、集まった場所のこと、集まった資料体のこと、全部アーカイブっていうんですよね。基本的な考えとしては、「めっちゃ大事な資料を」「ひとつの場所に」「保管する」っていう流れがあるんです。高邁な思想だけど、お金がないとできないという世知辛さがもれなくついてくる。AHA!がやっているのは、それを全部ひっくり返していくっていう感じがして。めっちゃ貴重なものじゃなくてもいいし、いろんなところに遍在していてよい、保管するんじゃなくて開いていく。要は、アーカイブの専門家(アーキビスト)なしのアーカイブ、小さな活動体でもできる等身大のアーカイブのあり方を探っています。

 

 

―今はチームで活動されているんですよね。

そうです。元々は大阪のNPO法人remoを母体として2005年から始まりました。現在は3名のコアメンバーで活動しています。プロジェクトごとに、全国各地の市民団体、大学機関、美術館などと協働しながら、現地のメンバーとチームを組んで進めています。僕は「世話人」と名乗ってるんですけど、プロジェクトを進行していく役目なので、お世話をしている人かなと。英語で言ったらキュレーターとかリサーチャーになるんでしょうけど、キュレーターも語源が世話をする(curatus)っていうことらしいので。

―今回は、国際芸術祭「あいち2022」の中の、「ラーニング・プログラム」として位置づけられたプロジェクトで、かつ「愛知と世界を知るためのリサーチ」というテーマが設定されています。プロジェクトを始めるにあたり、”車”と”免許返納”に着目した経緯をお聞かせください。

「愛知」=車というベタさが最終的な決め手でしたね。プロジェクトを始めるまでは、世界のTOYOTAやその関連企業が県内にたくさんあったり、乗用車保有台数が全国1位だったりと、誰もが愛知といえば「車」という一般的なイメージを、僕も持っていました。逆に言えば、それくらいの「記号的」なものでしか「愛知」を知りませんでした。でも実際にプロジェクトが始まって、地元の人と出会って話を聞いていくうちに、人と車の関わり合いのリアリティが各段にあがっていって、当初想像していたベタさ、つまりステレオタイプのイメージがどんどん裏切られて「驚き」に変わっていく経験があったんです。個の運転史に着目することで、人の生き方が見えてくるだけでなく、戦後日本が歩んできた道のようなものも本当に見えてくるんじゃないかという手応えを感じました。

そして車について調べていく中で、「返納制度」が浮かび上がってきました。返納するということは、それまで享受できていた車との関わりを自ら終わりにするということ。その時に葛藤や、悩みみたいなものが前面化すると思ったんです。返納制度の岐路に立っている人に話を聞くと、その人にとって車というのがどういうものであったのかというのが照射されていくのではないか、と思いました。

 



 

―今回の展示では、Tさんという人物の<運転史>に焦点があたっています。Tさんとはどのように出会ったのでしょうか。

いつもは基本的には、8ミリフィルムや家族アルバム、育児日記など、記録を探すところからはじめるんですね。記録と記憶は、お互いに強化する部分もあれば、逆に裏切っていくようなこともある。書いてないことがあったり、おぼえていないことが書かれていたり。その辺りのせめぎあいが面白いところだと思っています。ただ今回、時間の制約もある中で、記録を見つけるところから出発するっていういつものやり方は難しいんじゃないかとあきらめていたところもあったんです。だから、これまでとは違うやり方をしてみよう、と思っていました。なので、もちろん期待はあったんですが、Tさんのように車に関する記録をつけている人が現れることは、予想していませんでした。Tさんは、尾張旭市の図書館でこのプロジェクトの募集チラシを見つけたんだそうです。その時にはすでに、募集の締め切りは過ぎていたんですが、「興味がある」と事務局に電話がかかってきました。初めてお会いした時、自主返納を促すご家族に宛てた手書きの手紙(下書き)を見せてもらったんです。そこには「車は私の魂です」と記されてありました。そして、70タイトルの走行記録や33の所有車の変遷を記したリスト、たくさんの写真、そのほかにも様々な記録を見せていただきました。この人は免許返そうと思ってないな、って思いました(笑)。

 

 

―今回のプロジェクトにぴったりの方ですよね。展示を見て、Tさんに出会ったことそのものが奇跡的だなと思いました。

そうですよね。驚きましたし、それと同時に、悩みました。Tさんの70タイトルの走行記録を一緒にたどりなおすっていうことができればきっといいものになるだろう。でも、展示の日程が決まっている中で、プロジェクトのスケールが展覧会の中に収まりきらないことがわかってきたんです。また、今回は新しい手法に挑戦したいという気持ちもあって、最初はTさんを含む延べ約30人の方に聞いたお話を元に、展示をつくることを考えていました。ずっと悩んでいたんですけど、最終的にはTさんにしぼって、AHA!がこれまでやってきたこと、記録をたどり直すということを、こういう場所でも見せるっていう、そこに落ち着いたと思います。

 

 

―「あいち2022」全体を見ても、リサーチをもとに制作された作品はたくさんありましたが、リサーチで出会った「事実」をどういう方法で、どういう態度で語るのかっていうアウトプットはそれぞれだなと思いました。その中で、「ドライブ・レコーダー」は、とても抑制が効いているというか、”私はどう観たか”の”私”が前面に出すぎない展示だと思いました。あくまでアーカイブが主役、というか。

そう見えたらいいなと思ってました。なるべくシンプルにしたかったんです。よく考えたのは、リサーチ・プロジェクトとしての成果発表としてまっとうに展示したい、ということでした。ファインな作品はよそを見てもらったらいいので、作品としての精度よりも、まっとうにリサーチして、それを出したらいいと。また、アーティストの「お手伝い」ではない、サポートメンバーとの関係も見せたかったんです。人によってはこれ資料展示じゃん、Tさんがすごいんじゃん、ってなっても、そういう記憶の残り方ができるだけでもいいんじゃないかなと思ってて。壁にかかっているほとんどの資料って、僕らと出会う前に書かれたものだから。僕らがすごいという感じでは全くないというか。でも、もう一方で、このプロジェクトすごいと思ってもらいたくもあって。免許取得から60年間、ずっと走行記録を残し続けたTさんを探し当てたことのすごさを、じわじわと感じてもらえたら嬉しいですね。まぁ、でも展示としては地味だなあとほんと思います(笑)

―展示の最後のテキスト、あれがめちゃくちゃ効いてると思うんですよね。もちろん、アーカイブって人それぞれで見るポイントや視点が変わるし、どう見てもいいと思うんですけど、あのテキストがあることでアーカイブとの付き合い方がつかみやすい。その上でみると、「資料」だったものが感情に訴えかけてくる。本当にただの一次資料がぱっと出されても、慣れてないとどう見ていいかってわかんないと思うんですけど、それをうまくまとめて提示するのがAHA!の魅力ですよね。

また、記録との付き合いかたとして「なぞる」ということをよくおっしゃっています。お話を伺って思ったのは、記録をもとにお話を聞いていると自然と記録をなぞることになるし、今回展示している、Tさんの走行記録をなぞってできた日本地図のように、とにかく何も考えないで、自分じゃない人の痕跡に自分の身体を合わせていくっていう、二つのなぞるがあるな、と思いました。

ある記録に対峙したとき、そこに字が書かれていたら読む、とか綴じられているものだったらめくる、とか、すごく受動的に“させられている”行為があって、それがどっかで能動的なものに反転していく感じがあるんですよね。「読書」行為なんてその最たるものです。「なぞる」もそうで、なぞるって簡単にできるんですよ。簡単にできるんだけど、やってみると勝手に頭がうごいて、なにか想像しちゃうというか。自分とは違うものなので、自然とそのあいだが見えてくる。自己の中に他者が立ち上がっていく。

基本的にアーカイブっていうのは誰かのものを借りて、自分の視点をつくっていく行為ですよね。例えば、戦争や災害体験の継承を考える時、概念的に記憶を継承しようとしてもなかなか難しい。でも「なぞる」という行為から入っていくと、自然と自分ではないものの輪郭が立ち上がってくる、それが心地よかったりするんですよね。同化しないための方法というか。それがなぞることの面白味だと思っています。そうした身体的な実感を伴う面白さを感じることが、疑似的に記憶の継承につながっていけばいいなと、そういう望みのつなげ方があるんじゃないかと考えています。

 

映像作品『Tさんの走行記録をなぞる』(09:05、ループ)
声の出演|Tさん、手の出演|プロジェクトメンバー、撮影・編集|山根香

 

―社会学者の岸政彦さんは、生活史を聞く際、写真などの記録を使わずその人の記憶のつらなりそのものを聞く方法をとられているそうです。事実と異なる語りがあった場合も、修正や注釈を入れたりしない。「記録」と「記憶」のバランスには、さまざまな立場や方法が考えられると思います。その中でAHA!は、あくまで記録を重視されていると思うのですが、AHA!が思う「記録」の力というものはどのようなものだとお考えでしょうか。

個人的には、岸さんのおっしゃっていることもわかるなっていう感じもあるんです。記録の有無なんてどっちでもいいと思う時もあります。例えば、展示ではTさんだけを取り上げましたが、他の参加者の方のお話もめちゃくちゃ面白いんです。ただ、語りの場に一緒にいない人にその面白さは、基本的には伝わらないと考えてしまいます。その時間や空間から隔てられた人に何かを伝えようとした時には、記録からはじめる方が信じられるっていう感じがするんですよね。

なぜかというと、記録は厳しいんです。記憶だけを頼りに話をすると、こうありたいという希望が混ざったり、現在と過去を綯交ぜに語ることになりますよね。もちろん、「それこそが人間じゃん」っていう話はあると思うんですよ。でも、記録ってそうはさせない厳しさがあるんです。過去に、あなたは確かにこの字を書いた、っていう事実が厳然とあるんですよね。もちろん、そこには嘘や虚構も入りこんでいますが、記録という行為自体は事実です。むしろ、記録と記憶のズレが可視化された方が誠実な気がしていて。そういう意味では、人間の営みの不確かさに触れたいからこそ、確かなものを軸にしたい。記録があって、記録にはないものが記憶にはあるし、記憶にあるものが記録にはないとか、そのあたりを見たいがために、残っているものをちゃんと見たいんです。

厳しさを抜いちゃうと、僕はフィクションに勝てないと思うんです。映画監督の濱口竜介さんが「フィクションを信じられるものにする」とおっしゃってますが(乱暴なまとめでごめんなさい)、リュミエール兄弟の『工場の出口』を引くまでもなく、フィクションは信じられる構造を持っていると思うんです。そんなフィクションの力に拮抗するためには、記録の厳しさをもってやらないと、なにやっても負けちゃう気がしてて。

ちなみに、AHA!で取り上げているトピックは自分から遠いものばかりなんです。個人的には、車も乗らないし、家には8ミリフィルムも家族アルバムもないんですよ。動物園もそんなに好きになれないし。自分にはないもの、知らないものに触れるからこそ見えるものがある。ある種の遠さ、距離というのが自分にとっても、AHA!の活動にとっても重要な関心事だと思います。

 

 

―リサーチ自体は、まだこれからも続いていくんですよね。いつか、まとまった形で書籍や展覧会として見られるのが楽しみです。

国際芸術祭「あいち2022」では、10月1日と9日に報告会を開催します。今回、車をテーマにしていますが、人の数だけ車との関わり方があって、愛知県にお住いの方々はその感度が高いと思います。免許を自らの手で返納することで何が失われるのか、失われてもなお生きながらえてるものってなんだろうかとか。いろんな話ができたらいいなと思っているので、車が好きな人だけでなく、人間に興味があるという方にも来てもらって、何か持って帰ってもらいたいなと思ってます。

イベント情報

2022年7月30日(土)~10月10日(月・祝)
国際芸術祭「あいち2022」
会場:愛知芸術文化センター、一宮市、常滑市、有松地区(名古屋市)
主催:国際芸術祭「あいち」組織委員会
https://aichitriennale.jp/

各公演日時・チケット情報:https://aichitriennale.jp/tickets/pa.html

2022年10月1日(土)、10月9日(日)※両日、同内容を予定
『ドライブ・レコーダー』プロジェクト報告会
会場:愛知芸術文化センター8階 ラーニングルーム・オープンスペース
時間:15:00~16:30
参加費:無料
定員:20名、予約不要
https://aichitriennale.jp/learning/2021/004681.html#section01

AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]
市井の人々の記録と記憶に着目したアーカイブづくりの取り組み。主な活動として、日本最長寿記録を樹立したアジアゾウ、はな子との記念写真を一般から公募して制作した記録集『はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』武蔵野市立吉祥寺美術館(2017年)、家の押し入れに眠っていた8ミリフィルムとそれにまつわる記憶を編集して公開したウェブサイト『世田谷クロニクル1936-83』生活工房(2019年)、ひとりの女性が記し続けた10年間の育児日記をたよりに、東日本大震災後の10年間を振り返る展覧会「わたしは思い出す 10年間の子育てからさぐる震災のかたち」せんだい3.11メモリアル交流館(2021年)などがある。remo[NPO法人記録と表現とメディアのための組織]を母体に、2005年に大阪にて始動。
AHA! 公式ウェブサイト:https://aha.ne.jp/

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