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【REVIEW】豊田市の廃校を展示空間とした、現代美術作家・中崎透キュレーションの企画展「としのこえ、とちのうた。」をキュレーター・天野一夫がレビュー。

2019.09.13.Fri - 10.14.Mon | 旧豊田東高等学校内、弓道場周辺(愛知|豊田)

 

現代美術作家で音楽家の荒木優光と豊田市主導の市民アート事業・Recasting Clubの参加メンバーらによるグループ展「としのこえ、とちのうた。」が10月14日(月)まで開催中だ。キュレーターは現代美術作家の中崎透(Nadegata Instant PartyとしてRecasting Clubのディレクションも行っている人物)。

 

Nadegata Istant Party(写真左から山城大督、野田智子、中崎透 )

 

会場は、旧豊田東高等学校。弓道場周辺を展覧会場にリキャスティング(再配役)し、廊下、トイレやロッカールームなどさまざまな場所にひっそりとアート作品がたたずんでいる。また、荒木優光が前回の展示で「豊田スタジアム」を使った音声を使った作品が、会場の様々な場所に仕掛けれれたスピーカーから発せられ、誰も居ない校内に歌のような叫びのような声が鳴り続けている。また、展示に参加した市民らによる豊田市での思い出や、この廃校舎での思い出などのコメントもあわせて展示されている。まさに「うた」と「声」が全体を包括し、それら全体の景色、空気までもが大きな作品のような展示となっている。

今回LIVERARYでは、Recasting Clubのキュレーターも務め、この活動のスタートから現在までを見届けてきた豊田市文化振興課に所属する天野一夫による批評文をこの展示にさらに追加する「声」として、写真とともに掲載する。

 


photo:平林岳志

 

REVIEW:

風が吹いている―「としのこえ、とちのうた。」

Text:Kazuo Amano
Edit:Takatoshi Takebe(LIVERARY)
Photo : Takeshi Hirabayashi

 

たたずむと風が吹いている。外は燦々とした日中であっても、ここは昏くて湿度ある半ば木々も虫もわれらの場だといい接触し干渉してくる、人工的な構造物の中に居ながらも、もはや半ば林の中と言っていい廃墟のような場であった。

ここは日本を代表する名建築として著名な豊田市美術館に隣接して、それ以前から建っていた愛知県立豊田東高校の跡である。大正13年開校の挙母町立挙母高等女学校を前身に昭和初期に県立に移管した(昭和23年に県立挙母東高等学校と改称)、この歴史ある女子高跡は移転後長らく閉じたままであった。その後、若い豊田の人々の中からは記憶は急速に消えて行ったのであろうか?しかし再びこの3年間ほどわれわれは市民アートプロジェクトの名のもとに新たな自由なアートの場として広く様々な人々の創造性に委ねた。

 


(左)梶千春/(右)つちやみさ


河西進「韓国で贈られた私への大切な手紙と時間」
photo:平林岳志

 

ここであらためて豊田に関わりのある地元の人々を中心とした作品展が開かれた。「地元の人々」と言っても注釈が必要であろう。中にはこの場で生まれ住む生粋の豊田の人(そこにはこの東高出身の作家も含まれる)から、縁あって仕事先として通う人、あるいは在住でも在勤でもないが保見団地のブラジルの人びとや、路傍の写真のように、県内に住みモティーフ(題材)として豊田を扱う人なども含まれる。またこの9人の中には既存の画廊等で個展をやっている人は半分ほどであり、中には美術館の企画展でも取り上げられる作家もいれば、ほとんど展示歴のない者もいる。それぞれが多様なバックグラウンドを持っていて制作している。それらの人々が一つの場に寄って展示していること自体、整理された文脈性による既存の展観とは大きく異なることが推測されるであろう。

これらの人々がここに集っているのはひとえに先に触れた3年前から豊田市で始まった市民アートプロジェクトの中で、アートユニット「Nadegata Instant Party」(以下、ナデガタ)をディレクターとして活動している「Recasting Club」の人々であるということだけだ。そこに参加する個性的な人々の中からナデガタの一員でもある中崎の視点からセレクトし、作家と話し合い場所と作品を決めていったので、多くは旧作であるのだが、その過程で中崎は一人一人にインタビューを行った。

これまでも彼(女)らは主にこの旧東高校で、また活動の本拠地である旧波満屋旅館・TPACで活動・発表をしてきた。そこでは様々なイベント的な場の中での活動であり、その中で作品も展示してきていたのだが、あらためてある程度まとまった自立した空間を設定して、言わば個展が並ぶような展示であった。しかし先に記したように多様な人々の作品は必ずしも作品の質だけをそろえようとはしていないだろう。普通なら混乱した雑居的なアンデパンダン的な場となるであろう。しかしわれわれは通常とは異なる鑑賞経験をしてしまっているのである。

 


photo:平林岳志

 

そこに中崎の秀逸な企てがある。先ずはこの最後まで使わずに廃墟のまま放置されていた弓道場跡を見出して展示の場としたことである。私も立ち会ったのだが、長年の自然の自由な繁茂と様々な虫の生息に任せたこの山の下部に当たる場所は昼なお暗い物凄き場所であった。

さらにはここに音響を中心に多様な表現をしている荒木優光の作品を、自らのライトボックス型の作品とともに挿入したことである。荒木のこの作品は今年の1月から2月にかけて行われた「Windshield Time-わたしのフロントガラスから 現代美術in豊田」展に出品されていたもので、その際の展観でも様々な人々がこのほとんど未知の作家の秀作に印象づけられていた。その≪サミ-ケディ-ラ-ビオ(マイクロコズム)≫と題された作品をここで再び展示したことである。

前回は元銀行のバックヤード空間のいくつかの部屋にモニターとスピーカーが仕込まれ、本来想定していた場所だけに念密な構成の下で、映像と音が編集していた。全てのスペースに緑のカーペットが敷かれていて、それぞれ部屋ごとのスピーカーから合唱の声が出て響いてくる。それは全てまさしく現在開催中のラグビーワールドカップの試合が行われた豊田スタジアムで撮られた映像である。45000人収容を誇るグラウンドと、この元銀行の外向きではない小規模な内部オフィスとはきわめて対照的であった。作品はそのスタジアムの中の音響システムそして大型ビジョンやモニターを駆使して撮影・録画されたもので、6人の合唱経験者がスタジアムの様々な場所で声を発したものをマイクで捉え、スタジアムの音響システムで繫げ声を合わせたものだ。そしてそれぞれのスタジアム内の場所に見立てられ、そのそれぞれの空間で響いていた・歌われていた音が流れていて、二つ空間が場所の特性をまたぎ音と映像で結び合う精緻な作品なのだ。

しかしここでは初めから全く場所が異なるし、映像・音は一つのところで隣接してはいない。むしろ立ち入り禁止の体育館の中の巨大な舞台へのプロジェクションから、小ぶりのモニターまで、様々な場所で音が響いているのだ。一度解体し、むしろ異なる作品として仕立て上げたと言った方が良いだろう。

さまざまなところより風が吹いてくるようなのである。

 


荒木優光「Sami-Khedi-Ra-Biot (microcosm)
photo:平林岳志

 

中崎はこれまでも看板をはじめとして、絵画、彫刻、映像、陶芸、演劇といった多様なものを駆使し参加型のイベントや、インスタレーションを展開してきた。殊に架空、現実を問わず初期から作り続けてきたライトボックス型の蛍光灯看板は現在も制作し、トレードマークのようになっている。われわれも「看板屋」と愛称のように言い、また作家自らタイトルのもしてきたものである。

しかし他方、中崎は近年の試みでも様々な土地で、その場をリサーチして多様な物物をアーカイブ的に、あるいはミュージアム的にまとめながらも、映像や音を駆使しつつ、具体的な物自体によって現実の空間として展開し、そこに看板ならぬ、フレームの中から蛍光管が光りを発する展示を繰り返してきている。

最近では会期が若干ダブっていた石巻と牡鹿半島で開催された「REBORN ART FESTIVAL 2019」での展示がある。桃浦という土地に残る旧荻浜小学校。廃校となった小学校は集落の一番奥まった谷あいに建っている。ここは牡蠣を中心とした漁業で栄えた古い集落で、東日本大震災以後の現在では数軒しか住んでいないという。この地域の記憶として残る最大の場こそ、彼が展示していた荻浜小学校で、この三階建ての校舎のうち、二階全体を使い、さらには外のプールにまで展示は及んでいた。題して「Peach Beach, Summer School」。ここでも中崎はこの小学校に、そしてこの桃浦という土地に関わった人々にインタビューし、われわれにとっては未知のこの土地について章立てて様々なアスペクトでその過去と現在の異なりとそれでも変わらない何かについて考えさせていた。章立てながらも。小学校等に残されていた膨大な物品をあえて荒々しく挿入混乱させることで、物の力でこの空間全体を決して単調ではない活き活きとした場にしていた。おそらくは中崎の近年の代表作となったこの秀作は今回の「REBORN

全体の中でも象徴的な作品となっていたが、豊田での今回の展示は小学校と高校との違いはあれど同様の廃校であり、その中での展示としては当然手法的にも響いていた。

 


中崎透「Peach Beach, Summer School」
photo:ECHIGOYA Izuru

 

ここにも看板ならぬ、金属フレームに蛍光灯が仕組まれているものの、外には透明な色フィルターを通してブルー、グリーン等の色のみが発光している。それは装飾としての光りでは決してない。またもはやここでは何ものも意味の方向に指示しない<看板>である。それは先に触れた音と映像の荒木の作品とともに、全体の場に対して物質感の薄い光り、音として挿入することで、われわれを出品作家のこの土地との関係・歴史、さらにそれを越えてわれわれのイマジネーションをこの校舎というそのだけで記憶の積層した場において拡げていく。ここでは見えないものを感じ取ることが重要になってくるという美術展なのだ。

 


中崎透「colors #1」「colors #2」
photo:平林岳志

 

さらに同様に参加作家への中崎の聞き取り、つまりはインタビューの一部が壁などに印字されている。今回はそれぞれの個展の連鎖のような場だから、全く東北とは異なる。しかし中崎はここで発話者をあえて書かずにおくことで、個人史でありながらも、だれにでも起こり得る言わば匿名性をキープしながら、作品に寄り添いつつも、半ば通路やその場全体に漂い出すのだ。ここで単に個の表現、個の歴史であるはずのものが、半ば薄められる分、大きな場と共鳴することとなる。個人と表現という一対一対応の閉じた場から、様々な人や物との関係に誘われる。

生成していくスリリングなものこそ、実はこの「Recasting Club」のやってきたこと、いや、中崎が山城大督、野田智子とともにいずれも個人作家やアートマネージャーとして活動しながらも「Nadegata Instant Party」というアートユニットを作り様々な土地の多様な人びとと関わり、そのアクシデンタルでカオティックな中から表現以前の生成場を見つめていることの理由とも関わるだろう。様々なベクトルのものが共存し、不協和を立てつつもあるハーモニーを奏でる。他者との関係の中で初めて自らが反照されるのも音である。

荒木の音は合唱と言ってもほとんど抑揚なく伸ばされた単旋律の声は教会の聖歌を思わせるものかも知れない。しかしそれが密やかに誰もいない廃墟となった体育館の中に、そして最も印象深かったのは正しく弓道場であって、弓を引き、的となっていたものは多様な植生によって全く林となって見えない。しかしこの林の中に音とともにわれわれの視線は確実に入って行ったのである。

風という不可視のものに誘われてわれわれの想像力は飛んでいった。もはやここでは女子高生ではなく、不特定の、不可解なものに触知していた。

 


荒木優光「Sami-Khedi-Ra-Biot (microcosm)
photo:平林岳志

イベント情報

2019年9月13日(金)~10月14日(月祝)
Recasting Club Presents
「としのこえ、とちのうた。」
会場:旧豊田東高等学校内、弓道場周辺(豊田市小坂本町5丁目80)
時間:10:00~17:00 
料金:入場無料

出展作家:
荒木優光 ARAKI Masamitsu
あまのしんたろう AMANO Shintaro
安藤卓児 ANDO Takuji
梶千春 KAJI Chiharu
河西進 KAWANISHI Susumu
千賀英俊 SENGA Hidetoshi
田代智裕 TASHIRO Tomohiro
つちやみさ TSUCHIYA Misa
水野なな MIZUNO Nana
山岸大祐 YAMAGISHI Daisuke
中崎透 NAKAZAKI Tohru

キュレーター:中崎透
主催:とよた市民アートプロジェクト推進協議会

問合せ:
とよた市民アートプロジェクト推進協議会事務局(豊田市生涯活躍部文化振興課内)
TEL:0565-34-6631(受付時間/平日8:30-17:15)
メールアドレス:info@recastingclub-toyota-art.jp

posted by T.TAKEBE

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