エヴリ・アポイントメント・キャンセル
このよく判らない季節はいつまで続くのか。まだ裏張りできていない黒と白のダンスシューズのみを日ごと履き分けて、生まれ育った東海圏を中心としたローカルレビューをやってみることにしました。
Text : Sota Tateishi [JON NO SON]
Title design : Takatoshi Takebe [THISIS(NOT)MAGAZINE,LIVERARY]
第一話 作られた窓
Converge
6/20(土)
5:00
鶴舞線より少し早い東山線の始発をもとめて浅間町から伏見まで歩くと日銀前の歩道橋をのぼる手前でスズメ二羽が遊んでいました。
歩道橋を南に渡り終えた私に朝のアクロバティック自転車陶酔おじさんがぶつかって来そうなぎりぎりの所で旋回し、しばらく周りをくるくる回ったあと今度はガードレールに左脇を擦りながらこちらと同じく南下、先を行きました。
東海テレビで土曜日の未明、他のチャンネルはテレビショッピングしかやっていない時間なのでどうしても見ることになる『長良川水景』というテレビ番組があって、スティービー・ワンダー、ベン・フォールズ、ビリー・ジョエルなどの音楽にあわせて長良川の景色をじっととらえた映像を見せます。
クライマックスは後半、鵜飼のシーンに合わせてシガーロスの曲が流れる部分です。
はたして鵜は何と鳴くのか。
「コッ、コッ」
と鳴くとして、私には聞こえるのですが。
「コッ!コッ!コンバージやろそこは!」
鵜飼には本当はコンバージが流れるべきで、シガーロスの脆く爽やかに見せかけて実は「全能の支配者たる人間さまのおなーりー」でしかないスタイルと鵜飼が絶妙にマッチして、誰にも当たる事のできない時間にひとり心かきみだされ、椅子を振り回します。
鵜が水面に引き上げられ、首を絞められて獲物をおえっと吐き出す瞬間の度にシガーロスのリバーブがゼロになるのならまだしも。
6/5(金)
鶴舞KDハポンのライブに行ってその日の出演一組目のinahata emi(見るのは1年ぶり、2回目)を見ました。
作られた窓の前
バットを振る
という歌い出しで始まる「犬」という曲は後半こう展開します。
話す言葉もない
どんな器用な目のサインでも
犬と話す言葉は好きだな
全然すれてない胡麻
全然ぶれてない写真
全然ぬれてない傘
全然ふってない雨
最初の二行と、ラスト四行にはっきりとコントラストがあります。「作られた窓」と反対の世界にあるものが4つ並び、1つずつ順番に登場人物(いるとして)から離れて、最後にカメラは上方にティルトし空を映すのでした。
そして「バットを振る」→「全然ふってない」という副産物も可笑しいです。
音楽も映画も小説も詩も、ぽってりざらっとした本当にだらしのない「自然」に、主体的に企み顔で分け入って、自分勝手に編集したり、自然と受け手との媒介になったりする宿命があります。
だからこそ私は自然に対する好き嫌いの話ではなく、何か芸術的な作用による自然賛美(ありのままのものとかピュアなもの最高)は最初から間違ってると思っています。
最近のライブを見た人にはわかってもらえるかも知れませんけど、この人(inahata emi)の曲はだいたい後半盛り上がりません。解放されないです。歌の最後に空を映しているのに。
たぶん、もし盛り上げたところで曲が終わってからどういう顔をしていればいいのかという致死的な問題にちゃんと気付いているのではないでしょうか。
それは恐れだと思いました。
ライブを通して色々と恐れているけど、それをそのままやっている様でした。
はぐらかす人や開き直る人に勝っている事はもちろん、恐れを知らない人に勝っている事がそこでは最も重要でした。
本当にシガーロス鵜飼は最低です。
いま渡った日銀前の歩道橋はいつもそうだけど強い腐臭がします。
スズメは遊ぶ時にお互い可愛い可愛くないがあるのでしょうか。
全個体に対して可愛いと感じる目しかこちらにはありません。
チュン、チュン。