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FEATURE / 特集記事 Dec 02. 2017 UP
【SPECIAL INTERVIEW】
音楽とアートがまちで交わる場・芸術祭、そこにある真の価値とは?
「アッセンブリッジ・ナゴヤ2017」ディレクター・服部浩之と、
参加作家・山城大督、牛島安希子が鼎談。

FEATURE:Assembridge NAGOYA 2017|2017年10月14日(土)〜12月10日(日)|名古屋港〜築地口エリア一帯(愛知|港区)

 

10月14日にスタートし、いよいよ12月10日で会期終了となる、まち×音楽×現代アートの祭典「アッセンブリッジ・ナゴヤ2017」

「まち」「音楽」「現代アート」、それぞれの融合を図った同イベントだが、このような企画が全国的に増え続けているなか、改めて「アッセンブリッジ・ナゴヤ」とは何なのか?を探るべく、LIVERARYでは美術家で映像ディレクターの山城大督と、音楽家・牛島安希子、そして同イベントのディレクターのひとり、服部浩之の3者による鼎談を企画した。

すでにインタビュー掲載済の山城大督と、今回誌面初登場の牛島安希子は「この港まち自体を素材に、新作の制作/発表に挑んだ」という共通項を持つ。また、ディレクター・服部浩之含め、三者ともに名古屋市在住。名古屋という地方都市(ローカル)に軸足を置きつつ、国内外でさまざまな活動を行ってきた彼らの視点から見えてくる「アッセンブリッジ・ナゴヤ」とは?

 

SPECIAL INTERVIEW:

DAISUKE YAMASHIRO,
AKIKO USHIJIMA,
AND
HIROYUKI HATTORI

Interview ,Text & Photo : Takatoshi Takebe [ THISIS(NOT)MAGAZINE, LIVERARY ]

 


写真左から、牛島安希子、服部浩之、山城大督

 

―では、まず服部さんに今回の「アッセンブリッジ・ナゴヤ2017」について、前年との違いをお聞きしたいと思います。例えば、前回は音楽部門がクラシック音楽だけで構成されていました(前回の「アッセンブリッジ・ナゴヤ2016」についてはコチラ)。今回は、テニスコーツや角銅真実(彼女らが参加する企画については前回記事で紹介)といったいわゆる国内インディーシーンのフィールドで活躍するアーティストたちも参加していたりして、アート部門と音楽部門がぐっと近づいたような印象を受けました。

服部:来場者が展覧会と音楽コンサートの両方をもっとスムーズに体験できるようにしたかったという思いがあり、まず展覧会のオープン日を、週末に行われる音楽イベントに合わせたことは大きな違いです。「現在は細かなジャンルに分かれている音楽やアートって、そもそもそんなに大きく異なるものだったのだろうか?」という疑問から出発して、「音楽とアートの架け橋になりえるキーワードは何だろう?」とみんなで考えた時、浮かび上がったのが一柳慧というアーティストでした。一柳さんは、音楽家でありながら、積極的に他ジャンルの人とも交流・協働するなど、アート・シーンとも結びつきが強い方です。そういった趣旨から、前年から引き続き企画展のタイトルは「パノラマ庭園」としていますが、そこに「タイム・シークエンス」という一柳さんの曲名をサブタイトルとして加えました

 

一柳慧 Photo:Koh Okabe

 

服部:「タイム・シークエンス」は、時間と空間の複雑な関係を考えるうえで想像力が広がる奥行きのあることばだと思います。美術館でも劇場でもない場所で展開するアッセンブリッジでは、会場となるさまざまな場所の特性やその連なる風景、そこで暮らす人々の多様な時間の流れを無視することはできません。むしろ、そういう時間と空間の特殊性(スペシフィシティ)を改めて捉え直す契機として「タイム・シークエンス」は示唆に富む言葉だと実感しました。

―なるほど。山城さんの今回の作品は、端的に言えば「まちで交わした27の約束ごとを鑑賞者が体験していく作品」ですが(山城大督のインタビュー記事はコチラ) 、そういった表現の自由度は、今回の展示のサブタイトルになっている「タイム・シークエンス」や、その作者である「一柳慧」というキーワードが起点でもあるんですよね?

山城:映画」を入口として表現の世界に入りました。美術に興味を持つきっかけになったのは、一柳さんとも関わりの深い1960年代の芸術運動「フルクサス」にあります。

※フルクサス は、リトアニア系アメリカ人のジョージ・マチューナスが主唱した前衛芸術運動、またその組織名である。ラテン語で「流れる、変化する、下剤をかける」という意味を持つ。1960年代を代表する芸術運動として、ネオダダ、ポップアートと並び称される。

「フルクサス」参加するアーティストには、音楽家もいたし、美術家もいたし、映像作家もいた。当時の活動を知ると、「映像」がスクリーンに映し出される平面的な表現にとらわれず、空間として立体的に広がったり、パフォーマティブな時間になったり、さまざまな実験が行われていたことに気がついていきました。「フルクサス」では、そういう考えを「トランスメディア」って呼んでいて、「こんなに自由にメディアを横断していいんだ」と衝撃を受けました。だから、今回「アッセンブリッジ・ナゴヤ2017」の展示の話が来た時に、自分の作品と「タイム・シークエンス」「一柳慧」「フルクサス」といったキーワードが繋がっていくのではないかな、と直感的に思いました。今作で展示会場に掲げた「看板」や配布している「タイムシート」は「映像の楽譜(スコア)」みたいな感覚もあるんです。

 

《Fly Me to the TIME.》山城大督

 

牛島:視覚的にも楽譜っぽいですよね。

山城:そうですね。映像編集では「タイムライン」の中に映像素材を並べるんですけど、おそらくもともとは楽譜の構造を参考にして作られたんじゃないかな、と思うんですよね。楽譜の中には左から右に流れる時間軸があって、五線譜に音符を並べていくと、それに対して演奏者が音をリズムに合わせて再生させ、ひとつの時間が生まれる。すごい発明だと思ったんです。今回はその概念をそのままプロジェクトの構成に使いました。まちの中に、タイムラインを描くというか。

―タイムライン上に27の約束事を並べるというアウトプットが、ビジュアル的には「楽譜」のようになって、ある種「音楽的」になったというのはおもしろいですね。

山城:この街の中を歩いて、人と出会い会話することで約束事をつくっていく。そのフィールドワークそのものが、映像でいう「素材集め」や「撮影」と同じような行為に感じました。「この場面を撮影しよう」とか、「このシーンとこのシーンを繋げるといいな」とか。想像の中でシークエンスを決めていくような感じです。なかなかエキサイティングなプロセスだったなと思います。でも、その「上映の方法」、つまり作品としてのアウトプットの仕方についてはすごく迷ったんです。どうやったらこの作品を鑑賞者各々の中で再生してくれるものになるか?いまの形態が最善だとはまだ思っていないけど、街の中での再生装置を作る一つの例は作れたと思います。それと同時にまだまだ発展性があるなとも思いました。

―アートに精通しているかどうか?は関係なく、説明を聞いて作品を見てみれば、誰でもこの面白さが伝わるのも今作の魅力だと思いました。

山城:万人に分かり易くしようとも思っていなんです。今作は、瞬間的であっても、誰かの人生の中に入っていく作品なので、入って来られる人の方にリスクがあるわけです。だから、この作品でアクセシビリティを良くする必要はないと思っています。そこの線引は難しいところだけど、勘がいい人が気づいて、おもしろいかもと思って、手を伸ばすと本当に届いて、実際に目にできるようにしておきたいと思っています。この作品のおもしろい部分かなと思います。

服部:結果的に「楽譜/スコア」になったという話、視覚的なことだけじゃなくてこの作品を体験する人と作品の距離感や関係が、鑑賞者と奏者の関係に似ているなと思いました。

―というと?

服部:まず、この作品は、具体的なアクションを起こさなくても、配布物に記されたいくつかの指示を読めばどんなことが体験できるのかを想像できるし、想像することこそが重要だったりもする。いわゆる楽譜/スコアもある程度の音楽的な知識があれば、五線譜上に描いてあることから音楽を想像できるものだと思います。この作品の鑑賞者は、山城さんが作曲した楽曲をその指示書(=楽譜)に従って体験する。でも、どれをどのように体験するかは鑑賞者に委ねられていて、それは楽譜を如何に解釈し演奏するかという奏者の立ち位置に限りなく近い。山城さんは、よく「出来事を再生させる」というようなことを言われますが、再生ボタンをいつどのように押すかが鑑賞者に委ねられているのが、この作品の大きな特徴だと思います。楽譜/スコアに描かれていることに従って、他者の時間を想像してみたり、自分の意思ではどうにもならないことに身を委ねてみることが醍醐味なんじゃないかなと思います。

山城:そうそうそうそう。

―それでは、続いて、牛島さんにもお話を伺いたいと思います。まず、これまで音楽家としてどのような活動をされてきたんでしょうか?

牛島:愛知の芸術大学に進学して、今も愛知を生活の拠点にしています。演奏することもありますが、基本的には作曲家なので、さっきのお話に出てきたようにスコア/楽譜を書いてそれを誰かに演奏してもらっています。

―12月9日に、港まちを題材として、描き下ろしの新作を披露するということですが、タイトルが「みなとまちコンテンポラリー・ミュージックコンサート “みなとの永い夜”」ですね。ジャンルとしては、コンテンポラリーということは現代音楽ということでしょうか?

 


「みなとまちコンテンポラリー・ミュージックコンサート “みなとの永い夜”」出演者:左上から、牛島安希子、丸山達也、寒川晶子、亀井庸州、角銅真実

 

牛島:「現代音楽」といえばそうなんですが、この言葉は複数の意味を持っていて、例えば、調性がない十二音音楽のような、ある種の特定の音楽を想起させる可能性もあるので、それを避けるために、今回は敢えてタイトルを「コンテンポラリー・ミュージック」として、同時代に生きる作曲家の作品を取り上げるというのをテーマにコンサートのプログラムを構成しました。

服部:同じく「コンテンポラリー」を標榜する現代美術では、歴史的な作品に言及したり、引用する「アプロプリエーション(流用)」と言われる手法や、「ファウンド・オブジェクト」といって既存のものを作品に取り込むことが常套手段としてあります。現代音楽においても、例えばバッハのようなクラシックとされる作曲家の技法や旋律を引用したり、改変して作品に取り込むことはあるのでしょうか?

牛島:既存の曲の旋律や断片を引用することもあります。質問の意図に沿った答えかわからないのですが、現代音楽とクラシック音楽との関連でいうと、美術の方がデッサンをやるように、作曲を勉強するときはバッハのスタイルを真似たりすることもあります。そうやって西洋の芸術音楽の作曲家の作曲方法を学んで、その伝統を継承していく作曲家もいますが、私の場合は美術にも興味があったこともあり、所謂、西洋の芸術音楽から逸脱している音楽が面白いと思っていたので、そのような新しいと思える音楽が作りたくて作曲家という道を選んだともいえます。

服部:牛島さんも、まずは演奏方法を学ぶところから音楽家の道が始まったということですが、なぜ作曲に興味が湧いたんでしょう?何かきっかけがあったんですか?

牛島:たまたま音楽教室で作曲もピアノもやるってコースがあって。作曲をやってみたら、人が作った曲を演奏することよりも、自分で考えてやる方が楽しいと思えたんです。でも、演奏から入らない人もいるんですよ。いきなりPCで作曲するところから入る人いますし。

―僕は、単純に名古屋という地方都市にも、職業として「作曲家」をしている方がいるというのがすごいなと思いました。

牛島:レアですよね(笑)。ちなみに音楽大学では音楽学部からは、若干、作曲科は浮いていて。ですので、感覚的には現代美術の人と意識的には近いかなと思っています。

―クラシックの奏者は伝統を守ることに重きを置いていそうですけど、作曲家は新しいことをしないと面白みがないですよね。そういう意味では、現代美術に近いと言えそうですね。作曲の作業は、PCでやるんですか?

牛島:基本的には紙に描いた方がイマジネーションが湧くタイプです。一回手で描いてからPCに打ち込んでいきます。どうしてもノイズとか、PCじゃないと出せない音の場合は最初からPCを使いますが、構成などは紙ベースですね。

―なるほど。12月9日に演奏される公演では、映像上映も行われるんですよね?

牛島:そうですね。もともと、自分でも視覚的要素が伴う音楽に興味があったんですけど、私の純粋な器楽的な作品を聴いた方にも映像が思い浮かぶって言われたことがあって。最近は視覚的要素を前より意識することが多いです昨年作った作品では自分で映像を撮っていたりもしていました。今回は、映像作家の丸山達也と共に映像を伴った音楽作品を発表します。

―どういった映像を撮影されたんでしょうか?

牛島:今回は音楽が主体の作品の映像ということで、視覚的に運動性のあるものを中心に、港まちの印象的な場所を撮りためてもらっています。個人的に“水”と言う素材に興味があったので、港の特徴的な水面の映像や、みなと祭なども撮影してもらっています。

―その映像も曲作りの軸になっていくわけですね。

牛島:映像の視覚的な運動と音の身振りの一致や不一致も作品のポイントの一つですね。今回は映像と音楽の両方が対等になるような作品にしたいと思っています。音楽が映像に付随するのでも映像が音楽に付随するのでもない、それぞれの要素が活きるものにしたいですね。そこに新しい表現の可能性を感じます。

 

牛島安希子が過去にオランダで参加した公演の様子

 

牛島:また、クラシック音楽は基本的に楽譜さえあれば演奏できるようになっているんですけど、自分は今ここでしか聴けない、体験できない音楽にも可能性を感じていて、映像表現はその要素の一つと言えるかもしれません。今回盛り込めるか、まだ現段階で作品を制作中なので未定ですが、演奏者にその場で感じたことを言葉にしていただくようなシーンも検討しています。

―なるほど。12月の公演も楽しみです。ちなみに牛島さんは「アッセンブリッジ・ナゴヤ」には今回初参加となったわけですが、「アッセンブリッジ・ナゴヤ」についてはどう思われますか?

牛島:前回は、展覧会は現代美術の作家さんたちなのに、なんで音楽はクラシック音楽だけなんだろうと不思議に思っていました。東京は人口が多いし、みんな忙しくて、他ジャンルの人と交わる暇がない雰囲気に見えるんですけど、その点、名古屋は人と繋がりやすい場所だと思います。もっと他ジャンルの人同士が繋がっていくとおもしろいですよね。今後、そのひとつのきっかけに「アッセンブリッジ・ナゴヤ」という場がなっていくのでは?と期待しています。

山城:音楽の分野って、美術よりも「表現」の住み分けがはっきりとしているイメージがあります。演奏家の人たちは技術を磨いて、一定の評価基準のルールの中で高得点を目指す、ある意味アスリート的な方が多いですよね。それと逆に、現代音楽をやっている人ってそもそも「完成を探し続ける」ような、新しいことをしようとする自由度が高い人たちですよね。その双方が一緒になるのは難しそうだなと思います。さらに、「アッセンブリッジ・ナゴヤ」では、そこに美術の人たちが入ってくる。これをまとめるのは大変だろうなって(笑)。

―(笑)。

服部:そうですね。もちろん大変です(笑)。今年は「音楽」と「アート」それぞれが独立して存在しつつも、さまざまな形でクロスする方法を考えてきました。ですので、基本的に音楽のコンサートとアートの展覧会は、それぞれ別々の専門家がプログラムを組み立てていて、お互い必要なときに相談し合っています。

―音楽ジャンルとアートジャンルのディレクターチーム間で、アッセンブリッジしているってことですね。具体的にはどんな場面で相談されたのでしょうか?

服部:例えば、美術展の参加作家の野村仁さんの作品は月の写真から音楽を生み出すもので、その編曲は音楽チームの多大な協力があって実現していますし、一方でコンサートの会場をどのように設えるか、場所の文脈と音楽のコンサートの関係の生成については美術チームからの提案があったりと、それぞれの専門性に敬意を抱きつつ協働しています。ジャンルの細分化や専門分化は弊害もたくさんあるかもしれないけれど、それぞれの技術や思考法を知った上で、改めて統合していく方法を模索しています。そんなことを試みたのが、第2回目となる今回の「アッセンブリッジ・ナゴヤ」です。

 


《‘moon’ score: ISS Commander – Listening to it on Mars, now.》 2009-13 Courtesy of JAXA © Hitoshi Nomura Photo | Seiji Toyonaga Photo courtesy of ARTCOURT Gallery

 

―なるほど。「アッセンブリッジ・ナゴヤ」の来場者の方々は、実際に音楽とアートの両方を楽しんでいる方が多い印象ですか?

服部:簡単に音楽とアートのお客さんが交わるかというとそうでもないです。ただ、音楽を期待してきたら美術の魅力に出会うなど、受け手が感覚を開くことで思いがけず遭遇できるものはいろいろ用意しています。特効薬はみつからないけれど、地道にやっていくことには意味があると考えています。

―続けていくことで、お客さん側にも双方を行き来する楽しみ方が伝わっていけば良いですよね。服部さんはこれまでも芸術祭やまちを絡めたアートプロジェクトに多数関わっていらっしゃいますが、「あいちトリエンナーレ」や「アッセンブリッジ・ナゴヤ」などの、こういった芸術祭の行き着く先、目的ってどこなんでしょうか?

服部:行き着く先は?目的は?って言われると難しいですが、前提として、まず「自分が暮らしているまちが、なるべくおもしろく刺激的であってほしい」という思いがあります。

―なるほど。現代アートや音楽が、美術館やコンサートホールのようなある意味、閉ざされた場所から、まちという開けた場へとそれぞれが飛び出して、普段はそういうことに興味のない人の目や耳に飛び込んでいくきっかけになるのは芸術祭の大きな特徴ですよね。それについてはどうお考えですか?

服部:そうですね。ただ、まちでやっていて偶然出会ってしまうからこそ、そのクオリティはより一層厳しく批評される必要があると思います。こういう街場のイベントは、地域活性化や経済効果などの視点からその意義が語られ評価されることが多いわけですが、音楽やアートという芸術である限り、芸術としてのクオリティと批評性は絶対に失ってはいけないものだと思います。幸運なことに、愛知県では「あいちトリエンナーレ」をはじめとして近年は芸術に触れる機会が増え、興味を持つ人やその現場で働く人も増えて、観客の見る技術も、スタッフの作る技術も向上し、面白い人材が集まる土壌ができつつあると実感しています。「アッセンブリッジ・ナゴヤ」を主催している名古屋港界隈においては、「まちづくり協議会」といういわゆる芸術団体ではない組織がこの地域に根付き実直な活動を継続しているからこそ「アッセンブリッジ・ナゴヤ」が実現できているという側面が大きいです。このような土台なしでは、こういう芸術活動をクオリティを担保したまま継続するのは難しいです。

山城さんをインタビューした際にも出た話ですが、「まちづくり協議会」の方々と港まちの住民の皆さんとの間に、長期に渡って築きあげた信頼関係があるからこそ、まちとアートと音楽が共存する「アッセンブリッジ・ナゴヤ」がうまくいっているように思えます。で、話を戻すと「アッセンブリッジ・ナゴヤ」を続けていった先、このまちはどう変化していくことが理想なんでしょうか?

服部:「アッセンブリッジ・ナゴヤ」をもうしばらく続けていったときに、まちや人は簡単には変わらないかもしれません。ですが、少しでもユニークな発想をもつ人材が増えていったら、より暮らしやすい豊かな土地になっていくんじゃないかなと希望を持っています。そのためには、芸術としての純粋な価値が改めて問われるのではと思います。

 

 

イベント情報

2017年10月14日(土)〜12月10日(日)※会期中の木曜、金曜、土曜、日曜開催
Assembridge NAGOYA 2017
会場:名古屋港〜築地口エリア一帯
主催:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会
構成団体:名古屋市、港まちづくり協議会、名古屋港管理組合、(公財)名古屋フィルハーモニー交響楽団、(公財)名古屋市文化振興事業団
問:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会事務局(名古屋市港区名港1-19-18 3F)
TEL:052-652-2511(受付11:00〜19:00)/メール:contact@assembridge.nagoya
http://www.assembridge.nagoya

12月9日(土)
みなとまちコンテンポラリー・ミュージックコンサート “みなとの永い夜” 
会場:港まちポットラックビル
時間:19:45〜21:00
料金:500円
出演:牛島安希子、丸山達也、寒川晶子、亀井庸州、角銅真実
定員:60名 ※予約受付中
http://assembridge.nagoya/2315.html

2017年10月14日(土)〜12月10日(日)
パノラマ庭園─ タイム・シークエンス ─
会場:港まちポットラックビル、旧・名古屋税関港寮、名古屋港ポートビル、 ボタンギャラリー、旧・潮寿司ほか、名古屋港エリア内
参加アーティスト:
朝海陽子、一柳 慧、LPACK.、グエン・チン・ティ、小山友也、鈴木 光、冨井大裕、豊嶋康子、野村 仁、法貴信也、山城大督、ユーアン・マクドナルド 
休場日:会期中の月曜、火曜、水曜

服部浩之

1978年、愛知県生まれ。2006年早稲田大学大学院修了(建築学)。2009年-2016年青森公立大学国際芸術センター青森[ACAC]学芸員。アジア圏を中心に、展覧会やプロジェクト、リサーチ活動を展開。近年の企画に、「十和田奥入瀬芸術祭」(十和田市現代美術館、奥入瀬地域|2013年)、「あいちトリエンナーレ2016」(愛知県美術館ほか|2016年)、「ESCAPE from the SEA」(マレーシア国立美術館、APWほか|2017年)、「試論:栄光と終末、もしくはその終末 / Week End」(田村友一郎[アーティスト], 服部浩之[キュレーター]|小山市立車屋美術館、2017年)などがある。

山城大督

1983年、大阪府生まれ。愛知県在住。映像の持つ時間概念を空間やプロジェクトにトランスメディアした作品を制作。「タイムベースド・メディア・インスタレーション」と題した独自の手法や、提示映像の編集で用いられるカットアウト、モンタージュ、インサートショットといった技法を実空間上で応用・再構成することで「空間化された映像」を作り出している。今回は、港まちでのフィールドワークをもとに、同時多発的に発生するまち中での出来事の組み合わせによって、「時間」を体感する新作を発表。

牛島安希子

愛知県出身。ピアノと作曲を幼少の頃より始める。愛知県立芸術大学大学院音楽研究科作曲専攻を修了。2009年から2014年までオランダに在住。ハーグ王立音楽院作曲専攻修士課程修了。生楽器・電子音響のための音楽作品を主に制作。第六回JFC(日本作曲家協議会)作曲賞入選(2011)、国際コンピュータ音楽会議(ICMC) 2013、2014、入選。MUSICANOVA2014、入選。またパフォーマンスグループ、時間旅行楽団としてAACサウンドパフォーマンス道場にて奨励賞受賞。作品はノヴェンバーミュージックフェスティバル(オランダ)、アルスムジカ音楽祭(ベルギー)、Focus(アメリカ)などの現代音楽祭や、マサチューセッツ現代美術館(アメリカ)でのコンサート(ラジオにて配信)など世界各地でニューヨークを拠点とするアンサンブルグループ・Bang on a Can All-Starsやリコーダー奏者のSusanna Borschなどにより演奏されている。リコーダーとエレクトロニクスのための“Instan’ stillation”が収録されたCDがオランダのレーベルKarnatic Lab Recordsより発売。作品はオランダのラジオで放送される。2011年度野村財団奨学生。2014年にオランダから帰国後は、自身の音楽作品制作の他に、映像サウンドインスタレーション・パフォーマンス作品“wald”(2015)や、”dialogue”(2017)の音楽を担当するなど、活動の場を広げている。また愛知県立芸術大学を拠点に現代音楽舞台研究会を発足。現在、第20回まで主催。あいちトリエンナーレ企画「現代の音楽をめぐって」の講師担当(2016)。
現在、愛知県立芸術大学、名古屋芸術大学、各非常勤講師。現代音楽舞台研究会副代表。

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