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FEATURE / 特集記事 Aug 01. 2021 UP
【SPECIAL INTERVIEW】
蓮沼昌宏と鷲尾友公がつくり出した、迷路のような新しい美術鑑賞空間。
謎のキーワード「ふへほ」に臨んだ、実験的共作展がアートラボあいちにて開催中。

2021.07.16 Fri - 08.15 Sun「ふへほ展」|アートラボあいち(愛知|久屋)

 

 

長野と愛知の2拠点で活動する作家・蓮沼昌宏と、名古屋を拠点とするアーティスト・鷲尾友公。東京藝大で美術解剖学を学び、絵画やアニメーション、キノーラ装置(※パラパラ漫画の原理で絵が動く装置)などを表現手段とする美術軸で動いてきた蓮沼と、片やインディペンデントな独自の活動軸を持ち、グラフィティカルチャーから現代美術まで越境し続ける鷲尾。

ジャンルも領域も道筋もこれまで交わることのなかった、異色の作家二人による二人展がアートラボあいち(旧・愛知県庁大津橋分室)にて8月15日(日)まで開催中だ。昭和8年竣工の趣ある重厚な建築物の内部に作られた展示空間は、板材や鉄管を使って一部屋丸ごと巨大迷路にしたかのような仕掛けがなされており、そこかしこに二人の作品を点在させた実験的な内容となっている。

異色の二人による、もちろん初めての二人展は、彼らにとって、見る者にとって、果たしてどんなものになったのか。会期初日、最終調整を終え一息ついたところで、取材を敢行。今回の展示において重要なポイントとなった二人の関係性と意外な共通点、そして相互に刺激を与え合い創作されていった思考の迷路を辿り、語ってもらった。

 

 

INTERVIEW WITH

蓮沼昌宏
鷲尾友公

Interview,Text & Edit:Takatoshi Takebe(LIVERARY)
Photo:Yuki Shibata(LIVERARY)

 


写真左:鷲尾友公、右:蓮沼昌宏

 

 

鷲尾友公(WASHIO TOMOYUKI)
1977 年愛知県生まれ。造形業、塗装業を経てイラスト、デザイン、写真、絵、コンテ、壁画や絵画などを手がける。オリジナル・キャラクター「手君(TEKUN)」は立体や映像作品にも登場し、メディアを横断する作家のセルフ・ポートレートにもなっている。近年は、絵画作品を精力的に手がけている。

蓮沼昌宏(HASUNUMA MASAHIRO)
1981 年東京都生まれ。美術作家。記録写真家。2010 年東京芸術大学大学院博士課程修了。絵画やアニメーション、キノーラ装置などを表現手段とする。いろいろな場所に滞在し、発見・経験した物事から新たなストーリーを紡ぎ出す。近作では、光る絵画など、これまでにないモダニスティックな展開を見せている。

 

 

ー今回の展示は順路がまるで迷路のような構造になってるのが、まず印象的だったんですが、あれはどういう経緯でそうなったんですか?

蓮沼昌宏(以下、蓮沼):打ち合わせの時に、わっしー(=鷲尾)からアイデアが出て。

鷲尾友公(以下、鷲尾):「迷路」というか、壁を低く作ったらどうかなって思ったんだよね。空間も広くて壁も良いからそのまま絵を置くのも良いんだけど、もっと低い位置に絵を設置してみてその見え方を実験してみたかったというか。子供がいる生活の中で制作してたっていうのもあるし、最近スタジオで制作してたこっぱ(廃材)に絵を描いてたサイズ感が小さい絵も揃ってたし。絵に対しての壁を考えたときに低い壁はどうかなと思って。

蓮沼:僕も3歳くらいの子どもがいるんですが、子どもにとっては、美術館の展示壁って大人のために作られてるから、そもそも視点が合わない(壁が高い)じゃないですか。

ー迷路の柵は単なる柵ではなくて、(子どもの視点に合わせた)展示壁になってるんですね。

鷲尾:そうそう。とはいえ全てが子供用ってわけではないんだけどね。

蓮沼:今回、展示壁を子ども用と大人用二つ作ることで、大人は大人で楽しめて、子どもは子どもで楽しめるから、棲み分けができて、大人は子連れで来ても自分の時間を楽しめるように、という意図もあります。

鷲尾:最初見た時、どう思った?

 

 

ー最初見たときは、あの柵が子ども用の展示壁だとはわからなかったので、コロナ禍だからこそのソーシャルディスタンス的な意味合いを持たせたのかなって。あとは順路に柵を立てたことで、歩き出したら最後まで行かないといけないし、後ろが詰まってしまうから、1作品だけ見て引き返すってこともできないし、作品を飛ばして先に進むこともしづらいな、と。あえて鑑賞者を不自由にして、強制的に作品を見せようとしてるのかなって思いましたね。

蓮沼:確かに、美術館とかの展示だと、パッと見てパッと次の作品へ進んだりできちゃう。

鷲尾:途中で分かれ道とかも作ってあるから、道筋のパターンは複数あるけどね。平面図で迷路の図面作ってさ、赤鉛筆で子供に試させたのよ。あっ、子供前提になっちゃってるっ!

ー通常の展示壁と、低い位置にも展示があって、迷路を進む中で目線の上にも下にも作品があるのを見つけながら鑑賞するアトラクション感があって、面白いな〜とも思いました。

蓮沼:そういうアトラクション的な展示にも見えるだろうと思って、あまりアトラクション寄りにならないように意識して設営はしたんですよね。そこのバランスは難しかったです。

鷲尾:てか、名古屋市博物館で「ゲーセンミュージアム」ってのやってて、こないだ子どもと一緒に行ったんだけど、すぐ飽きちゃって。ピンボールとかも全部、もともと大人向けに作られてるものだから、当時のゲームの造形には感動したけど(子どもからすると)高いところにあるじゃん。だから全然子どもが触れなくって。夏休みの子ども向けに狙った企画だと思うんだけど、あれは期待外れだったね。

 

 

ー蓮沼さんと鷲尾さんは今回を機に初めて二人で展示を作ることになったと思いますが、お互いにその前から交流はあったんですか?

蓮沼:最初に会ったのは、Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya] がやっているPOTLUCK BUILDINGというアートスペースで。そこのビルを使って行っている「 Studio Project」(=数組のアーティストを毎年招聘し、ビル内にアトリエを設け、短期間滞在制作をさせる企画)に、わっしーが2018年、僕が2019年に招聘されていて。あと、港まちの小学生と壁画を製作する企画があって、前年がわっしーで翌年僕が担当したり、定期的にすれ違っていて。

鷲尾:はっすー(=蓮沼)とは大学でもすれ違いで、授業のある曜日が違うから、全然会わないわけ。

ー近いところにいるのにすれ違ってしまうっていう不思議な縁みたいなものがお二人にはあったんですね。鷲尾さんから見て蓮沼さんはどんな人ですか?

鷲尾:ん〜〜〜……ちょっとおどおどしてて「奇妙な人種」感満載だぞっというか。「 Studio Project」は、2、3ヶ月の間、そのスタジオで過ごすんだけど、はっすーはそこに赤ちゃんも嫁さんも家族ごと連れてきてて。僕も小さい子どもがいるけど、僕は一人でスタジオ行って、早めに家に帰るって感じにしてたんだけど。そこの違いは決定的なものがあった。それが何なのか、ちょっとわかんないんだけど。

蓮沼:家族を展示の搬入に連れていっていいのか、いけないのか、ということについてはかなり考えていますね。僕の場合は、海外の展示とかにも家族ごと行っていて。呼んでくれた側のスタッフが自分の子どもも可愛がってくれたり。普段は、あまり政治的な作品とかは作らないんだけど、そういう現場に、子どもを連れていくっていうことが、自分の中でかなりラディカルな行為だな、と。

 

 

ー今回、お二人ともお子さんがいるっていうことが、この二人展の根幹の部分にあるんですね。

鷲尾:子どもがいる生活がお互いにあるのは、展示に影響してるだろうね。柵の高さを110センチくらいにしてるから、子どもがあの展示空間に入ると、大人の視点からは姿が見えなくなって、消えるのよ。だから、消えてしまうというか、ある程度のサイズ感で分かれるというか。ネガティブな意味ではなくて、なんていうのか、その〜〜……時空を越えて見えなくなるというか。

蓮沼:小沢健二の新曲に「子どもたちを置いて逃げよう」って歌詞があって。お弁当作ったり、洗濯したり、掃除したり、大変だし、もう逃げたい!って気持ちに共感しちゃって。まあその歌詞の続きは「『いや、冗談です』と子どもらをなだめてます」ってなってるんだけど。

鷲尾:なんかそういうちょっと残酷な意味合いも含んでるというか。低い壁は子どもに楽しんでもらうためだけってわけじゃなくて。子どもの視点もあっていいんじゃないかっていうくらいのものかな。

 

 

 

 

ー今回の展示タイトルは「ふへほ展」ってことなんですが、ステートメントを読んでも、どういう意味なのか?全然わからなかったです(笑)。

 

「ふ へ ほ」とは?

は行を分割するなら「はひ・ふへほ」がよい。


「はひふ・へほ」もすてがたいのだが、余韻がなくあじけないので「はひ・ふへほ」に分がある。

三分割ならば「はひ・ふ・へほ」になるだろう。

ほんとうは「は・ひふ・へほ」が好みだが「ひふ」が皮膚を連想させてしまうのだ。

連想させるのがわるいように書いたがそうでもない。

「はひ」は置いておくが「ふへほ」はなんだか素敵な想像をさせる。

(2021・佐藤克久)

 

蓮沼:「ふへほ」ってタイトルは、まさにその、意味があるような、意味なんてないような曖昧なもので。

鷲尾:今回の展示をする際に、僕らに声をかけてくれたのは、サトちゃん(=名古屋造形大学の准教授で作家の佐藤克久さん)で。そもそも、サトちゃんが僕らを非常勤講師として名古屋造形大学に迎えてくれて、それがきっかけで今回の二人展につながってる……ちなみに「ふへほ」っていうタイトルもサトちゃんが考えた言葉で、二人展をやるってなった時にもう決まってたんだよね。 

ー先にタイトルが決まってたんですね。

鷲尾:うんうん。

ーこのタイトルで、二人で何かやってくださいみたいな?

鷲尾:半分強制だったね(笑)。

ーそうなんですね(笑)。二人展ってグループ展とも違うし、個展とも違うし、作家同士の組み合わせの妙が試されるというか。二人展をやるってどういう感覚なんです?

蓮沼:そうですね。例えば、喫茶店の定食って、ご飯とかお味噌汁とかおかずとかがあって、それがグループ展だとすると、二人展ってハンバーガーが二つある、みたいな感じですね。

ー主食が2個ある!って感じですね。

蓮沼:ハンバーガーってパンもお肉も野菜も入ってると思うんですけど、それがなぜか二つある、みたいな。だから、二人展ていろんな作家がやってるけど、なんか不思議な感覚です。

 

 

ーよくある二人展って、作家同士が師弟関係だったり、何らかのもともと関係があったり、キュレーターがこの人とこの人を組み合わせると面白いことが起きるであろうという組み合わせの意図があると思うんですけど、今回のようにたまたま二人でやることになった二人展って珍しいことなんじゃないかなって思いました。

鷲尾:でも、たまたまって訳でもなくて。サトちゃんなりに意図があったと思うんだよね。僕らを大学の講師に誘った段階で。

蓮沼:佐藤さんが僕ら二人を大学側に推薦してくれて大学の非常勤講師になれたんですが、僕ら二人とも先生をやる感じではないっていうか、よく僕らを推薦してくれたな〜って。おそらく佐藤さんは、どこか普通の美術作家とは違うタイプの僕らを面白いって思ってくれてると思う。

鷲尾:僕、最初、講師の話きたとき実は断ったんだけどね。

ー(笑)。え、何でですか?

鷲尾:人前に立って教えるのが無理ってことと、あと……ま〜給料が安い的な(笑)。

ー(笑)。

鷲尾:週に1回の授業だけど、半日使うんだよ。その時間に、自分で絵描いてた方が全然いいすわ〜って断った。でも、やってみたら何か変わるかなって思って引き受けさせてもらったんだけど〜。大学行ったら行ったで、大学生にとっては「新人の先生?この人誰っ?」って感じだし、喋ってくれないし、もうすぐに辞めたくなったね。でもこないだやった個展の時に興味持って手伝ってくれた生徒たちがいて、そうやって自分の領域の中に巻き込んでいこうかなと思って。そしたら、今回も何人か手伝ってくれて楽しかった。

ー大学生くらいの年齢の若い子たちと普段関わることってなかなかないと思うので、そういう意味ではお互いにとっていい刺激になってそうです。

鷲尾:ま〜僕自身大学行った経験もないし、ていうか、受験して落ちた大学なんだよね。

ーそれってすごいことですよね。落ちた大学に先生として呼ばれるって。

鷲尾:そうそう。だから、ちょっと暴れてやろうかな〜みたいなのはよぎったね(笑)。

蓮沼:僕は芸大を出ているけど、大学に適応できちゃった自分が一つ負い目でもあって。大学に入るための受験絵画に適応できてしまった自分が何だが考え方まで均一にされてしまっているようにも感じて。逆に、受験絵画に適応できない方が、そっちの方が真にアーティストで、我が道を行っている感じでかっこいいように思えるし。無い物ねだりだとは思うんですが……。

鷲尾:まさに人生は迷路みたいなもので、常に選択があるわけだよね。まあ、こういう話をしていくと、最終的に落ち着くのはこっち選んでたら、今ここに居ないだろうし、この展示もなかったよねって話。

 

 

鷲尾:もう少し深掘りすると、生活の中でも子供が介入したとたんに物事がデコボコし始めたというか、一つのアイデアをメモするという行為すらもできなかったりとか、今まではすぐ返せてたメールが数日遅れちゃったりとか。制作関係なく子供は特攻してくるからね。会場を作ってく中で作業してても遠回りしてしまうんだよ、迷路があることで。脚立動かすにもめちゃ大変だったしね。そのデコボコな生活を空間に現したとも言える。だから大学に行って生徒と接したりするのは週に一度のリフレッシュな時間だったりもして助かってる。

ー展示を作っていく前段階では佐藤さんも交えてどんな話し合いをしたんですか?

蓮沼:佐藤さんの作品の方向性自体が、抽象的な表現だったり、ミニマムな表現だったり、僕らが作ってるような具体的な表現は佐藤さんはしないんですよね。そういう抽象的な最小限な表現にとどめておくことを良しとしてる佐藤さんのいう「ふへほ」にどこまで寄り添うかは一瞬躊躇したけど、意外と打ち合わせとかするとみんなノリが合って。

鷲尾:サトちゃんとはっすーとどういう展示にするかっていう打ち合わせが大体、夜にやってたんだけど、僕もはっすーも二人とも子どもの世話とかがあるから、夜眠いんだよね。そういう状態で打ち合わせしてて、なぜか話題が人の「生と死」の話になって。

蓮沼:その時僕が話したことは、子どもが成長していく様を見ていると、それだけ時間が流れているってことを体感して、そうすると自分は「死」に向かっていってるんだなって思えて。大人になって毎日を生きていると、自分が死ぬってことを忘れがちというか。子どもを見てると、自分も同じように細胞分裂を繰り返しているはずで、確実に死に近づいているな、と。生と死の境界が曖昧に思えてきて。

鷲尾:そういう話から、展示空間を上と下で区切るイメージが生まれたんだよね。

蓮沼:二項対立で物事は簡単には定められないっていうか。今回の迷路は、そういうものを昇華した形でもある。

ー展示空間を迷路みたいにしようってのが決まって、それぞれの作品をどこにどう配置するかってのはどう決めていったんですか?

蓮沼:それは一度も相談してないですね。

ー感覚的に置いてったってことですか?

鷲尾:そうだね。僕がスタジオに忘れ物を取りに行ってる間に、はっすーが僕の絵を設置してくれてたりもして。戻ると展示されててさ、それを見て「違うな〜」とかはなかったね。「なるほど。この絵は、ここになのね〜」っていう感覚。で、「これが二人展なのか」って受け止めたかな。僕が壁を作って、何となくはっすーがそこに反応してくれるだろうって思ってると、ちゃんと反応してくれてさ。はっすーのこの作品はここにこういう風に展示されたらいいな〜って思いながら壁つくってたら、次見るとその場所にはっすーが穴を開けて展示してる、みたいな。

ー展示会場を見た時、結構不思議な感覚があって、作品の点在してる感が強くて、どれがどっちの作品なのかわからない感覚にも陥ったり。そういう誤認識も含めて、会場全体が二人の一つの大きな作品のようにも感じさせられた、というか。

鷲尾:うんうん。

ー一緒にやってみての感想はどうですか?

蓮沼:まさかこうなるとは思ってなかったって感じですね。わっしーが脈絡なくアイディアがポンポン出してくるから、びっくりして。展示はこうするべきだっていう自分の中でのメソッドみたいなものがあったので、最初は受け止めるべきか否か悩んだりもしましたが、詳しく「どういうこと?」って聞いていくと全部説明してくれて、そこに深く共感させられて。文字通りわっしーが道を作ってくれたって感じで。設営中、険悪な空気になることも一度もなく、充実したタイミングは多かったし、こういう形の二人展ってものがあるんだな〜と。

 


迷路を進んだ先にある別室空間

 

ーそもそもタイトルが抽象的で、定められたゴールも正解もない、というか正解もゴールもたくさんあったからこそ、ぶつかることもなかったのかもしれないですね。

鷲尾:迷路を進んでいくと最後に別部屋の展示室があって一応そこがゴールなんだけど、そこにキャプションを置いた。そのキャプションを手に、また来た道を戻りながら展示をもう一度見てもらって、入り口横に懺悔室みたいな「整いルーム」が作ってあるから、そこで懺悔してもらって、心を浄化してもらって、帰ってもらうていうイメージ。そういう意味で、道筋を辿るなかで鑑賞者の気持ちの変化みたいなものは意識して作ったかな。

鷲尾さんの方は、今回は女の人モチーフの作品が多いなって思ったんですけど、お二人の作品はそれぞれどういう意図で選んだんですか?

鷲尾:最初、サトちゃんはコットンビルで展示した手君シリーズの作品をそのまま持ってくればいいからって言ってくれてたんだけど、手君はなんか「ふへほ」っぽくないな〜って。

ー「ふへほ」っぽくない(笑)。

鷲尾:手君のシリーズは何かもうイメージができあがっちゃってたから。

ー蓮沼さんは今回どういう意図で作品を選んだんです?

蓮沼:わっしーの作品って、強力な磁石みたいな作品だと思っていて。そういう作品じゃない方がいいだろうって思って。パラパラ漫画の作品は、パッと見は何が描いてあるかわからないじゃないですか。そういう意味ではすぐに見つからなくていいかなって思って。

鷲尾:てか、はっすーはすでに「ふへほ」ってるから。

一同:(笑)。

 


蓮沼昌宏による、パラパラ漫画作品

 

蓮沼:「ふへほ」って何だろう?って考えると、風景みたいに抜けの良い部分もあって、磁石のような強い凝縮もある、というか。これが「ふへほ」だ、とは言えないんだけど、これは「ふへほ」じゃないってのは言える。そこは意識して展示作品を決めていきました。

鷲尾:展示のチラシデザインは僕が作って、題字ははっすーに書いてもらったんだけど、打ち合わせ段階でチラシの端に「はひ」って文字を吹き出しで入れておいたら、佐藤先生が「これは「ふへほ」じゃないから無し!」ってはっきり言われたから、消したんだよね。そうか、「はひ」は「ふへほ」じゃないんだって(笑)。

ー(笑)。

鷲尾:そこから自分たちの何が「ふへほ」で何が「ふへほ」じゃないのかっていう選別が始まったのよ。

蓮沼:チラシのデザインを誰か別のデザイナーに頼もうかって話も上がったんだけど、「ふへほ」の共有ができる人がいるかなってなって。

鷲尾:結局、自分たちで作った方がいいかってなったんだよね。

蓮沼:「ふへほ」なのか、「はひふへほ」なのかって他の人にとっては問題でも何でもないんだけど、それを考えることってのが意味があるな〜って思えてきて。ほとんどの人にとっては何のこっちゃって感じだと思うんですけど。

鷲尾:まあそれがいいのかな〜っていうか。展示って難しいよね。今回、大学側からの提案で生まれた企画だから、自由に、好きなようにやってみようよっていうノリはあったかも。個展だったらもっとカッコつけたくなっちゃうっていうか。

ー「ふへほ」とは何なのか?それぞれの「ふへほ」を探すための展示なのかもしれないですね。

 

 

 

イベント情報

2021年7月16日(金)〜8月8日(日)※8月15日(日)まで延長開催
ふへほ展
会場:アートラボあいち(愛知県名古屋市中区丸の内三丁目4-13 愛知県庁大津橋分室2~3階)
時間:11:00〜19:00
開館日:金・土・日・祝のみ
出展:蓮沼昌宏、鷲尾友公
主催:名古屋造形大学、「ふへほ展」実行委員会、国際芸術祭「あいち」組織委員会
助成:一般財団法人地域創造
https://aichitriennale.jp/ala/project/2021/p-004565.html

鷲尾友公(WASHIO TOMOYUKI)
1977 年愛知県生まれ。造形業、塗装業を経てイラスト、デザイン、写真、絵、コンテ、壁画や絵画などを手がける。オリジナル・キャラクター「手君(TEKUN)」は立体や映像作品にも登場し、メディアを横断する作家のセルフ・ポートレートにもなっている。近年は、絵画作品を精力的に手がけている。

蓮沼昌宏(HASUNUMA MASAHIRO)
1981 年東京都生まれ。美術作家。記録写真家。2010 年東京芸術大学大学院博士課程修了。絵画やアニメーション、キノーラ装置などを表現手段とする。いろいろな場所に滞在し、発見・経験した物事から新たなストーリーを紡ぎ出す。近作では、光る絵画など、これまでにないモダニスティックな展開を見せている。

 

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