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ジョンのサン・立石草太「エヴリ・アポイントメント・キャンセル」
#02:谷繁、エルシド 

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ジョンのサン・立石草大による連載コラム

エヴリ・アポイントメント・キャンセル

このよく判らない季節はいつまで続くのか。まだ裏張りできていない黒と白のダンスシューズのみを日ごと履き分けて、生まれ育った東海圏を中心としたローカルレビューをやってみることにしました。

Text : Sota Tateishi [JON NO SON]
Title Design : Takatoshi Takebe [THISIS(NOT)MAGAZINE,LIVERARY]

 

第2話「谷繁、エルシド」

 

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イッパツマン

 

9月20日(日)

18:30

矢田の北側は、南側に比べて、ナゴヤドームで試合がある日でも通常料金で使えるパーキングを簡単に見つける事ができます。

市民ギャラリー矢田へ向かう道中、交差点のサークルKで呼吸を整えていると、手すりに腰かけた若者二人が談笑していました。

「お前に金使うくらいならその分10連ガチャ回すて」

サークルKは焼き鳥が急にオーセンティックになったり、お弁当のお米も実は業界一おいしいと言われており、私たちの多くが進行中の合併ばなしを気にしているはずです。

最下位争いをしている中日ドラゴンズは巨人をホームに迎えて1回裏の時点で5点を先制、ダフ屋は遊歩道の端にしょんぼりしていました。

「はいチケット余ってたら買うよーチケットあるよ」

和田選手、朝倉投手、そして選手としての谷繁監督のラストシーンを目に焼き付けようという熱心な中日ファンの人波を右に流して、自動ドアの向こうのエスカレーターをのぼりました。

催されていたのは三ツ矢剛という人の写真展で、ホール壁面には、展示全体のモチーフである「畔柳徳宏(くろやなぎとくひろ)」という実在する男性の生まれてから現在までの家族写真、両親がこつこつ撮っていたと思われるプールで息継ぎをしていたり空手の蹴りをしている「畔柳」の写真、本人がチラシ裏に描いたようなヒーローのスケッチやメモ書き、地元ケーブルテレビののど自慢番組に当選した時の小さな通知書などが、足元から天井近くまでびっしりと、ある一定の配列規範(十分に感じられました)に従って貼り出され、それらに囲まれた中央のスペースには、「畔柳」家の居間を模したインスタレーションや、実際に放送されたのど自慢の出演シーンがループされるVTR、幼少の頃に実際に遊んでいたレールのおもちゃなどが並べられていました。

とにかく胸を打つのはそのおびただしさで、量をもって質をカバーしているという作用では勿論なく、何にも裏打ちされていないピュアな「量」、言い換えれば、この(本来このように展示されるべきではないと推測される)人にまつわる事をここまで見せられて私たちはどうすればいいのか?という鈍角から差し込まれるような問いかけでした。

例えば、旭日松という相撲取りが、立会い前に投げる塩の量が意味もなく多い(同じくらい塩を多く投げた先輩の水戸泉や北桜には味わいや品があったのに対し)と解説者に批判されるところをテレビで見た事があり、その時は量に意味(もしくは理由など)が本当に必要なのか考えれば考えるほどに旭日松を応援したい気持ちが強くなりましたが、この展示にもそれに似た一つの狂い咲きを見ました。

※以上の感動から、三ツ矢さんが畔柳さんと親しくなっていった経緯が書かれたいくつかの(少なかったですが)キャプションすら、個人的には無ければより良かったかもしれないとも思いました。

 

 

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展示を進んでいくと、「畔柳」が少年から青年へと成長し、ちょうどのど自慢を通過したあたりで、突如としてエルシドという伝説のリハーサルスタジオの会員証にその人の顔写真がはめられているのを見ました。

「畔柳」は10代の若さで、同年代の女性2人とYODO(ヨード)という3人組のバンドを結成したのだという事がその周囲に配置されている写真や、YODO新聞という定期刊行チラシのようなものでわかるようになっていました。

19時までの展示なのに18時を過ぎてから私がそこへ向かった理由は、それまで別の用事があったのに加えて、その日は19時から同ギャラリー内のホールで、現在結成20年近くになるYODOの、『MEMORIES』という1stフルアルバムの発売記念ライブが予定されていたからでした。

サーストン・ムーアと「畔柳」の強引なツーショット写真や、初期YODOメンバーの冷めた関係がうかがえるような、背景が淡くよそよそしい写真群を見ているとき、背後のエントランス付近から、すみません、と号令のような大きな声がかかり、ホールへ移動しなければならない時間が来たかと、展示に熱中したり混乱したりしている私を含めた全員が振り返ると、三ツ矢剛さんが立っていました。

 

19:00

「すみません、本日はありがとうございます。そろそろ予定していましたYODOのライブの時間なのですが、バンドの皆さんはスタンバイできているんですけど、肝心の畔柳さんが、今日の機材搬入の時にアンプを爪先に落としまして、骨折だということはわかっていますが、現在病院で検査を受けていまして、先ほどからしばらく連絡がつながっていません。どのようになるかわかりませんが、展示は本日はまだ閉めませんので、よろしければこちらでしばらくお待ちください。」

この時点で私たちの中の何人かからやさしい悲鳴が上がっていましたが、その後またすみませんとよく通る声。

 

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19:20 

「すみません、いまご両親と連絡がつながりまして、畔柳さん、手術中だそうです。申し訳ありません。バンドの方との話し合いではギリギリまで待ってみようということになっているのですが、会場の関係で21時に撤収しなければいけませんので、20時30分に間に合えば、1曲だけでもできるかと、ただ、そんなに近い病院ではないので、まったく保証ができません。このまま待っていてもしょうがないという方は、本当に申し訳ないのですが、お気をつけてお帰りになってください。」

※この日は展示、ライブともに観覧無料でした。

私たちの多くが、いまご両親と連絡が~、のところで「あのご両親ね」と思ったはずですし、私たちに強大な「畔柳」を押し付けてきたこの展示の主催である三ツ矢剛さんの丁寧な案内を最後まで聞いたとき、私たちの多くが「畔柳」と思ったはずです。

 

次回、第3話「畔柳、ゼリエース」に続きます。

 


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立石草太(たていしそうた)
名古屋出身。1982年生まれ。2002年、高校の同級生だった友達とジョンのサンというバンドを結成し、現在まで活動。 http://jonnoson.web.fc2.com/

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