LIVERARY読者の皆さん、こんにちは。
名古屋からタイ王国のバンコクへ転勤になり、6年間住んで、名古屋に戻ってきました、
現在は名古屋在住のデザイナー/DJ・MOOLA(ムラ)です。
前回に引き続き、連載コラム「タイへ行くつもりじゃなかった」を執筆しました。
第2回目となる今回は、僕が6年間バンコクに住んで感じた「バンコクの音楽シーン」について。
…と言っても、僕がタイ人のミュージシャンやDJと接して感じた事や、僕のアンテナに引っ掛かる範囲で凄く極端な視点なので、ご了承ください。
転勤でバンコクに行くことになった(もちろん英語もタイ語も全然喋れない、外国のレコードは毎日のように買ってたけど、外国には一度も行った事もない)まさに“タイへ行くつもりじゃなかった”僕ですが、「2時間くらいDJ出来るレコードと共にタイへ行けば気が合う友達が出来るはず。大丈夫」と変な自信がありました。
その自信は見事に的中し、事務所のあったトンローを歩いていると、タイ人のミュージシャンに「日本人?DJとかやってる?」みたいな感じで英語で話しかけてもらえて、レジデントDJも決まり、移住してすぐにニューイヤーのカウントダウンDJも任せてもらったり、タイ語を勉強する前に、音楽繋がりのタイ人の友達ができました。
バンコクに住み始めてすぐに、新しくオープンしたBADMOTELでレジデントDJを務めた。このビデオはBREAKBOTがDJした時の5年前の映像。(僕もチラっと映ってる)6年バンコクに住んで、ここに出てくるタイ人は、ほぼ知り合いになった。
僕は、高校生になる前から名古屋でDJをしていて、レコード収集という奇特な趣味のおかげで、趣味の合うタイ人のスモールサークルに入る事が出来ました。「音楽は国境を越える」みたいな言葉を聞いた事があるけど、DJしてる時や一緒に音楽を聞いてる間は、小難しい会話をしなくても打ち解けられるので、「レコードに救われた!(音楽ではなく、レコードって所が重要)」と何度も思いました。
では僕が感じたバンコクの音楽シーンについて、いくつか書こうと思います。
1.日本の音楽への興味はかなり高い
まず、僕の友人のタイ人は、日本の音楽をかなりリスペクトしていました。いわゆる昔のシティーポップ、渋谷系にもかなり知識があって、現行のインディポップバンドももちろんチェックしています。JetSetなんかで日本の新譜レコード通販してる友人もチラホラ!
しかも、DJでもなくモデルをやってたりするオシャレな女の子が、そんな感じだったりして驚きました。インターネットのおかげで、音楽好きの日本人でもフォローできてないような細かい情報もフォローしてるタイ人の友人も多いです。
ブートで作られたNEVER YOUNG BEACHのアノMV の画像を使ったT シャツを着るユリ(CLUBPOPP)
2.インディーバンドをやってるタイ人と、日本人のライフスタイルの違い
バンコクで音楽をやっているのは、ある程度裕福な家庭で育った人が多く、学生時代も海外留学をしたり、高価なヴィンテージ機材や楽器がズラリと並んだスタジオを持ってたり、明らかに日本人のDJやインディバンドをやってる友人とは育ちが違ってました。
さらに、大手企業がスポンサードしたインディーバンドが出演する音楽イベントも毎週末のように行われていて、日本と違って、インディーバンドが正当なギャラをもらって活躍する場がたくさんあるように感じました。
しかし、その恩恵にあやかれるミュージシャンの多くは、日本でいうセレブ一家の家系だったりが優遇される裏事情もあったりすると聞きました。なので、「○○○は、金持ち一家の娘のバンドだから、興味ない。」「☓☓☓は、田舎から出てきて自力で成功したから好き。」など、音楽以外の生い立ちで評価してるタイ人もいたりします。(友人にはそういう人はいませんでしたが)日本では、あまりない感覚だと感じました。
3.バンコク在住時の僕のDJプレイリスト
バンコクに住んでいる間、毎週末どこかのクラブやバーでDJしていました。基本、洒落た場所では、洋楽しか流れていないけど、僕は、他の人と同じことをやるのが好きじゃないので、日本やタイの曲を混ぜたDJプレイをしていました。意外にもそれが受け入れられて、高級ホテルのルーフトップバーで細野晴臣、FishmansからYogee new waves、思い出野郎Aチームなどの僕が好きな楽曲を日本人が全く居ないタイ人と西洋人で埋め尽くされたフロアでヘビープレイする異例のDJをしていました。
そんな日本の音楽とともにDJプレイしていた、タイの音楽を紹介します!
(すべてレコードでリリースされている楽曲に絞りました)
Yellow Fang – แค่เพียง (If Only)
もはやここで紹介する必要ないくらいに日本人のファンも多い、Yellow Fang(イエローファング)。
すごい盛り上がってるフロアに、The xx – On Holdの次にこの曲をプレイして、タイ人が大熱唱するのが恒例でした。少し前に出したこの7インチレコードは友人のCYNDIE SEUIのロマンティックなREMIXも収録。ジャケットはタイの古い小説のジャケットをサンプリングしたCLUBPOPPのデザイン。
SRIRAJAH ROCKERS – เติม[FILL UP]
今、タイの若者から一番支持されていると感じるレゲエバンド、SRIRAJAH ROCKERS(シーラチャーロッカーズ)。色気がある声とルックスだけで充分なのに曲も最高。僕の中で南佳孝の魅力とダブるので南佳孝-MIDNIGHT LOVE CALLと一緒にプレイしてました。
POLYCAT – So Long
もはやインディーではなく、タイの国民的バンドになった、POLYCAT(ポリーキャット)。
この曲を閉店前の「もう帰ってね〜的な曲」としてプレイした所、バーの店員までも盛り上がってしまい、もう一時間DJを延長したことがありました(笑)。
Part Time Musicians – Vacation Time
タイのインディーバンドの新譜として初めて買った7インチの楽曲。後に、大ヒットした映画「フリーランス」のテーマソングとしてもカバーされたりしたけど、解散してしまいました。でも、リードボーカルが始めたtemp.ってバンドも超最高なので要チェックです。いつも英詞なので、タイ語でも歌って欲しい。
・・・という感じです。聴いてもらうとわかると思いますが、日本と変わらないインディシーンがバンコクにあり、すごく盛り上がってます。このシーン以外にも面白いバンコクの音楽がありますが紹介しきれませんのでこの辺で。
最後にポップアップショップイベントの告知です。
タイのヴィンテージ雑貨・古着、レコードを中心にオリジナルアイテムなどを販売するマーケットイベントをSOMEt(名古屋・千代田)にて1月19日まで開催中です。(1月14日(日)にはDJ mascotboy(mas.)らを迎えてのDJパーティーもやります!僕ももちろん出演します!)
今回は「タイへ行くつもりじゃなかった」をテーマとして、タイの地方のマーケットや路上、泥棒市場からコレクターのタイ人のおじさんの家まで押しかけて集めた雑貨・古着、レコードを販売します。ほとんどのタイ人は、忘れてしまった過去のモノとして放置していたガラクタ(お宝)を独自の視点で価値を見出したセレクトを見に来てください。
次回は、バンコクの中古レコード事情について書こうと思います。
それでは、また!
左からバンコクで大切なきっかけを作ってくれたCYNDIE SEUIとGRAMAPHONE CHILDRENと彼女のPADと僕。
左からPOLYCATのPUREくん、NAくん、思い出野郎Aチームの源ちゃんと僕とceroの橋本くん。一緒にバンコクでパーティをしました。
日本へ本帰国前にタイの友人が開いてくれた“ farewell party”での一枚。