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20世紀を代表するドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイス、抽象画家ブリンキー・パレルモの2人展「BEUYS + PALERMO」が豊田市美術館にて開催中。

2021.04.03.Sat - 06.20.Sun | 豊田市美術館(愛知|豊田)

ヨーゼフ・ボイス《そして我々の中で…我々の下で…大地は下に》1965年のアクション 
bpk | Sprengel Museum Hannover, Archiv Heinrich Riebesehl, Leihgabe Land Niedersachsen / Heinrich Riebesehl / distributed by AMF
VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 E4044

 

豊田市美術館にて、ドイツの彫刻家ヨーゼフ・ボイスと、抽象画家ブリンキー・パレルモの二人展「BEUYS + PALERMO」202143日(土)~620日(日)まで開催中だ。

 

ブリンキー・パレルモ、1973年ハンブルクにて bpk | Angelika Platen / distributed by AMF 
VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 E4044

 

ヨーゼフ・ボイスは、第二次世界大戦以降の最も重要な芸術家のひとり。1921年にドイツで生まれ、第二次世界大戦時、追撃され傷を負うが、現地タタール人から脂肪とフェルトによる手当てを受けて一命をとりとめる。この体験は彼の人生と作品に影響を与え、その後、脂肪とフェルトを素材にした作品を数多く残した。ボイスは、ひろく社会を彫刻ととらえ、「社会彫刻」を試みたとされる芸術を、政治活動や教育、環境保護など社会のあらゆる領域へ拡張しようと目指した。

 

 

ヨーゼフ・ボイス《ユーラシアの伺》1968/69年 クンストパラスト美術館、デュッセルドルフ © Kunstpalast – Manos Meisen ‒ ARTOTHEK
VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 E4044

 

 

本展覧会におけるもう一人の主役ブリンキー・パレルモ は、ヨーゼフ・ボイスの教え子のひとりであり、ボイスのもっとも近い表現者だった。30代前半で亡くなり、短い活動期間に残した抽象的な作品は、絵画の構成要素を再構築しながら、色彩やかたちの体験を通し、私たちの認識に揺らぎをもたらす。

 

ブリンキー・パレルモ《無題》1977年 個人蔵
VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 E4044

 

 

雄弁で政治活動も盛んなヨーゼフ・ボイスと、寡黙に絵画の可能性を探究したブリンキー・パレルモ。一見対照的な2人の作品は、並べてみると造形的な特徴や制作姿勢の共通点を知ることができる。両者の196070年代の作品を中心に構成される本展覧会は、それぞれの特徴を概観しながら、社会と芸術の関わりについて改めて問いかけ、芸術の営為とはなにかを見つめなおす機会となるだろう。

 

 

右:ヨーゼフ・ボイス《直接民主制の為のバラ》1973年 左:ブリンキー・パレルモ《無題》1974年 gigei10蔵
VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 E4044

 

イベント情報

2021年4月3日(土)〜6月20日(日)
BEUYS + PALERMO 「ボイス+パレルモ」 
会場:豊田市美術館
開館時間:10:00〜17:30(入場は17:00まで)
休館日: 月曜日(5月3日は開館)
出展:ヨーゼフ・ボイス / ブリンキー・パレルモ
観覧料: 一般1,200円(1,000円)/ 高校・大学生700円(500円)
※()内は20名以上の団体料金。 障がい者手帳をお持ちの方(介添者1名)、豊田市内在住又は在学の高校生及び豊田市内在住の75歳以上は無料(要証明)
主催: 豊田市美術館 
共催:中日新聞社
後援:ゲーテ・インスティトゥート東京 
協力:ルフトハンザ カーゴ AG 
https://www.museum.toyota.aichi.jp/

*その他、観覧料の減免対象者及び割引等についてはホームページをご確認いただくか、豊田市美術館へお問い合わせください。 
*感染症拡大防止のため会期、関連事業の内容、来館者の受入態勢等を変更する場合があります。当館ホームページから最新情報をご確認ください。

今後の巡回予定
埼玉県立近代美術館:2021年7月10日(土)〜9月5日(日)
国立国際美術館:2021年10月12日(火)〜2022年1月16日(日)

ヨーゼフ・ボイスJoseph Beuys, 1921-1986
ドイツのクレーフェルトに生まれ、オランダとの国境近くの町クレーヴェで青年期までを過ごす。第二次世界大戦に通信兵として従軍、ソ連国境付近を飛行中に追撃され瀕死の重傷を負うが、現地のタタール人に脂肪を塗り込まれ、フェルトに包まれることで一命をとりとめる。この体験とそこで用いられた脂肪とフェルトがのちのボイスの制作における重要な「素材」となる。戦後は芸術家を志し、デュッセルドルフ芸術アカデミーに学ぶ。1961年に同校教授となり、パレルモをはじめ多くの芸術家を育成した。「拡張された芸術概念」及び「社会彫塑」を唱えるボイスは、こうした教育活動をはじめ、政治活動や環境問題までをも自らの問題として引き受け、「緑の党」の結党に関わるなど、広く公衆に語りかけ続けた。最晩年の1984年には日本に招かれ、展覧会のみならずアクションや学生との討論会を企て少なからぬ足跡を残した。1986年に歿。戦争の加害者でありかつ被害者でもある自身の体験に基づく作品制作と、芸術を社会のあらゆる領域へと拡張しようとした姿勢において、ボイスは今日においても最も影響力のある芸術家のひとりであることは間違いない。

 

ブリンキー・パレルモBlinky Palermo, 1943-1977
ドイツのライプツィヒに生まれる。本名はペーター・ハイスターカンプ。1964年にデュッセルドルフ芸術アカデミーでボイス・クラスに入って早々、マフィアでボクシングのプロモーターのブリンキー・パレルモに由来するあだ名をつけられると、それをそのまま作家名にしてしまった。学友にはゲルハルト・リヒターやイミ・クネーベルといった現代ドイツを代表する作家たちがいた。アカデミー在籍時より20世紀初頭のカジミール・マレーヴィチやピート・モンドリアンらの抽象絵画や、同時代のミニマリズムの動向に影響を受けながら、カンヴァスや木枠といった絵画の構成要素自体を問い直す作品を手掛けるようになる。1977年にモルジブで客死するまで、既製品の布を縫い合わせた〈布絵画〉、建築空間にささやかに介入する壁画、小さなパネルを組み合わせた〈金属絵画〉など独自の制作を展開した。絵画制作をとおして、色やかたち、空間などを知覚するその認識そのものを問う繊細な作品は近年評価が高まっている。

posted by K.NAKASHIMA_LIVERARY

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