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WHAT ABOUT YOU? #37 / 村橋貴博

Interview by YOSHITAKA KURODA(ON READING)

 

東山公園のbookshop&gallery ON READINGでは、定期的に様々なアーティスト、クリエイターが展示を開催しています。

このコーナーでは、そんな彼らをインタビュー。今回は、最新作品集『DOROTHY』(ELVIS PRESS)の刊行に合わせた展覧会を開催中の村橋貴博さんにインタビュー。アーティストユニット・guse arsとしても活動中の注目のコラージュ・アーティストです。

 


 

 

―村橋さんはどんな子どもだったんですか?

図工と体育が好きな子供でした。父親が仕事の関係で青焼き図面の紙をいっぱい持ってきてくれて、それを使って好きな絵を描いたり、漫画や図鑑の模写をしたり、いろいろ作ったりしていました。

 

―幼い頃の夢はなんでしたか?

小さい頃からずっとサッカーをやっていたから、それを続けたいなと思ってました。でも高校くらいから美術にも興味を持つようになって、だんだんサッカーよりも美術をやりたい気持ちが勝っていった感じで。当時は美術部とかではなかったけど個人的に絵を描いていて、美大に進学しようと決めてからは、デッサンとかを勉強するようになっていきました。

 

―個人的に絵を描いていた、ということですがどんな絵を描いていたんですか?

その頃は、グラフィックデザインやイラストレーションに興味があって、ポスターみたいなものを作っていました。どういう絵を描きたいとか憧れの画家がいて、というのはなくて、小さいころの延長で作ることや描く行為自体が好きだっただけですね。全然美術に対して無知だったし。

 

 

―大学は、武蔵野美術大学空間演出デザイン学科でしたよね。

はい。インテリア、ディスプレイ、店舗設計からファッションやグラフィック、ファインアートまで、“空間”にまつわる幅広い領域を扱う学科でした。本当は、グラフィックデザインやイラストレーションに興味があったのでそちらの方向の勉強したかったんですけど、たまたま受かったのがここで。(笑)でも、大学で空間のことを学んだり考えたりしたことが、自分の中で蓄積されていって、今の活動に繋がってると思います。自由度の高い学科だったので、卒業制作ではインスタレーション作品を発表していましたね。結果的にですが、今でも展示の空間構成などを考えるときに、大学で学んだことが活きているので、空間デザインを学べてよかったんだと思います。

 

―学生のころも絵は続けて描いていたのですか?

そうですね。授業以外の創作ではイラストみたいなものを描いたりして、学内で展示したりもしていました。イラストレーションを個人的に描いていくうちに、描きたいものがだんだんイラストというより作品表現になっていって、そのうちコラージュの技法を取り入れるようになって…と徐々に変化していきました。

昔から、自分が描く線とかにコンプレックスがあって好きになれなくて。そういうのから逃げるんじゃないけど、どうしたら自分の好きな形になるのかな、とかテクスチャーになるのかな、と考えてコラージュの素材が少しずつ増えていって、そのまま描くより、何かの力をもらって表現したほうが理想とするものに近づけるんじゃないかと思って。すると、どんどんコラージュの支配率が増えていって、いつの間にか逆転してコラージュがメインになっていったという感じです。

 

 

―私たちが最初に村橋さんと出会ったのは、2010年頃のTOKYO ART BOOK FAIRで向かい合わせのブースだった時ですよね。あの頃からguse arsとしての作品とおふたりのソロ作品を発表していましたが、村橋さんはその頃「おじさん」シリーズをやっていた。あれもコラージュですよね。

そうそう、あの頃はまだ今よりイラストレーション的な考え方で作っていて、まだ描いている要素もかなりあったし、形を作るのも、切ってるんだけど、描いているのに近い。自分で形を作る要素が強かったから、変化の途中って感じでした。実際にいろいろと書き入れてるし。

 

―あの作品はイラストレーション的でしたが、コラージュのアプローチでイラストレーションをやっている人もあんまり見たことがなくて、あれはあれですごい面白いなって思ってました。感覚としては、筆とかペンじゃなくて、印刷物の素材などで絵を描いていたってことですよね。

そう、古い印刷物が持つ、微妙な焼けた感じとか、自分で描こうとすると思い通りにいかないところを、素材を使えば一気にそこにいけるっていうのが見えてきたときにコラージュって手法としていいなと思って。そこからはどんどん、素材の良さ、ポテンシャルを生かす方法に変わっていきました。例えば素材を切るときも、最初は自分でコントロールしてた部分が多かったんだけど、今は素材を見ているとどこを切ればいいのか見えてくる感じというか。素材に自分が操作されてる感じ?といえばいいのかな。なので無地のプレーンな紙を渡されて「コラージュしてください」っていうのは今は難しいかも。何も浮かんでこないから。でもそこに、影とかが落ちていれば、反応できる。もちろん切ってるのは自分だから自分の線なんだろうけど、その方が切れるっていうか。

 

―コラージュという技法を使って作品を作っている人はたくさんいるんですけど、どちらかというとグラフィカルというか、コンポジションに重きを置いたアプローチの人が多いですよね。その中で、村橋さんのように、コラージュで一つのモチーフを作っている人っていうのはあんまり見たことがない。それこそ、イラストレーションとコラージュのあわいをいってる気がして面白いんですよね。

様々なモチーフがあちこちに散りばめられていて、貼っているっていうのがわかりやすいのが、一般的なコラージュのイメージだと思うんです。もともとコラージュってただ「貼る」って意味だから。でも自分の場合は初めからコラージュがやりたくてやったっていうよりは、自分が表現したい、理想の作品を作るためにコラージュの手法を選んだって感じが強いから。さっきも言ったように絵を描くためのツールとしてコラージュを使っているんですよね。

 

 

―今回の告知文で、ご自身のことを「コラージュ、ブリコラージュの技法で作品発表を行うアーティスト」と定義していますよね。コラージュとブリコラージュって、語感は似てるけど全く違う言葉なんですよね。コラージュは「糊付け」、ブリコラージュは「繕う、ごまかす」という意味のフランス語が語源で、ブリコラージュと言う言葉は、寄せ集めの素材で違う道具を作るという意味。この二つの言葉を並べたのはどんな意図があってのことですか?

自分の中で、平面はコラージュ、立体もコラージュなんだけど、立体の時はブリコラージュって言いたいなって最近思ってて。もともとは何かの用途だったものを組み合わせてまったく違うものを作っているから、そういう行為自体はブリコラージュという言葉の方がしっくりくるなって思って。

 

―そういう意味では、村橋さんの場合は、平面の作品もブリコラージュだと思うんですよね。手法としてはコラージュで作品を制作しているんだけど、感覚としてはブリコラージュなのかなと。

そうだね。作品としてはコラージュなんだけど、その中で表現しているのはブリコラージュなのかも。すでにそこに「あるもの」。まさにやりたいことも、そういうテーマなんだよね。自分は、平面のなかで「彫刻」という立体物を表現しようとしているので、作品の中では立体じゃないといけない。もちろんコラージュだから、辻褄が合わないことをやってもいいし、そういう部分もあるんだけど、最終的に立体物になってないと自分のゴールになってない。辻褄があわないあり得ない素材を組み合わせながら、いかに成立させるかっていうのを考えている。なんでもありなんだけど、自分のなかには決まりというか、こういう風に見えてはいけないとかが結構あって。

立体であろうと平面であろうと、その中に存在している「もの」に差はないと自分は思っていて。それが写真で撮られたり、絵で描かれたりしたものは平面で、物体として表出したものは立体っていう。塊として空間にあるという概念に差はないんだよね。こうやって話してたり考えるとなんか難しいようなんだけど、結構、当たり前なことを言ってるだけで、誰でも自然とそんな風に認識していると思う。

 

 

 

―うん、村橋さんの作品にはリアリティがあるんですよね。

絶対ありえないような組み合わせでコラージュしていても、なんか、実在するんじゃないかって思わせたい。リアリティがありつつ嘘みたいなことをやりたい。パースなんて狂ってるけど、なんかありそうっていう方が面白いって思ってます。

 

―「星」や「植物」、今回の「偶像」など、形としてのモチーフは変わっていっても、彫刻・彫像を表現されているということですね。どうして彫刻なのでしょう?

うーん、彫刻そのものというよりも、素材感が気になるというか。ミネラル、アイアン、木とか、そういった素材そのものをどう使うかに興味がある。マテリアルとボリューム感が好きなんです。

 

―話を聞いていると、村橋さんはもう彫刻家と言った方がしっくりくる気がします。彫刻家の思考でコラージュをやっているんですよね。

マテリアルとボリュームって、もう今にも彫り出しそうな感じだよね(笑)

 

―今回の「DOROTHY」という作品について聞かせてください。

DOROTHY(ドロシー)という言葉は、doll(人形)の語源となったとも言われていて、ギリシャ語のdorothea(doron「贈り物」+ theos「神」)がその由来で、「神の贈り物」という意味が込められています。今回制作した、人形のような、神様のような、未来の生物のような一連の作品をその言葉を借りてドロシーと名付けました。作品としては、これまでに作ってきたものの延長線上なんですが、より具象的要素を持たせたり、同じテーマで立体作品も合わせて作ったので、これまで以上に、フィクションと現実の境目が曖昧に感じられるものになったと思います。

これがもし百年後くらいにどこかで発見されたら、「ドロシー彫刻研究家」とかが出てくるかもしれない。そしたら今回の作品集を見て、研究書が出てた!ってなって、この平面の作品も、「あったもの」になるかも。本当はそれが狙い、でもある。そう考えると楽しいよね。単純にちょっとしたいたずら心かな。

 

―guse arsの時も、遠い先の未来のこととか、ありえたかもしれないもう一つの時間が、作品に含まれていましたよね。

うん、やっぱり好きなんだろうね。guse arsも自分の中ではコラージュの一種だと思ってて、アウトプットは違うけどやってること自体はあんまり変わらない。時間とかを意識してるのかな。過去の誰かが作った陶器の破片を拾って、新しいものを作って残せば、またそれを未来の誰かが見つけるかもしれないっていう。作るひとはみんなそういうことをやってるんだとは思うんだけど、より意識させやすい作品なのかもしれないですね。

 

 

―今、目の前で作品を見ている人だけが、鑑賞者じゃないってことですね。使っている素材自体が古い印刷物や古物だったりで、すでに時間を内包しているから、過去にも未来にもつながっている。そう考えると今回はやっぱり、作品集自体がひとつの「作品」ですよね。最終的に印刷物に戻すってことに意味があると思うんですよね。

そう、意味があるんですよ。平面と立体の、現実と非現実の境界をなくすってこと。本になったらますます、よりどっちがどうだかわからなくなるだろうし、そう思ってくれたら嬉しいです。

 

―今後やってみたいことはありますか?

今回、自分の中では、ぐっと具象に振りきったので、いまは逆にすごいフラットなこともやりたいって思ってる。コラージュで絵画をテーマにやりたいなとか、より抽象的なこととか。頭のなかで作って面白そうだなと勝手に思ってます。

 

イベント情報

村橋貴博 個展 『DOROTHY』
2020年11月7日(土)~11月23日(月)
会場:ON READING 名古屋市千種区東山通5-19 カメダビル2B
営業時間:12:00〜20:00
定休日:火曜日
問:052-789-0855
http://onreading.jp

Takahiro Murahashi / 村橋貴博
1979年生まれ。武蔵野美術大学卒業。
コラージュを中心にした作品発表を続け、書籍や広告のイラストレーションやグラフィックデザインの仕事も行なう。
2人組のアートプロジェクト guse ars (グセアルス)としても活動。
guse-ars.com

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